#02-2:運命の分かれ道

エディタとトリーネ

 三ヶ月後、二〇九三年一月――。


 エディタは寮の自室に戻るなり、ベッドに倒れ込んだ。


「年明け早々、きつすぎるなぁ……」


 厳しい訓練の疲労も抜けぬまま、年末年始の休暇を終えてしまった。課題だけは全てこなしたものの、それと趣味の筋トレだけで日々を過ごしてしまった気がする。歌姫養成科とはいえ、一年目のカリキュラムは陸軍や海軍とほとんど変わらない。とにかく体力と精神力を養うような授業が目白押しなのだ。


 重たい身体に鞭打って、カーテンを閉めようと上半身を起こして腕を伸ばす。が、途中で力尽きた。


「いかんいかん」


 Dディーヴァ級の二人は、現在進行形で実戦を続けているのだ。訓練生たる自分がこんなところで弱音を吐いていてはいけない。一刻も早く戦力として、二人を補佐できるようにならなくてはならない。エディタはそう思いなおして、自分の両頬をぺちぺちと叩いた。白金の髪がふわりと揺れて、目にかかった。


「そうだ、風呂に入ろう」


 エディタは勢いよく起き上がると、いそいそと着替えを用意して、寮に設置されている共同の風呂場へと直行した。


 脱衣所の様子を見るに、浴室はそれほど混雑していないと予想できた。時間によっては洗い場が一つも使えないくらいに混雑していることもある。今はちょうど夕食時であるので、ある意味では穴場の時間だ。


 手早く服を脱いで、エディタは浴室のドアを開ける。案の定、十分に一人の時間を楽しめそうなほど浴室は閑散としていた。さっさと一通り身体と髪を洗い、浴槽に浸かる。


 全身の疲労がお湯に溶け出していっているような、そんなジワリとした熱さが心地良い。エディタの故郷にも温泉はいくつかあったが、寮に備え付けられたこの天然温泉はそれに勝るとも劣らない気持ちよさだった。これのおかげでホームシックにならずに済んでいると言っても過言ではない。


「あら、エディタじゃない。こんな時間に珍しいね」


 浴槽でぼんやり天井を眺めていると、至近距離から声を掛けられた。声の主はトリーネである。


「疲れがやばいんだ。ちょっとボケっとしたくて」

「そう。あたしもフラフラよ。休みボケもあってさ」

「うん――」


 エディタは顔を沈めてブクブクと気泡を吐き出した。隣に並んだトリーネもそれを真似する。


「でも、ディーヴァのお二人はもっとキツイだろうなって思うと、弱音も吐けないかなって思ってさ」

「生真面目ね、エディタは」


 トリーネは微笑む。その笑顔に裏はない。この三か月の交流で、エディタはトリーネは、本当に表裏のない天真爛漫な人物であると理解していた。誰もが共にいて心地良さと安心感を覚える、そんな性格なのだ。


「でも、エディタのそんなところがあたしは好きよ。でもさ」


 トリーネは少し遠くを見るようにして呟いた。


「あたしには弱音の一つくらい吐いてくれても良いと思うよ」

「トリーネ……」

「だって、あたしたち、仲間じゃん?」


 さばさばと言ってのけられたその言葉に、エディタは考え込んでしまう。


「ほらまた眉間に皺寄せて! 難しく考えないの。あたしたちは仲間。運命共同体。そして目下のところ、いい感じの関係じゃない?」

「私は君のそういう所にこそ学ぶべきかもしれないな」

「あーあー、エディタさんがまた難しいことをおっしゃってるわ」


 トリーネは耳を塞ぐジェスチャーをしながらそう言って笑った。エディタもつられて笑ってしまう。


「いい、エディタ。生真面目でとにかく考えてからモノを言うあなたのその性格は素晴らしいと思うわ。あたしには真似できないから。でもね、他人ひとを頼ることも覚えないと。少なくともあたしは、あなたに頼られたら嬉しい。あなたがそういう性格だから、一層嬉しい」

「そう、なのか」

「そうなのよ」


 トリーネはお湯の中で猫のように身体を伸ばす。


「あなたはあたしたちのリーダーなんだから、もっと頼ってよね。頼りになるわよ、あたしだって、クララだって、テレサだって」

「でも――」

「ほらまた他人に気を遣う。疲れてるのはみんな一緒よ。だからなお、さ。エディタが一番大変なのはみんな知ってるよ。だからこそ、分け合ってほしいんだよね」

「でも――」

「でも禁止」


 トリーネはエディタの唇に人差し指で触れた。驚いて目を見開いたエディタを見て、トリーネは声を立てて笑った。


「距離感がほんと微妙だよね、エディタはさ。うーむ、こりゃぁ、スキンシップ強化月間とか作らなきゃだめだな、うん」

「ええっ!?」

「また真に受ける!」

「ええっ?」


 さらに目を見開いたエディタの腕を捕まえて、トリーネはクスクスと笑う。


「あたしはレズじゃないけど、エディタになら抱かれてもいいよ」

「えっ、何言って、ちょっと……!」


 抱きつかれたエディタは目を白黒させている。トリーネは「クックック」と喉を鳴らして笑っている。


「なーんて、冗談だよ、冗談! 残念ながら、あたしにはフィアンセがいるのです」

「フィアンセ!?」

「幼馴染なんだけど、まぁ、流れでそういう話に」

「え、だって、まだ十六歳、だよな?」

「えっ、十六で彼氏って、常識じゃない?」

「確かにネットではそういう記事も見た気がするが……」


 エディタは何故だか頬を染める。トリーネはエディタの肩を抱きながら「わはは」と豪快に笑った。そして低音で囁いた。


「ウブなところも、愛してるぜ、エディタ」

「なっ、やめ、やめろよ! 誤解されるじゃないか」

 

 エディタは顔を真っ赤にしながら、トリーネにお湯をかけた。そして足早に浴室を出ようとする。その白い背中に向かって、トリーネはやんわりと呼びかけた。


「エディタ、たまにはこのくらい力を抜くことも必要だよ。あたしでよければいつでも馬鹿話するからさ」

「あ、ああ。うん。ありがとう、そうさせてもらう」


 エディタは小さく振り返ってそう言うと、そそくさと脱衣所の方へと行ってしまった。


 トリーネは鼻歌を歌いながら天井を見上げる。


 ここがあたしの居場所かぁ。いいね、悪くない、うん。


 家では何一つ思い通りにならなかった。決められた道を決められた通りに歩いてきただけだった。でも、これからは違う。セイレネスという特殊能力を与えられた以上、もう何にも縛られる必要はない。これからは、あたしの未来はあたしの手の内にある。国防という責任と引き換えに、手に入れた未来。


 そうだ。あたしは、自由なんだ――。


 トリーネは静かに息を吐いた。








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