コンダクター・イザベラ
二〇九六年三月――イザベラ・ネーミアが突如現れてから間もなく一月が経とうかという頃。ヤーグベルテの第一艦隊グリームニルと第二艦隊グルヴェイグが、アーシュオンの第三、第五、第六艦隊と激突した。
第一艦隊旗艦・セイレーンEM-AZと、第二艦隊旗艦・エリニュスが並び立つその様は、アーシュオンの連合艦隊に対して圧倒的な威容となった。ヤーグベルテの艦隊は、エウロスの母艦リビュエおよびその護衛艦艇群を含めて、七十隻に迫る規模になっていた。
南東諸島の一角、エッジ諸島へのアーシュオン艦隊再侵攻の情報が入ったことにより、イザベラ・ネーミアのデビュー戦を行うという作戦が、参謀部第六課主導で即座に立てられた。エッジ諸島と言えば、かつてアーシュオンの名参謀レイナド准将が奪還作戦を指揮し、結果大敗北を喫した戦いの舞台である。そのため、アーシュオンは国家の威信を賭けて、最精鋭部隊を送り込んできたという次第だ。ナイアーラトテップが大量に動員されていることも、想像に難くはなかった。
黄昏の頃、艦隊がお互いに距離を取り合って睨み合うそのさなかでも、レベッカはコア連結室に向かおうとしなかった。エリニュスの艦橋に、悠然と腕を組んで立っていて、その視線はまっすぐに水平線を睨んでいる。肉眼では見えない距離に敵艦隊はあったが、それでもレベッカの感覚は、その存在をしっかりと捉えていた。レベッカの隣にはマリアが立っており、こちらは巨大なスクリーンを見つめている。そこにはイザベラのセイレネスにて検知された敵艦隊およびナイアーラトテップの位置情報が、詳細に表示されていた。
「レベッカ姉様は行かないのですか」
「ええ。よほどのことがない限りはね」
レベッカは頷いた。マリアは言う。
「確かに、その方が良いかもしれません。後から参謀本部や第三課に面倒なことを言われないようにするためにも」
「ええ。それに、あの子は必要十分以上の戦果を挙げるでしょう。それを目にすれば、参謀本部も大統領府も、余計な口出しはできなくなるはずです」
「しかし、本作戦は損失覚悟のリスキーな作戦です。いくらネーミア提督が強大であるとはいえ、C級には少なくない損害が出るでしょう」
「そうね」
レベッカは眼鏡のレンズに金色の海を映しながら、静かに頷いた。
「しかし、本艦はあくまで督戦艦。……艦長、艦隊最後尾へ」
「イエス・マム、本艦は後退を開始します」
艦長が手筈通りにエリニュスを逆進させていく。レベッカは腕を組んで仁王立ちした体勢のまま、その細身からは信じられないほどの大音声を発した。
「第二艦隊所属艦艇に告ぐ。現時刻を以て、第二艦隊所属艦艇はその全ての指揮権を第一艦隊司令官、ネーミア提督に譲渡する。諸君らの奮闘努力に期待する!」
その言葉の直後に、第二艦隊所属の歌姫たちの顔が次々とメインスクリーンに映し出された。幾度かの戦闘を経た今、もはや新人然とした面構えの者はいなくなっていた。一人の例外もなく、鋭い刃のような面差しだった。だが、この戦いが終わった時にはほとんど確実に、何人かが欠ける。誰もがそうと分かっているはずなのに、誰の顔にも恐怖や怯えという感情を見て取ることはできなかった。
「哀しいものですね」
次々とエリニュスを追い越していく第二艦隊の艦艇たちを見送りながら、マリアが呟いた。レベッカは心の中で頷きを返す。
索敵班が「敵航空機発艦」の報告を上げてくる。それとほとんど同時に、イザベラ・ネーミアの声が全艦隊に響き渡る。
『総員、対空戦闘用意! 敵航空戦力、推定百五十。マーナガルム飛行隊の存在も確認されている、油断するな。
イザベラ・ネーミア、か。
イザベラは、ヴェーラよりも二音ばかり低い声域であったし、ややハスキーな声の持ち主でもあった。それが意識してやっているものなのか、火傷の後遺症なのかはわからない。だが、それでも、レベッカにとっては大切なヴェーラの声だった。
敵航空機からの対艦ミサイルが飛来してくるが、それは三十キロも手前ですべて爆発四散した。イザベラの能力が発動したのだろう。だが――。
『手助けはこの一回だ。わたしとV級はナイアーラトテップ群に対処する。C級、決して
イザベラは、苛烈とも熾烈とも言える指示を出す。マーナガルム飛行隊は現時点でたったの三機しかいないとは言え、C級にしてみれば大いなる脅威だ。
「イズー、私がマーナガルムに対処しましょうか」
『いや、ベッキー。きみは後ろで見ていてくれ』
「でも、マーナガルムは……」
『おいおい、アタシを忘れてるぞ』
エリニュスの艦橋の前を真っ赤な
『ネーミア提督、アタシたちは敵のエースどもを引き受ける。C級にはその他大勢への対処を中心に――』
『了解、メラルティン大佐。ただし、主役はC級。今回は脇役に努めて欲しい』
『頑固だな』
『これからの戦いの主役はC級だよ。国家の命運を個人に依存してはいけない』
「でもイズー、それは――」
『わたしはいつまでも最前線にいるつもりはない』
イザベラはそう言い切った。
『そして、アーシュオンを滅ぼす気にもなれない』
レベッカの視界の先の空が光り始める。対空砲火が撃ち上げられているのだ。上空に目をやれば、航空機の
「イズー……」
「姉様、少し気になることが」
「どうしたの、マリア」
いつになく険しい表情のマリアを見て、レベッカは眉を
「恐らくあれは、
「新型?」
「ええ、恐らく。セイレネスの能力も、V級か、それ以上かもしれません」
「それは、イズーは……」
「提督はコア連結室にいらっしゃいますから、十中八九勘付いておられるでしょう」
それもそうか。
だが――。
なんだ、この不吉な予感は。
レベッカは輝く空を睨みつけた。
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