その手を汚した感想は。

 その日の夜、午後八時を過ぎた頃、エディタは旗艦エリニュスに召喚されていた。艦橋の直下に作られたレベッカの執務室には、レベッカの他、マリアもいた。昼間とは打って変わって、海は荒れていた。エリニュスほどの巨艦であっても、うねる海が感じられるほどの高波である。駆逐艦以下の小型艦にとっては試練の海になっていそうだった。


「今夜はアルデバランに戻れないかもしれないわね」


 応接用のソファに腰を下ろしたレベッカは、眉間を指でさすりながら、開口一番呟いた。マリアはその隣で紅茶を飲んでいる。エディタも勧められるままに、レベッカの向かいに腰を下ろした。


「疲れているでしょう。大丈夫?」

「ヘリで少し酔いました……」


 エディタは青白い顔で正直に答えた。今夜の連絡用ヘリは、エディタにとっては悪夢のような乗り物だった。訓練で何度も乗ったことはあったが、こんな荒天に遭遇したことはなかった。


「でも大丈夫です。それであの、ご用件は何でしょうか」


 エディタは遠慮がちに尋ねた。わざわざ旗艦に呼び出されたことに対して、少なからず警戒している表情だった。


「昼間」


 レベッカがティーカップを持ち上げながら言う。


「どうでしたか?」

「ええと……」


 エディタは迷う。まだヘリ酔いが抜けておらず、思考が定まっていない。レベッカは眼鏡越しに鋭い視線を投げかけ、淡々と質問しなおす。


「その手で人を殺した感想を尋ねているのです」

「人を……」


 紅茶に手を伸ばしかけた姿勢で、エディタは硬直する。


「私は、その、必死でしたから……。訓練と同じように、しました。仲間を守ろうと必死でした」

「そう」


 レベッカは頷く。


「論理空間での被害は計上するに足りません。クララもショック状態からは回復していますし、圧勝したと言っても良いでしょう。よくやりました」

「しかし、提督……」


 エディタは心の中で唇を噛んだ。そんなエディタを見て、マリアとレベッカは顔を見合わせる。二人の横顔は氷のように冷たく見えた。エディタは慌てて目を逸らし、紅茶の水面を睨む。


 そんなエディタの視界に入るように、マリアがタブレット端末をテーブルの上に置いた。そこには戦闘結果レポートが表示されている。


「損耗率は二十パーセントを超えました。駆逐艦以下、十一隻の喪失です」


 マリアの口から出た数字には、エディタの横面を張り倒すほどの威力があった。ヘリ酔いが吹き飛ぶほどの事実を突きつけられ、言葉が出ない。俯くエディタに、マリアが問う。


「エディタ、あなたはこの数値をどう思う?」

「仲間を……大勢失ったとしか」

「そうですか。確かに、C級は十二名が戦死しました」


 十二人……!


 エディタの喉から出たのは、ひゅーという掠れた空気だけだ。レベッカはソファに深く座りなおした。


「初陣での戦死者、歌姫セイレーンだけで十二名。艦船の搭乗員を含めると三百名近い死傷者が出ています。ですが、圧倒的多数の敵を前にしては、よくやった数だと思います。そして、C級がどれほどの戦力になるのかも、客観的に示す事ができたのだと評価しています」


 その冷酷とも言える物言いに、エディタの心臓が冷える。


「提督、それではまるで」

「見殺しにしたようだ、と、言いますか?」


 レベッカの目がギラリと光る。その眼光の鋭さに、エディタは息を飲む。


「その見方はある意味で正しい。私は投資したのです、あの子たちの命を。この艦隊に、歌姫艦隊の未来のために」

「それで十二人も、私の仲間を……」

「そうです」


 レベッカは視線をそらさずに肯定した。エディタは言葉を繋げられない。マリアは睨み合う二人を興味深げに眺めながら紅茶を一口飲み、そして低い声で言った。


「しかし、この犠牲の結果として、戦力の中核となるC級の戦線構築能力は可視化されました。これにより、我々参謀部はよりリスクの低い作戦を立てることができるようになりました。あなたはいずれ提督にもなり得る人材です。本件より学びなさい」

「しかし、それはあまりにも――」

「その苦悩もまた、学びです」


 マリアはエディタの言葉を遮る。


「そもそも、アーメリング提督のようなD級がイレギュラーなのです。その圧倒的過ぎる力に、ヤーグベルテの国民の目は眩んだ。ですが、グリエール提督の件でわかったでしょう? ディーヴァは永遠ではないのです。不測の事態をで終わらせないための安全装置フェイルセイフの役割を、あなたに担ってもらう必要があると、我々参謀部は考えました」

「つらいのはわかります」


 レベッカは静かに言った。


「ですが、アーシュオンとの戦争が終わらない以上、誰かがそれをやらねばなりません。あなたなら私たち以上に良い指揮官になるでしょう」


 逃げられない――エディタは直感する。どうあってもこの立場からは逃げられない。いずれ来る可能性、その未来から逃げられない。


「エディタ・レスコ中尉」


 レベッカは敢えてそう呼んだ。


「この責任を負うことができぬというのなら、逃げ出しなさい」

「いえ」


 エディタは即座に首を振る。


「私が逃げても、他の誰かがやることになるのでしょう。だから、私は逃げません」

「仲間のため?」

「肯定です」


 エディタは視線を上げてレベッカを睨んだ。レベッカは眼鏡のレンズの奥に、その表情を隠す。


「では、マリア、以後そのようにしてください」

「承知しました、提督」


 マリアは淡々と、そう応じた。

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