#11-2:数値の世界

エディタのタクト

 イザベラの放ったダメ押しの一撃がもたらした被害を目の当たりにして、エディタは息を飲んだ。あまりの激甚な破壊力に、思考が停止する。親友トリーネを失った直後という事もあっただろうが、とにかく頭の中が真っ白になった。V級である自分と、D級であるイザベラとの実力差は、もはや比べるのも馬鹿馬鹿しい。


『エディタ、何をぼけっとしている。指揮をれ。タクトはきみが持っている』


 鋭い叱責を受け、エディタは額に汗が噴き出したことを認識する。慌てて十五隻の量産型ナイアーラトテップと、味方の艦隊の位置情報を確認し、唖然とする。C級の艦艇群はてんでばらばらに逃げ回り、クララとテレサの進路を邪魔しているようなありさまだった。その様子はまるで酔歩だ。


「全員、落ち着け! 各艦の進路を指示する。従え!」


 円運動だ。C級のコルベットや駆逐艦なら、ナイアーラトテップよりもわずかに速い。動き続けている限り追いつかれることはない。その指示は瞬時に全歌姫に伝わり、その一瞬後には全員からのリプライがある。エディタが眩暈を覚えたほどの情報の怒涛である。


「クララ、テレサ! 二人一組で一隻ずつ仕留めていってくれ!」

『無茶だよ、エディタ。僕らの艦じゃ、あいつらに追いつけない!』


 苛立ちを隠さずにクララが応じてくる。テレサもそれに同調した。


『円運動はわかるけど、もっと速度を落とさせて!』

『このままじゃ無駄な追いかけっこをするだけだ。結局全部仕留め損なうよ!』

「しかし、そんなことをしたら」


 エディタは迷う。クララたちがまともに攻撃できるところまで距離を詰めるとなると、複数隻のC級の艦艇が犠牲になることになる。喰われるのだ。そうしなければ仕留めることは難しい――わかりきった事実ではあったが、エディタは決断できずにいる。「お前、死んでくれ」と言うことはとてもできなかった。


 しかし、イザベラは違っていた。


『エディタ、どうするつもりだ。そのまま追いかけっこに終始するつもりか』

「は、い、いえ。しかし……駆逐艦らが追い付かれます」

『わたしは何と命令した、エディタ。一隻も生かして帰すなと言ったんだ』


 イザベラの口調トーンは凍てついた鉄のようだった。エディタはイザベラの放つ圧倒的過ぎる殺気に翻弄されながらも、それでも唇を噛み締める。


「しかし私には……」

『信じるんだ。C級とは言え、無力じゃない』

「ですがっ! あまりにも」

『きみと口論している時間はないんだ、エディタ。きみがやれないなら、きみの指揮権を剥奪する』


 冷え切ったその声が、エディタの胸に突き刺さる。


『トリーネという貴重な人材と貴重な重巡を失うという失態を犯した以上、わたしたちは手ぶらで帰るわけにはいかない。いいかい、これが戦いの本来の姿なんだ。これこそが戦いなんだよ、エディタ』

「……トリーネの仇を討つ。そんな動機でも指揮は執れますか」


 エディタはきつく目を閉じる。乗艦である重巡アルデバランの直上に漂うエディタの意識の前に、イザベラの気配が近付いてくる。


『きみは冷静だ、エディタ。だからこそ今、きみが

「提督……」


 エディタは俯き、そして水平線の近くあたりを高速で逃げ回る小型艦艇群を見た。自分が指示を出せば、あの中の何隻かは帰ってこられなくなる。だが、敵を仕留めるためにはそうするほかにない。自分たちの力では、距離を詰められない状態では、水中にあるナイアーラトテップを仕留めることはほとんど不可能だった。


「論理戦闘に持ち込めば……」

『それこそ多くのC級が死ぬことになるだろう。それでもいいのならそうするがいい』

「くっ――!」


 エディタは奥歯を噛み締め、大きく頭を振った。


 わかりました――そう、声にならない声で応える。


「クララ、テレサ! 二人で一隻沈めろ! 私は一人でやる!」

『了解したけど――射程に入れられない!』

「わかっている」


 クララの声に、エディタは深く呼吸した。そして逃げ回る小型艦艇から無作為に二隻を選び出し、減速の指示を出す。すぐにその指示は履行され、ナイアーラトテップとの距離が一気に詰まる。クララとテレサの軽巡がその後を追い、攻撃を開始する。しかし、ナイアーラトテップは二人には構うことなく、速度を落とした駆逐艦とコルベットを破壊した。歌姫クワイアたちのが、エディタの意識を津波のように攪拌し、削ぎ取っていく。


