夏の星座と、警鐘
車中では、ヴェーラもレベッカも、終始無言を貫いた。家に送り届けた時も、レベッカからは「おやすみなさい」という一言があったが、ヴェーラは俯いたまま家に入って行ってしまった。
近くのコンビニの駐車場に車を停め、マリアはハンドルにもたれかかる。ライトが消え、エンジンが省エネモードに切り替わる。フロントガラスに音楽の再生リストが投影表示され、社内を淡い青色に照らし上げる。
「今は音楽を聴く気分じゃないのよ……」
マリアが掠れた声で呟くと、再生リストが透き通るようなジングルを鳴らして消える。駐車場には他に車はなく、コンビニ内にも客の姿はない。ここは無人化店舗なので、マリアの視界内には人間の姿は一つもなかった。
透明度の高いフロントガラスの向こうには、一際に赤い恒星――アンタレスが輝いていた。視線を少し動かせば、アンタレスを含む
十分少々の間、マリアは運転の主導権を握り続けた。今は何かに集中していたい気分だったからだ。とはいえ、真夜中に差し掛かろうという時分、ほかに車の姿はなく、歩行者も見当たらない。月の姿さえ見当たらず、街灯と信号機が眩しく輝いているくらいである。
目的地に着くと、マリアは迷わず車から降り、そしてドアに寄りかかる。人感センサー搭載型の自動販売機が忌々しいほどの明るさを振りまき、マリアは思わず舌打ちした。
「確か、こっちに……」
マリアは空を見上げる。眩暈がするほどに晴れ渡り、透き通った暗黒が広がっていた。目を細めたくなるほどに存在を主張する星々が、燦然と空一面に輝いている。マリアは想像以上の数の星々にやや面食らいながら、それでも数分後には目的の星を探し出す。
「夏の大三角、か」
となると、
「見えなくとも、そこに壁はあるものね」
マリアは自動販売機の方へと向かい、少々乱暴に缶コーヒーのボタンを押した。ポケットの中の携帯端末が、支払い完了をアピールしてわずかに震えた。
「もういいわよ、消えて」
マリアが言うと、自動販売機は照明を一段階暗くした。少し驚いたマリアは、自動販売機をぽんと小突いて、そして周囲を一度見まわしてから、言った。
「もうお客は誰もいないわ。もっと暗くなっていいわよ」
自動販売機は何も答えず、しかし気持ち照明を落としたようだった。マリアは小さく笑い、コーヒーの缶を開ける。歩きながら口を付けると、冷たい液体が喉から胃へと伝っていき、少しだけ気分が晴れた。
「私はいったい、なんのためにここにいるのだろう」
ぽつんと置かれたベンチに座って、マリアは思う。呟いた声は煌く空に吸い込まれて消えて行く。
ARMIAとして目覚めてからもう八年。しかし、ジョルジュ・ベルリオーズからは直接的には何のコンタクトもない。何をしろとも言われない。ただ、放り出されただけだ。いろいろな可能性は考えたものの、マリアの頭脳を以てしても、ベルリオーズが何を考えているのかを見通すことはできなかった。だからマリアは、自分の心の赴くままに、ヴェーラとレベッカに接近し、認識を合わせ、感情の共有まで行ってきた。そしてそこには、嘘や偽りの類は一つもない。――少なくともマリアは、そう信じている。
ただ、マリアは知っている。ほんの少し先の未来を、マリアは知っているのだ。そしてそれは、マリアには受け入れ
「ジョルジュ・ベルリオーズ、アトラク=ナクア、ツァトゥグァ……か」
マリアは呟くなり立ち上がった。その目は今まで自分が座っていたベンチを睨んでいる。
「それが私の運命だというのならば、抗う。わかっているでしょう、銀髪の悪魔」
「ふふふ、気付かれちゃった?」
ベンチにはアトラク=ナクアが座っていた。銀の髪、赤茶の瞳、白い肌――。だが、それ以上の情報は脳が受け入れを拒否する容姿。マリアはコーヒーを飲み干すと、その缶をアトラク=ナクアに投げ渡した。銀の悪魔はそれを受け取ると、息を吹きかけた。その瞬間に缶は灰になり、突然吹いた風に流されて消えて行った。
「私はあなたのシナリオには乗らない」
「でもね、マリア。残念ながら、今のところはシナリオ通りよ?」
「それを運命だとあなたがたは言うけれど、違う。私が私の意志で選んだ未来、それが今」
「ふふ、思い通りには行ってないようだけれど?」
その揶揄に、マリアは沈黙する。表情を消してはいたが、その両手はしっかりと握りしめられていた。それを見て取って、アトラク=ナクアは微笑する。
「
悪魔は静かに
「玄黄天地、森羅万象。全てがそうなるようにできているのよ。あなたという特殊な存在も、確かに特殊であることは認めるけれど、世界というスケールで見ればあまりにも小さな存在。
「そう、なら、私のような者に干渉するのも無駄なのではないかしら」
「僅かなゆらぎから宇宙が生じることもあるわ」
アトラク=ナクアは微笑む。マリアは冷徹なほどに無表情だ。
「いずれにせよ」
アトラク=ナクアはゆらりと立ち上がる。風もないのに銀の髪が
「あなたが
「でも、私は抗う。あなたたちの好きにはさせない」
「そう?」
悪魔は凄絶に微笑する。
「できるかしら、あなたのような、人形に」
「……連綿たる歴史の中で、人間はあなたに
「なればそれが叶うと?」
「
マリアは右の口角を吊り上げた。しかし、その目は全く感情を伴っていない。アトラク=ナクアはまた微笑んだ。その勝ち誇った表情には、一切のゆらぎがない。
「うふふふ、叶うと良いわね」
「……なに?」
マリアは怖気を感じて、思わず自分の両肩を抱いた。その間に、アトラク=ナクアは銀色のきらめきと名状し難い甘い気配を残し、消え去ってしまっている。
せいぜい、気を付けておくことね――。
不吉な言葉が、マリアの意識の中に
「私は人形じゃ、ない」
マリアは膝に肘をつき、頭を抱えた。
ああ、嫌な予感がする――。
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