#08:セルフィッシュ・スタンド

#08-1:夜の内側で

静かな夜を迎えて

 エイブラハム市潰滅から三ヶ月後、二〇九五年四月――。ヤーグベルテ統合首都に於いては初春の頃である。


 ヴェーラとレベッカは、中将への昇進を果たしていた。これにて名実ともに一個艦隊の総司令官として認められたということになる。


「三十万も死なせておいて昇進とはね。この国はどうにかしてるよ」


 帰宅するなり、ヴェーラは上着を脱いでソファに深々と座り込んだ。レベッカはその放置された上着をハンガーに掛け、自らも上着を脱ぐ。そこでレベッカははたと気がついて、ヴェーラの上着のポケットを探った。


「忘れてるわよ、薬」

「あっ」


 ヴェーラは慌てて立ち上がると、レベッカからピルケースを受け取った。そして一度に口の中に放り込む。レベッカは急いでキッチンに行って水を持って戻ってくる。


「水の準備をしてから飲みなさいよ」

「ベッキーが持ってきてくれると思ってさ」

「もうっ!」


 ヴェーラは水を飲み干すと再びソファに腰を落ち着けた。レベッカも斜向かいのソファに座って足を組む。ヴェーラは空になったピルケースを弄びながら呟く。


「薬が効いてるうちは、まだいいのかもしれないねぇ」

「要らなくなるのがベストなんだけど……」


 それは難しいだろう、と、レベッカは思う。ヴェーラの精神は、もう手が付けられないほどにボロボロなのだ。対症療法で、心の力を阻止限界点ギリギリの所に留め置いているに過ぎない。ヴェーラは自我を保つのに、日々必死なのだ。レベッカやカティが必死に引き上げ続けて、ようやく何とか自立しているのに過ぎない。


「ベッキーとカティには毎日感謝してるんだよ、わたしは」

「そんなことは別にどうでもいいのだけど」


 レベッカは少し怒ったような口調で応じる。ヴェーラは「ううん」と唸りながら時計を見た。午後七時少し前だ。


「ねぇ、ベッキー。おなかすいた」

「私はあなたのお母さんじゃないわよ?」


 でもそうね、と、レベッカはキッチンの方へ向かい、冷蔵庫の中を物色し始める。


「ヴェーラ、哀しいお知らせ。買い出し忘れていたわ」

「えーっ」

「えー、じゃないでしょ。あなただって忘れてたくせに」


 レベッカは腕組みをして、点いていないテレビの方を睨み、しばらくしてから「しょうがないわね」と肩を竦めた。


「ピザとかどうかしら?」

「ピザ! ピザいいね!」


 途端に元気になるヴェーラである。レベッカはその豹変ぶりに小さく吹き出す。


「あなたの『ピザいいね!』、久しぶりに聞いたわ」

「そ、そぉ?」


 おどけてから、ヴェーラはケラケラと笑った。レベッカもつられて笑う。薬が効果を発揮し始めると、ヴェーラは目に見えて明るくなる。ヴェーラはさっそくピザのデリバリを依頼し、満足げに電話を切った。


「すぐ来るってさ」

「じゃ、コーヒーでも飲んで待ちましょ。インスタントでいい?」


 レベッカは形式上そう尋ねたが、その時には既にカップにお湯を注ぎ始めている。ヴェーラも特にこだわりはなかったので、携帯端末でネットの情報を眺めつつ、「うん」と気のない返事をした。


 コーヒーを持ってきたレベッカは、ヴェーラの隣に腰を下ろす。


「わざわざ隣に来なくても」

「いいじゃない、たまには」


 レベッカはカップに口を付け、ゆっくりと息を吐いた。ヴェーラも同じようにして、カップをテーブルに戻す。その目は斜向かいにある、いつもエディットが座っていたソファの方を向いている。


「エディットがいたときは、いつもこんなふうに座っていたっけ」

「そうね」


 懐かしいな、と、ヴェーラはまたコーヒーを飲んだ。


「今でもさ、『あー疲れた! お酒お酒!』とか言いながら帰ってくるんじゃないかなって、思うことがあるよ」

「そうね……」


 レベッカはあの日の事を思い出す。赤く染まった雪の日。エディットが永遠に失われてしまったあの日。目の前で奪われた命――。あの時あの場所に居合わせていなかったら、今でももしかしたらその死を受け入れることはできていなかったかもしれない。


 その時、ヴェーラの携帯端末に着信があった。


「マリア?」

『こんばんは、ヴェーラ姉様。ご自宅にいらっしゃいますか?』

「うん。どうしたの?」

『今、近くまで来ているのですが、少し立ち寄ってもよろしいですか?』

「どういう用件?」

『仕事の話ではありません。おいしいロールケーキが手に入ったんです。それで』

「おいでー」


 ヴェーラはマリアの言葉を遮り、テンション高くそう言った。レベッカはいぶかし気な視線を向けつつ、コーヒーを飲み干す。


 数分後、マリアがピザを持ってやってきた。


「そこで鉢合わせしたので。お会計も済ませておきましたよ。あ、お代は結構です」

「そんなわけにはいきません」


 レベッカがピザを受け取りながら首を振る。ヴェーラはお土産のロールケーキの箱を鼻歌交じりに受け取って、マリアを中へといざなった。


「良いワイン開けるから、それでチャラにしてくれる?」

「もう、ヴェーラったら……」


 レベッカは諫めようとしたが、マリアは「もちろん」とあっさりと了承してしまう。勢いを殺されたレベッカは、首を振りつつピザの箱をテーブルに置いた。




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