「くそっ……! 許せ、許してくれ……!」


 エディタは涙を流している。その事実に気付かぬままに、エディタは謝罪を口に出す。


「私が殺したようなものだ……」

『そうだ、それが指揮官の仕事なんだよ、エディタ』


 エディタの意識に寄り添うように、イザベラが囁く。夜の空が爆炎で焼かれている。破壊の音が静寂しじまを引き裂いて、幾重にも折り重ねられていく。歌姫の断末魔は未だ続き、そして、新たに生まれていた。その精神こころを犯す重篤な絶唱は、抜けない針となって心臓に突き立った。


『すべての恨みはわたしが引き受ける。きみはわたしを憎むといい。だけどね、それは後だ。今はわたしの命令の通り、ナイアーラトテップを殲滅するんだ』

「わかっています、提督」


 エディタはアルデバランの火器制御ファイアコントロールをひったくるようにして奪い取り、全砲門を一斉射させた。その弾丸のエネルギーは全てセイレネスによって変換され、不可視の槍となって空中に静止した。


「沈めッ!」


 憎むべきは、敵だ。ネーミア提督ではない。


 エディタの一撃が、海面下数十メートルの位置を揺蕩っているナイアーラトテップを捉えた。分厚い水の層がエディタの必殺の一撃を阻もうとしたが、今のエディタは鋭利すぎるほどに研ぎ澄まされていた。数百分の一デシベルのノイズも許さぬほどに純然たる殺意がそこにあった。


 ナイアーラトテップの防御装置オルペウス抵抗レジストしてくるが、エディタの敵にはなりえなかった。楕円形の基部にエネルギーの塊が突き刺さり、内部から破壊していく。ガラスにヒビが入るように、その能面のような基部が損壊されていく。その破壊力には、誰よりもエディタ自身が驚いた。


 エディタ自身は気付いていなかったが、それはM量産型ナイアーラトテップが脆かったわけではなく、エディタ自身の能力が限界まで高められていたからだ。それは、極限とも言える選択を強いられたことによるストレスの作用とも言えた。この能力の高レベルでの安定は、薬物による一時的なそれによく似ていた。


『エディタ、こっちも一隻片付けた。次のに行く』

「頼んだ、クララ。テレサもしっかり頼む」


 エディタはC級たちにも指示を出しながら、次の獲物へと肉薄する。その間に、またコルベットが一隻喰われた。だが、そのナイアーラトテップに乗り上げるように突進したアルデバランの放ったセイレネスの力の乗った爆雷攻撃が、ナイアーラトテップに重篤なダメージを与えることに成功する。アルデバランはそのままその海域を通り過ぎ、次なる獲物を求めて海原を突き進む。取り残されたナイアーラトテップは、C級歌姫たちの集中攻撃で轟沈に至った。


「週刊ナイアーラトテップだって? ふざけやがって!」


 エディタは三隻、四隻と鬼神のごとき動きで沈めていく。退却を始めたナイアーラトテップたちをC級が追い詰め、囮になり、撃沈せしめていく。


『エディタ、僕たちはこのまま物理戦闘で良いのかい?』

「押し切れ! この戦い方がベストだ」


 論理戦闘になれば、V級に損害が出る可能性がある。だが、今の戦い方ならにとどめられる。


 エディタはそんな自分の思考回路に気が付いて愕然とする。C級の仲間たちを、ただのとして計上したのだ。V級とC級を秤にかけたのだ。死んではならない命と、死んでも良い戦力を、天秤に乗せたのだ。


 胸の中に噴き上げるどす黒い何かに、エディタは吐き気を覚えた。生理的嫌悪感が自分自身に向けられるという耐えがたい感覚に、エディタは激しい眩暈めまいすら覚えた。


『エディタ、よくやった』


 無意識の数十分が経過した後、エディタにイザベラが囁いた。エディタは極度の疲労の中にあって、ようやく一言、言い返す。


「私は、仲間に死ねと言ってしまいました」

『知っているよ。でも』

「提督、私は、あんなのが最適な答えだったとは――」

『きみはわたしを頼らなかった。そのことについては、きみはわたしの期待に応えた。その上で大勝利を手にすることができた。きみは指揮官として間違えてはいない。きみが良心の呵責に震える必要はこれっぽっちもないんだ』

「ですが――」


 エディタはすっかり夜の静寂に沈んだ海原を眺め、そして嫌味なくらいに美しく輝く三日月を見た。地球照により、影になった部分がうっすらと浮かび上がって見えるほどだ。


『エディタ。きみは、トリーネの仇を討てたかい?』

「いえ」


 即答する。


「勝利以外、何も得られませんでした」

『そう、だろうね』


 応じたイザベラの声には、憐憫とも苦悩とも取れる闇が、滲んでいた。

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