ハーディとの対話

 はたと気付けば、そこはセイレネスシミュレータの中だった。天蓋が開いていて、トリーネが心配そうな顔で覗き込んでいる。


「大丈夫?」

「ああ、多分……。どのくらいこうしてた?」

「蓋が開いてからは一分も経ってないと思う」


 トリーネの助けを借りて、エディタは筐体から出た。クララとテレサもそばにいて、口々に「大丈夫?」と尋ねてくる。モニタルームのブルクハルト中佐は何かのデータをチェックしている様子だった。


「ところでクララ、さっきの――」

「胃腸薬とか風邪薬とかじゃないの?」


 トリーネが二人の間に割って入る。


「クララも噂レベルの真偽も曖昧なことを言わないのよ。クワイア級のみんなも心配するわ」

 

 そう言って、エディタに目配せするトリーネ。トリーネの視線を追うと、モニタルーム内にハーディ中佐の姿が見えた。ハーディは扉を開けて、エディタたちのいる空間へと移動してくる。


「エディタ、あなたに少し話があるわ」

「じ、自分だけですか?」

「そう、あなただけよ」


 ハーディは眼鏡のフレームに軽く手を触れつつ、平坦な口調で肯定する。空気を読んだ三名が、顔を見合わせつつ部屋を出て行った。ドアが閉まるのを見届けて、ハーディは筐体の一つに寄りかかる。エディタは二メートルほどの距離を開けて、ハーディの真正面に立っていた。


「V級首席のあなたにだけは開示しましょう。ヴェーラ・グリエール提督が精神安定剤を服用しているのは事実です」


 なんだそんなことかとエディタは思った。別に珍しい話ではない。


 ハーディはしばらく無言でエディタを眺めていたが、やがて重苦しく情報を付け加える。


「正確に言うなら、ドラッグに類する物です」

「ド、ドラッグ……!?」

「ええ。一般的には非合法の薬物です」

「それは……」

「ですが、歌姫特別措置法に基づいて、歌姫セイレーンについてはその使用の責を問わないことになっています」


 歌姫特別措置法とは、二十一年前――二〇七二年――に制定された法律である。つまり、その頃から、歌姫セイレーンに対するドラッグの投与の可能性があるとわかっていたということになる。そして、薬物を使ってでも、実効的な戦力を確保しようという目論見があったという事にもなるだろう。


「ともかく」


 ハーディは寄りかかった姿勢のまま、腕を組んで目を閉じた。


「あの子の精神状態は、現時点でもう限界を超えて悪化しています。薬物で何とか抑えてはいるのですが、それでも実際のところは身も心もボロボロなのです」


 その原因は私にもあるのだが――ハーディはその言葉を飲み込んだ。エディタに自分の行いを懺悔したところで、誰も何も得をしない。


「あなたは現在、第二艦隊に所属していますが、本日付で第一艦隊にも所属してもらいます。兼務という事です」

「け、兼務ですか?」

「ええ。兼務と言っても、やることは今までと同じです。ただ、ヴェーラを、グリエール提督をサポートしてあげて欲しいのです。そのためにはあなたはヴェーラもレベッカも、両方を行き来できる立場にいた方が都合がよい」


 ハーディはエディタを真正面から見据えた。エディタはしばらくその眼を見つめていたが、やがて首を振る。


「自分は未だ子どもです。十七歳ですよ、中佐。自分ごときに何を期待されているのでしょう」

「あなたがた歌姫セイレーンと私たちには、埋められない溝があります。歌姫を理解できるのは、同じ歌姫だけなのです。難しいことは言いません。ただ、あの子たちの話し相手になってあげて欲しいのです」


 なんていう無責任な――エディタは内心憤る。あまりに勝手過ぎやしないかと、エディタの頭が熱くなる。だが、エディタにはそもそも拒否権などない。


「承知、しました」

「助かるわ」


 ハーディは大きく息を吐き、そして立ち去ろうとした。エディタはその背中に向けて「ハーディ中佐」と呼びかける。


「なぜです? なぜ、グリエール提督は、そこまで傷つけられなければならなかったのですか。アーメリング提督ですら守り切れないほど、なぜ」


 ハーディの足が止まる。


 数秒の沈黙の末、ハーディは低い声で答えた。


「――戦争だからよ」


 そして、質問は打ち切りだと言わんばかりに、ハーディは機械的に出て行った。


「戦争だから……」


 反復してみるも、エディタには実感が伴わない。エディタが生まれる前から、ずっと戦争は続いているのだから。それを今さら理由に論われても、はいそうですかと認めるのは難しい。


「……勝手な理屈だ」


 エディタは小さく吐き捨てた。

 

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