#07-2:環視の内の救済

あなたの救いは。

 少女が絶命したまさにその瞬間に、核弾頭は起爆した。ヴェーラが動いた時には既に、限界地点をとうに過ぎていた。いや、レベッカがその身を晒したその時には、少女のは決まっていたのだ。


 黄昏の頃のエイブラハム市の上空に、光の環が閃いた。一瞬遅れて広がった金色の爆炎が、その大都市を襲う。巻き上げられた建物や道路が巨大な津波と化す。中心部から外縁部へと、その黒灰色の波はあらゆるものを破壊して突き進む。


「くっそぉぉぉぉぉ!」


 その状況を目にしても、未だヴェーラは諦めていない。白一色の論理空間から、エイブラハム市の上空に視点の移動を完了させている。


『ヴェーラ、無茶しないで!』

「無茶でも何でも、しなきゃならないんだ、今は!」


 弾幕が通じる手合いでもなければ、起爆してしまった以上もはや論理層では何ができるわけでもない。自分に残されているのは、セイレネスそのもの――意志の力だけだ。


「ベッキー、手伝って!」


 核の炎が驚くほど緩慢に拡がっていく。ヴェーラはそれを精神力だけで抑え込もうとしているのだ。


『無茶よ!』

「わたしは、やることやってから後悔したい!」


 精神がける。心がける。ヴェーラは奥歯を噛み締める。物理実体の方は、もしかしたら歯が欠けたかもしれない。だが、そんなことはどうでも良かった。いまするべきことは、被害を減らすこと。そしてそれができるのは、ヴェーラたち歌姫セイレーン以外にはいない。


『提督、こちらも手が空きました!』

「エディタか! 助かる、手伝って!」


 時間はもうない。爆炎は最大域まで広がった。都市はもはや焼け野原だ。


 次に来るのは……吹き戻しだ。吹き戻しが最大威力で発動してしまえば、助かる人も助からない。十万気圧の嵐の中に放り込まれるようなものだからだ。


 せめてそれだけでも押さえ込みたい!


 ヴェーラはその旨を全員に伝える。しかし、誰もが無言だった。ヴェーラは舌打ちする。


「君たちの想いとか予測とかどうでもいい。今はわたしに力を貸して! それだけでいい!」


 ヴェーラの血を吐くようなその言葉を受けて、ようやくレベッカが反応する。


『全員、力を合わせて。何の媒体もないから厳しいけれど、それでも何もできないほど無力ではないはずよ!』

「ベッキー……!」

『行きます! ヴェーラ、あなたに全て預ける!』


 ヴェーラの認識力が急速に拡張されていく。人々の亡骸、断末魔、呪詛、苦痛、嘆き、絶望……それら全てのネガティヴな情報が、一気にヴェーラに流れ込んでくる。


「うあああああああああああああああっ!」


 ヴェーラが絶叫する。


 負けない。絶対に負けない。今は、負けられない。


 ヴェーラの叫びは続く。


 一人でも救う。一人でも救いたい。一人でも救わなければならない。


 心がズタズタに傷付けられる。記憶が灼ける。意識が飛び始める。


『ヴェーラ、押さえたわ! 吹き戻しが消えたッ!』

「……そう、か」


 ヴェーラは燃え盛る大都市を呆然と見下ろしている。太陽のオレンジ色の輝きは、その都市を焼く炎を嫌味なほど鮮烈に照らしあげている。


「エディタ、被害状況をまとめて」

『承知しました。ハンナ班、至急対応して』

『了解です』


 都市が一つ喪われたことは、一目で分かった。エイブラハム市には、もはや人の営みはあり得ない。建物は根こそぎ破壊され、インフラも蒸発した。放射性物質にまみれ、その規模の大きさから除染どころの騒ぎではない。


『エディタ先輩、情報集まりました。でも、あの』

『どうした、ハンナ。報告急げ』

『あ、はい。推定死者数……三十万』

「えっ……!」


 ヴェーラが絶句する。


「三十万って言ったのか、ハンナ」

『こ、肯定です、グリエール提督』

「クソっ! みすみすやらせてしまったっ……!」


 眼下に広がる地獄絵図を見れば、三十万という数値が決して誇張ではないことくらいはわかる。避難する暇もなかったことくらいはわかっている。だが、もう少し。もう少し何とかならなかったのか――ヴェーラは切れるほど唇を噛んだ。


