提督と女帝

 車から転げるようにして出てきたのはヴェーラだった。門扉のセキュリティが解除されるなり、ヴェーラはカティに飛びついてくる。レベッカは運転手に礼を言ってから落ち着いた様子で降りて……滑って転びそうになった。カティに抱き着いた状態のまま、ヴェーラがニヤリと笑みを浮かべる。


「クールぶっててコケてちゃ台無しだよね」

「う、うるさいわね、ヴェーラ。それに私、転んでないし」


 ロードヒーティング設備がよく整備されたこの地区では、道路脇に雪山ができたりなどしない。だが、こうして凍結している箇所はあるのだ。レベッカは数少ない路面凍結箇所を見事に踏んだということになる。


「寒いからさっさと入りましょ」


 カティに猫のように頬を擦り付けているヴェーラをジト目で見ながら、レベッカがスタスタと玄関に向かって歩いて行く。


「そうだな……ってお前たち、その服は」

「えっへっへ、びっくりしたでしょ。本物だよ、本物」


 カティから離れて、ヴェーラはくるりと一回転する。そしてそのままレベッカの後を追って玄関の中に消えて行く。カティは肩を竦めつつ、二人を追った。


 カティが玄関のドアを開けると、ヴェーラとレベッカは並んで敬礼をしていた。准将の階級章を付けた二人に対し、カティも反射的に姿勢を正してしまう――それは職業病のようなものだった。


「本日付で准将になりました。ヴェーラ・グリエールですっ」

「同じく、レベッカ・アーメリングです」


 二人はそう名乗り、同時に吹き出した。カティは投げやりに敬礼をして、何とも言えない笑みを浮かべた。ヴェーラはカティの左腕に肘を絡ませて、リビングの方へと引っ張っていく。


「准将だって。おっかしいの」

「いきなりだものね」


 レベッカも肩を竦め、リビングのドアを開ける。


「ってあれ? カティ、知っていたのですか?」


 テーブルの上に用意されていたワインと、並べられたグラスを見てレベッカは目を丸くした。


「いや」


 カティは首を振る。


「これはアタシの昇進祝いのつもりで買ってきたのさ」

「えっ?」


 二人は同時にカティの顔を見上げる。カティは苦笑めいた微笑を浮かべて髪に手をやった。


「中佐だってさ。エウロスの隊長が少佐じゃ、格好がつかないってことらしい」

「わぁ! 中佐殿! おめでとう!」

「おめでとうございます、カティ」


 二人は小さく拍手をした。が、カティは「お前たちの方が二つも上じゃないか」と二人の頭を撫で回す。


「わたしたちの階級なんて飾りだよ。一応これでも艦隊司令官って身分らしいから」

「て、提督ってことか?」

「うん。まだ率いる船もないけどね」


 ヴェーラはそう言う傍ら、ワインボトルを開封し始めている。エディットの下で修業していただけあって、手慣れたものである。


 ヴェーラはのグラスにワインを注ぎ、そしてボトルをテーブルの上に戻す。レベッカはややしばらく躊躇っていたが、やがて観念してグラスを手に取った。


「一口だけいただきますね」

「無理するなよ」

「大丈夫です」


 レベッカは自分に言い聞かせるようにそう答える。そしてヴェーラの方を見て「あなたこそ自重しなさいよ!」と説教を始める。


「えー! いっぱい飲みたい!」

「薬があるでしょ」

「少しなら良いって、ドクターは言ってたよ」

「少し、でしょ!」

「ちぇっ!」


 そんな具合に唇を尖らせるヴェーラは、まるで昔のヴェーラに戻ったかのようだった。そんな二人を目を細めて眺めていたカティだったが、彼女は心の中で溜息を吐いている。カティは知っているのだ。ヴェーラのこの今見せている朗らかさは、薬によって強引に作り出されたものだということを。薬の効果が切れてしまえば、また再びあの奈落のようなヴェーラに戻ってしまう。


