#06:ザ・ソリスト
#06-1:セラフの卵
マリアとの出会い
そして、M型が初めて戦場に出てきてから三ヶ月後、二〇九四年十月――。士官学校では新年度が始まっていた。歌姫養成科三期生が入学し、幾分落ち着いてきた頃合いである。
訓練を全て終えたエディタは独り、売店前のロビーにて、のんびりと携帯音楽プレイヤーを眺めていた。聴いているわけではない。ただ、新たに購入した曲目リストをぼんやりと眺めているだけだ。今日はなんとなく、ここでこうして時間をつぶしたい気分になっていた。
「あら、新曲ね」
突然降ってきたその声に、エディタは跳び上がらんばかりに驚いた。いつ現れたのかわからないが、とにかくも目の前に軍帽に軍服姿の女性が立っていて、エディタの手元を覗き込んでいた。その容姿は端麗で、まるでヴェーラやレベッカのような、圧倒的な強さを内包していた。
「隣、いいかしら?」
「えっ、あ、はい、もちろんです」
エディタはその将校の襟にあった大佐の階級章を見て、弾かれたように立ち上がった。が、その女性大佐に肩を軽く押されて、座らされる。
「あなたが立ったら意味ないじゃない?」
「え……はい」
エディタの隣に腰を下ろし、大佐は足を組み、上半身をこころなしかエディタの方に向けた。
「そう緊張しなくていいわ。取って食べたりしないから」
大佐は軍帽を取り、微笑んだ。黒髪に透き通るような白い肌が印象的だった。瞳の色もほとんど黒に近い褐色で、深い。その微笑は、ヴェーラのような美しさと深淵さを兼ね備えており、表現するならば畏怖すべき美麗さである。
「私はマリア・カワセ。大佐待遇ではあるけれど、所詮はホメロスの雇われ参謀だから。気にする必要はないわ」
「えと、自分は――」
「エディタ・レスコ。知っているわ」
マリアは微笑む。エディタはその顔から視線を動かせない。その圧倒的にしなやかな美しさに、完全に捕らわれていた。
「所属は第一および第二艦隊。与えられた任務は、二人の
「こ、肯定です」
「ええ、知ってるもの」
マリアはエディタから視線を外す。そうしてようやく、エディタも身体の自由が利くようになった。エディタは意識を集中して、マリアという人物が一体何者なのかを探ろうとする。ヴェーラほどではないにしても、エディタも一種の読心術のような能力を有している。
「ふふ、私の心は読めないと思うわよ。あなたの力ではね」
口調も表情も穏やかではあったが、その言葉はまぎれもない警告だった。エディタの掌がじっとりと湿度を帯びる。
「ところでこれから時間は確保できる? 後日でもいいのだけれど」
「大丈夫です。もう寮に帰るだけですから」
「よかった。じゃぁ、付き合ってもらえるかしら」
マリアはそう言うなり立ち上がり、エディタに向かって右手を差し出した。エディタはその華奢で冷たい手を取り、立ち上がる。マリアは自然な動作でエディタの手を握り直し、手を繋いだ状態のまま歩き始めた。
「え、あの……」
「どうしたの?」
マリアは顔も向けずに問いかける。エディタは何も言えず、黙り込む。マリアはついと口角を上げた。
「人肌もたまにはいいでしょ。それとも嫌?」
「いえ、そのような」
大佐という雲上人を相手に、否と言えるはずもなく。エディタは冷や汗をかきながら否定する。マリアは小さく肩を竦める。
「誰かと手を繋ぐのは初めて?」
「小学校以来……です、たぶん」
エディタはマリアに後れを取るわけにもいかず、手を繋いで並んで歩いている。マリアは小さく笑う。
「あの、カワセ大佐、どちらへ?」
「シミュレータルーム。お話するならあの部屋が一番落ち着くでしょう?」
マリアは至極当然のことのようにそう言って、慣れた様子で歩いて行く。
「ヴェーラとレベッカの件なんだけど」
周囲に耳目がないことを確認しながら、マリアは声を潜める。
「あまり気負い過ぎないように。そもそも、十八歳になるかならないかのあなたに、あの二人を任せようだなんて、参謀部もどうかしている」
「自分には……結局何も」
「いいのよ。参謀部はともかく、軍部は対策を打ったというアリバイを作りたいだけだから」
マリアはやや棘のある口調でそう言い、少しだけエディタの手を握る力を強めた。
「特にね、ヴェーラは、あなたの手に負える人じゃないわ。あの子の抱える闇に打ち勝てるのはレベッカだけよ。二人はそのために二人でいるんだから。あなたは二人が求めた時に、二人を助ければいい。それまでは首を突っ込んではダメよ、決して」
「大佐はいったい、どういう」
「ああ、言っていなかったわね」
マリアはシミュレータルームの扉を開けながら、頷いた。
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