 数秒の後、レベッカの『あなたのせいじゃない』という声がヴェーラに届く。ヴェーラは眼下を這い回る赤い物体の群れを見て、奥歯を噛み締め、拳を握りしめる。


「わたしのせいじゃない? ああ、そうだよ、わたしのせいじゃない。でも、わたしの力がもっとあれば。わたしがもっと冷徹であれば。わたしはさっさとを殺し、被害をもっともっと抑えることができていたはずなんだ!」


 ヴェーラは歯を噛み締め唸りながら、その髪を掻きむしる。その姿は誰にも見ることはできなかったが、セイレネスを発動している誰もが明瞭に感じ取っていた。レベッカがたまらず強い調子で命令した。


『ヴェーラ、セイレネスからログアウトして』

「……わかった」


 ヴェーラは意識を物理実体の方に引き戻す。その直後、ヴェーラの携帯端末に着信が入った。レベッカだ。


『あなたの責任なんてない。一つもない』


 開口一番に、レベッカはそう言った。ヴェーラは無言で闇の中に佇んでいる。


『私があんな無駄なことをしさえしなければ、もしかしたら』

「そんな過程はどうだっていいんだ。わたしは君たちのやりとりをただ見ていた。手を下さなかった。その時点で、それはわたしの罪だ」

『そんなことは――』

「君は綺麗なままでいたら良い。いや、そうあって欲しいんだ」

『そんな……!』


 レベッカが言葉を失う。沈黙の時間が過ぎる。


『ヴェーラ……?』

「ごめん、今のわたしは、君に言うべき言葉を見つけられない」

『ヴェーラ――』


 ヴェーラは通話を強制的に終了させ、携帯端末をポケットにしまった。そしてコア連結室の扉を開けて、そして固まった。ドアの向こうの廊下の壁に、マリアが背を預けて立っていたからだ。


「ずっと……いたの?」

「ええ。ずっといました」


 マリアはその黒い瞳でじっとヴェーラを見つめる。まるで蛇に睨まれた蛙のように、ヴェーラは硬直してしまう。


「わたしを責めるのだろう?」

「まさか」


 マリアは静かに首を振る。


「姉様は八十五万人を救った。それが事実です」

「三十万人死なせたんだよ」

「いいえ」


 マリアはまた首を振る。


「あなたがあの時諦めていたら、文字通り全滅していたかもしれません。それに、分析の結果、エイブラハム市周辺には、放射性物質は一切検出されませんでした。セイレネスにより非核化することに成功したからです」

「そう……なんだ」

「ええ」


 マリアは頷き、壁から背を離した。


「姉様に罪なんてない。あれら全てはアーシュオンの罪です。姉様は失われていたはずの数十万の命を救った。讃えられこそすれ、咎人とがびととして責を問われる所以ゆえんなど一つもありません」

「でも……!」

「誇りを。ご自分の行為おこないに対する誇りを。さもなくば失われた三十万の命が浮かばれません」


 マリアの両手がヴェーラの肩を掴む。そこから伝わる温かさが辛くて、ヴェーラはたまらず落涙した。


「ねぇ、マリア。教えてよ。わたしはなんのためにここにいるの。わたしはいったいどうして、こんな力をもっているんだろう。どうして普通の女ではいられなかったんだろう」


 ヴェーラの揺らぐ空色の瞳が、マリアを見つめる。マリアはその目を見つめ返し、そしておもむろにヴェーラの背中に手を回し、抱いた。


「私にはその問いに答える権限がありません。でも、姉様はここにいて良いのです。ここにいるべきなのです。いえ、私も、レベッカ姉様も、あなたにいてもらわなければ困るのです」

「わたしは……つらいんだ」


 ヴェーラはマリアを抱き締め、そう呟いた。マリアは何度も頷く。


「私は姉様、あなたと共にあります。何があっても」


 二人は数秒の間、黙って互いのぬくもりを感じ合った。やがて、ヴェーラが掠れた声で囁く。


「君はいったい、何者なの?」

「私は――」


 マリアは静かに言葉を探す。


「あなたの味方です」


 そう答えたマリアの顔は、そこはかとなく哀し気だった。

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