「しかし、お前たちが提督か」

「うん。第一艦隊グリームニル! だよ」

「グリームニル?」


 まるでアーシュオンのように艦隊に名前が付いているんだなと、カティは思う。ヴェーラは右のこめかみに右手をやって、頷いた。


って意味らしいよ。オーディンの別名だとか」

「へぇ……」

「ベッキーの第二艦隊はグルヴェイグ。こっちはって意味」

「そうなんだ……ってベッキー?」


 さっきから黙っているなと思ったら、レベッカはソファの上でふらふらと上半身を揺らしていた。顔も赤くなっており、視線はぼんやりとカティの方を向いているが焦点が合っていない。……明らかに酔っぱらっていた。


「おいおい。ベッキー、無事か?」

「えへへ……えへへへ……」


 レベッカらしからぬ、だらしない顔で笑っている。カティとヴェーラは同時に額に手を当てた。


「マジか……」

「ベッキー弱すぎぃ」

「しょっとしかのんれないよ?」


 レベッカはソファにぐだっと身体を預け、口をぽかんと開けたまま天井を見ている。


「ベッキー、大丈夫?」

「らいしょーぶ! しょっとねむらいらけらから!」

「何言ってるかわかんないよー」

「ヴェーラぁ、わらったらしょーちしないかやね」


 そう言うが早いか、レベッカは寝息を立て始めた。ヴェーラはしばらく呆然と相方の醜態を眺めていたが、突然堰を切ったように笑い始めた。その笑い方があまりにも激しくて、カティもつられて笑ってしまう。


「ベッキーとお酒飲んだの初めてだけど……こんなに弱いなんて思わなかったよ」

「かんらいしれいはんとして、おさけくあいのめなきゃ……」


 レベッカは一瞬だけ目を開けて、また眠ってしまう。


「寝てろ、ベッキー」

「ふぁぁぃ」


 寝ているようでいて半分は起きている様子だったが、今度は本格的に寝息を立て始めた。ヴェーラが肩を竦め、カティは笑いを堪えながらワインを飲む。


「カティ、あのね」


 カティのグラスにワインを注ぎながら、ヴェーラがおずおずと言う。


「いろいろ迷惑かけて、ごめんね」

「は?」


 カティはヴェーラの空色の瞳を覗き見る。


「いや、だって、ほら、ね?」

「迷惑とかない。アタシは、お前たちのことを妹みたいなもんだと思ってる。この世で一番大事な妹たちだと思ってるんだ」

「いもうと?」

「そうだ」


 カティはしっかりと頷いた。


「だから、お前がつらいならアタシは支える。お前が苦しんでるなら、アタシが助ける。それだけだ。お前たちに何かあれば、アタシは最優先で駆けつけるだろうし、お前たちを泣かせる奴がいたら、アタシがぶっ倒す」

「嬉しいな」


 ヴェーラはその天使のような美貌を緩ませる。しかし、その瞳は仄かに揺らいでいるように見えた。


「後に続く子たちのために、わたしもがんばるんだ。わたしたちと同じ思いだけは、絶対にさせたくないから」

「――そうだな」


 カティは一瞬だが、そこに深い奈落を感じた。ヴェーラが時々見せる、底の見えない断崖絶壁のような、何かだ。


「お前にはベッキーがいる。アタシだっている。だから、頼れよ」

「ありがと」


 ヴェーラはワインを一気に呷る。そしてカティの隣に移動してくる。


「カティと出会えて、本当によかった」


 そう言って、ヴェーラはカティの右肩に頭を預けた。カティはグラスを左手に持ち替え、静かにその艶やかな白金プラチナの髪を撫で通す。


「アタシもお前たちに出会えて、本当によかったと思ってる」


 これは恋にも似た思い……なのかもしれない。カティは少しだけアルコールの回った頭でそんなことを思う。


 でも、悪くないか。


 カティはヴェーラの肩を抱きながら、静かに息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます