量産型ナイアーラトテップ
その戦闘から四ヶ月後、二〇九四年六月――。
ヒトエ・ミツザキ大佐は自分のデスクに腰掛けながら、コーヒーを飲んでいた。ミツザキの目の前にあるソファには、マーナガルムの三人がだらしなく座っていた。
「いよいよ量産、ですか」
シルビアは穏やかならぬ表情でその言葉を繰り返した。
「あんなものを――」
「ゲテモノであることは否定せんがな」
ミツザキはニヤリと口角を上げながらそう言った。
「そもそも、ナイアーラトテップというのは必殺の兵器であり、無敵の要塞であるべきだった。だが、それが今や三分で沈められてしまう。これではさすがに調達コストに見合わない」
「でもさ、大佐。量産型って、性能は? 弱くなるんだったら――」
「飽和攻撃を行うための、消耗前提の特攻兵器ということになる」
クリスティアンの言葉に被せるように、ミツザキは言う。思わず表情を険しくしたのはフォアサイトである。
「特攻兵器?」
「ああ。だが、コアウェポン自体は基本的には損耗しない。あくまで壊されるのは量産型ナイアーラトテップのみだ……というのが建前だ」
「建前?」
マーナガルム隊三人の声が揃う。ミツザキはコーヒーカップを傍らに置き、机から降りた。
「ハーゼス少佐……シルビアと呼んでも構わないか?」
「ご自由に」
シルビアの感情の抜け落ちたような回答に、ミツザキは「フフ」と小さく笑う。シルビアはやや不愉快そうにミツザキを見たが、何も言わなかった。
「ではシルビア。ナイアーラトテップのコアウェポン。どんなものだかわかるか?」
「いえ。ただ、あれが遠隔操作であるという事は聞いたことがあります。となればそれは遠隔操作を行う人物、または、それに付随する設備ということになるかと」
「正解だ。正確には、設備も含めたショゴスということになる」
「ショゴス?」
「そうだ。ショゴスは、素質者という意味で使われている。ヤーグベルテではセイレーンと呼ばれてているのだが」
ミツザキは律義にそう説明し、また赤茶の瞳を細めた。天井灯の輝きを反射するその瞳には、妖しい揺らぎがある。シルビアは思わず息を飲む。
「ともかく、それらをひっくるめた、最低運用単位の事をコアウェポンと呼んでいる。基本的には彼女らによる遠隔戦闘であるから、もちろん人的な損耗はない。ないのだが、ヤーグベルテのセイレーン、ヴェーラ・グリエールとレベッカ・アーメリングが相手では、まったく話にならない。どころか、先方はこちらのショゴスの脳を超過負荷攻撃でもって、赤子の手をひねるかのようにいとも容易く破壊する。苦労して養成したショゴスの損耗は、もはや二桁に達している」
「二桁……ということは」
「そうだ、シルビア。海戦で撃破されたナイアーラトテップ、その全てのショゴスが脳を焼き切られた。肉体的に生存している者もいるが、もはや意識は戻らん」
ミツザキは冷淡な口調でそう言ったが、いささか憤然としているようにも見えた。クリスティアンが頬を引っ掻きつつミツザキを斜に見た。
「ってことは……量産したところで、動かせる人間が確保できねーんじゃ?」
「そういうことだ。いや、そういうことだった」
ミツザキは腰の後ろで手を組み、軍靴の音も高らかに、シルビアの背後に移動した。そして上半身を倒し、シルビアの右耳に向けて囁く。
「先方のセイレーンが頑張れば頑張るほど、後天的ショゴスが大量発生するという事実を突き止めたのだよ、我々は」
「それはつまり――」
シルビアは、キスできてしまいそうなほどにすぐそばにあるミツザキの顔を見る。冷気さえ感じられるほどに冷たいその表情に、シルビアは圧倒される。
「人材こそまさに使い捨てにできる、ということだ」
「でも、ハードウェアは」
フォアサイトが顎に手をやりながら口を挟む。
「ソフトもハードも……ああ、そういうことですか、大佐。量産型ナイアーラトテップは、飽和攻撃のためだけのハリボテと」
「そういうことだ。ナイアーラトテップとは名ばかりの、強化プラスティックの円盤に、旧型のディーゼルエンジンを積み込んだだけの代物に過ぎん」
ミツザキは冷たく微笑する。
「だが、それでもナイアーラトテップはナイアーラトテップ。二、三隻もいれば、通常艦隊程度なら十分に相手ができる。そして同時多発的に、かつ波状的に攻撃を仕掛ければ、ヤーグベルテの二名のセイレーンは疲弊し、通常艦隊も四風飛行隊も漸減していく。そのために、週一隻のペースで、
「すっげー予算!」
クリスティアンが口笛を吹く。ミツザキは冷たい視線で一瞥し、吐き捨てるように応じた。
「大部分のハードウェアはジャンクの寄せ集めだし、ソフトウェアを集めるのにはメール一通分の通信コストしかかからないからな」
「メール一通分……」
シルビアが鋭い視線でミツザキを見る。ミツザキは軍帽を弄ぶ。
「古典的に言うと、召集令状という奴だ」
「しかし、育成には時間がかかるのでは……」
「そこそこ使えるようにするためには訓練期間は必要だが、今後、ショゴスの才覚のある者は増えていくと予測されている。育成したところで、戦場でセイレーンと遭遇すれば死ぬ。だから、そんなコストはかけない。合理的な判断というところだ」
「しかしそれでは――」
「
シルビアは開いた口が塞がらない。ミツザキはゆっくりと自席に戻り、デスクチェアに深々と腰を下ろした。
「業の深い国家だと思うよ、我が国は」
「しかしそれではあまりにも」
「シルビア、貴様の気持ちは理解できないではない。だがな、我が国、我が軍は、あのフォイエルバッハすら処刑した国だ。ショゴスの存在すら我らがアーシュオンは認めぬよ。あれはあくまでも無人兵器であり、貴重な人的損耗を防ぐ最良の攻撃ツールに過ぎんのだ」
「ですが、ショゴスと呼ばれる者たちは……」
「彼女らは召集令状一つで集められた、ただの少女だ。世間的には無名の少女に過ぎない。彼女らの親兄弟が声を上げることは許されない。そもそも極秘任務扱いなのだから、彼女らの生死すら親兄弟は知ることはできない」
その冷徹な事実の通達に、シルビアたちは顔を見合わせる。ミツザキは腕を組み、背もたれに体重を預けた。
「人権がどうのなど、今さら言ってくれるな。彼女らは国家のために生まれ、国家のために死ぬ。それだけだ。そしておそらく、ヤーグベルテのセイレーンたちにしても、同じだ」
「あまりに不憫過ぎやしませんかね」
クリスティアンが顔を歪める。
「敵に同情するわけじゃねぇけど、セイレネスを使えるあいつらは、国家にとっては貴重だし、軍としてもこれ以上ないくらいに助けられているはずだろ。なのにそんな扱いされたら、たまんねぇよ」
「そうだな」
ミツザキは目を閉じる。軍帽を右手でくるりと回し、被りなおす。
「だが、これが現実だ。その結果、未来に何が起きるのかは――」
そう言って立ち上がり、背後の窓の方へと身体を向ける。
「――そのための布石はもうあれこれと、な」
不吉に呟くその低い声に、シルビアたちはまた険しい顔を見合わせた。
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