#08-4:フランベルジュ
驕りと怠慢と自己犠牲
ASAによる襲撃から二週間後、二〇九五年九月――。
レベッカは、新型の巡洋戦艦エリニュスのコアウェポンモジュールの最終調整作業を行っていた。
「一段落……と」
呟きながら、セイレネスからログアウトし、傍らに置いてあったスポーツドリンクに口を付けた。保冷タンブラーに入っていたおかげで、それはまだほんのり冷たかった。仄かに明るくなった部屋の中で腕時計を確認すると、まもなく日付の変わるところだった。レベッカは慌ててドックのセイレネス調整室に音声通信のリクエストを投げる。
『はい、調整室ー』
「ブルクハルト教官、すみません!」
『んー?』
そののんびりした応答の主はブルクハルト中佐その人だ。
「こんな時間までお付き合いさせてしまって、本当に申し訳ありません」
『あ? ああ、ほんとだ』
ブルクハルトはそう言って少し笑った。
『気にしないでいいよ。アシスタントたちはみんな帰ってもらってるし、調整任務で残ってるのは僕だけだ。今週はずっと定時で帰らせてもらってたから、まぁ、大丈夫さ』
「それでも、すみません……」
レベッカは恐縮頻りに謝罪を繰り返す。
『君は本当に真面目だねぇ、アーメリング中将閣下』
「もう! 教官にそう呼ばれるとちょっと気恥ずかしいです」
『ははは! でも、君たちのおかげで僕は今や中佐殿だ。誰にも文句言われずに好きなことをしていられるのも、この立場にいられるおかげなのさ』
ブルクハルトはあっけらかんとした口調で応じる。本当に疲労を感じている様子がない。これが技術屋という人々の能力なのか、などと、レベッカは妙な方向の感心をした。
「でも、中佐以外にこれをどうにかできる人がいるとは」
『そう思うかい? でもね、そんなことはないはずなんだよ』
ブルクハルトは「あちっ」という声を挟んで、続けた。
『確かに、少なくともこの国では、僕以上の技術者はいないだろうね。でも、僕が今急に過労死したとしても、なんとか回るのが組織というものなんだよ。どんなに特殊な能力の持ち主だろうが、才能の持ち主だろうが、その人なしで絶対に立ち行かなくなるなんてことは、絶対にない。本人がそう思っているとしたらそれは単なる驕りだし、周囲がそう思っているのだとしたらそれは単なる怠慢なんだ』
「驕りと、怠慢……」
レベッカは考え込んでしまう。
『僕も君も、畑は違うけど、ある意味では技術屋という点では同じさ。そのプロ意識も、ジレンマも、多分僕たちは共有しているんだ』
「共有?」
『そう。君たちはトリガーを引く。君たちが破壊する。それは事実だ。でもね、そのトリガーも何もかも、それをそのような形に作り上げ維持し、殺傷効率を向上させているのは、僕ら裏方方面の技術屋なんだ。だから、僕らは味方の、国のために、最大効率の破壊兵器を作ろうと尽力している。それが敵を殺し、君たちの心を傷付けるとわかっていても、僕らはその仕事をやめないし、やめる気もない』
明快なブルクハルトの口調には、迷いのようなものは微塵もない。
『僕のチームが目指しているのは、君やヴェーラがもっと気軽に休める環境を作ることなんだ』
「でもそれではエディタたちが……」
『自己犠牲は美しくないよ、レベッカ』
ブルクハルトの声音は、いつも通りに飄々としている。だが、その言葉はレベッカの胸に突き刺さった。
『さっきの驕りと怠慢の話に戻るけど、そういうのを生み出す原因の一つが、その当事者による自己犠牲の精神なんだ。自分さえ我慢すれば、後輩たちにはこんな思いをさせるわけにはいかない、自分ならこの状況をどうにかできる……その傲慢な考えがね、自己の増長と、周囲の怠慢を煽っていくんだ』
「教官……」
『信じることだよ。君の周りの人を。一人で抱え込むのは、決して良い結果を生まない。何かが起きた時に悲しむのは、君の事を信じていた人たちなんだよ。だから、その人たちのためにも、君もまた、信じるべきなんだ』
ブルクハルトの言葉を受け、レベッカはうなだれる。
『人を信じるのは案外簡単さ。自分に自信を持てばいい。それだけさ』
「自分に自信を持つ? でも、私は」
『急ぐ必要はないさ。さて、データの整理も済んだし。そろそろ帰ろうと思うよ』
「あ、はい。今日は遅くまでありがとうございました」
レベッカはタンブラーの蓋を閉めながら頭を下げた。そして音声通信を切ってコア連結室から出る。廊下の空調はほとんど切られていて、そのために空気は重苦しく湿っていた。
艦橋に行こうとしてエレベータに乗ったその直後に、レベッカの端末にメッセージが届いた旨の通知があった。
「こんな時間に……」
差出人はヴェーラだった。
「え……?」
レベッカの顔から血の気が引く。
「うそ、何言ってるの……」
エレベータが艦橋に到着する。ドアが開くと、その前にはマリアが立っていた。レベッカと同じように、携帯端末を手にして、青い顔をしていた。
「マリア、早く乗って」
「は、はい」
マリアが乗り込むとすぐに、エレベータは下に向かって緩やかに落ち始める。
「姉様、これは……」
「急ぎましょう」
レベッカはもどかし気にエレベータの階数表示を睨む。そして再び携帯端末に視線を移す。そこにある文言は、何度見ても変わらない。
『ありがとう。さようなら。ごめんなさい』
その文字列が、滲む――。
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