□五月二十八日(木) 栄美

 話し合いの結果、栄美と夏凛、それに隼人となおみが高校の帰りに風野探偵事務所に寄った。西尾には潤から連絡してある。その潤は部活があるので、今回はパスした。


「ちょっと椅子運ぶの手伝ってくれよ」


 西尾に声をかけられて、隼人が即座に動いた。


「ソファが四つしかないから、これそっちのパーティションに持って行ってくれ。……そろそろ来る頃かな」


 探偵事務所の応接セットは、それぞれパーティションで区切られている。


「じゃ、俺はこの椅子で」


 隣のパーティションから簡易ソファを持ってきて、隼人となおみはそのパーティションの端に置いた。


「失礼します」


 そのとき、栄美の母の声が響いた。事務所の入り口に母親が立っている。淡い水色の膝丈フレアスカートに白いニット。そろそろジャケットを着るには暑い季節だからだろう。実際、高校も夏服への移行期間だ。幸い借りた制服に夏服があったので、昨日から栄美も白い長そで夏服セーラー服を着ている。


「こちらへどうぞ。まずお母さん、この奥の席へどうぞ。で、悪いんですけど、横になおみ座らせていいですかね。そっちの椅子は、隼人。栄美と夏凛はお母さんの向かい」


 西尾の仕切りに頷いて、母親が席に着いた。栄美も指定された、母親の真ん前の席に腰を下ろす。


「今日は暑いですね。わざわざご足労いただいてありがとうございます。ペットボトルのお茶ですがどうぞ」


 所長が盆でお茶を持ってきた。全員分グラスに緑茶が入っている。その横で、パーティ所に腕をついて、西尾がペットボトルの烏龍茶を持ってきている。グレイのシャツに黒のスラックス。


「ありがとうございます。……何だかわたしのせいで、いろいろ大事おおごとになってしまったみたいでごめんなさいね」


 母の言葉を受けて、栄美は口を開いた。


「ママ、あたしに『一人の子に深入りするな』って言ったよね」


「そうね。最初は『信頼できるお友達のところに』なんて言っちゃったけど、あんまり親しいお友達を作ると何かあったとき傷つくのは栄美だし、って思っちゃったの。ごめんなさいね」


 相変わらずずれている母親の返事。これに惑わされると、母のペースになってしまう。栄美はぎゅっと拳を握りしめた。


 栄美はふと視線を浮かせた。パーティションの入り口に立っている西尾と目が合う。西尾が頷く。


「ママ、美佐さんと仲良かったよね」


「事情聴取みたいね。……でもそうね。最近はとても仲良くしてもらってたけど、厚子先生とも仲がいいし、会員のみんなとそうなるのが理想ね」


「だからっ、ママはいつもそうやって……!」


 栄美は思わず悲鳴のような声を上げてしまった。夏凛がそんな栄美の拳の上から手をそっと添えてくれた。


 それで少し落ち着いた。栄美は深呼吸する。


 そのとき夏凛が口を開いた。


「今日もそのブレスレットしてますね。トパーズでしたっけ」


「あら」


 栄美の母はにっこり笑って、左手首を見せた。この前していたのと同じブレスレットである。


 夏凛は栄美の母を見た。


「美佐の遺品は形見分けってことで施設で仲良かった奴らで分けてたけど、あいつのブレスレットは殺されたときに着けてたことから引き取り手がいなくて、結局あいつと一緒に焼いたんだ」


「そう」


 栄美の母はそれを聞いて、笑った。


 ……ぞっとするような、笑みだ。


 こんな表情をする母親を、栄美は見たことがない。


「……どうしたの?」


 思わず栄美は訊いてしまった。母親はその表情のまま、口を開いた。


「約束通り、美佐ちゃんはずーっとわたしと一緒ね」


 予想外の言葉だった。


「……ママと、一緒なの? どうして?」


 栄美は何とか言葉を紡ぐ。


「約束したの。ずっと一緒だから、おそろいのブレスレットをしようって。わたしたちずーっと一緒だって」


 歌うように母が答える。


「美佐さん死んじゃったのに、ずっと一緒って……」


 栄美が呟く。


 そのときの母の顔を、栄美は一生忘れないだろう。


 母は本当に幸せそうに微笑んだのだ。


「美佐ちゃんは、家族と自分とどっちを選ぶかって言ったの。だけどわたしは両方ほしかった。だから両方取ったの」


「両方って……どうやって」


「美佐ちゃんを、わたしだけのものにして」


 母親はまるで秘め事を話すように囁いた。


「──美佐さんを殺すことが、自分だけのものにすることなの?」


 栄美は、思い切って訊いた。すると母親はきょとんとした表情になった。まるで、当たり前のことを訊かれたような、不思議そうな表情。


「だって美佐ちゃんはわたしだけのものだもの」


「それで美佐さんを刺したんですか?」


 西尾が静かに訊く。母は楽しそうな表情で頷いた。


「ええ。美佐ちゃんが、家族を選ぶなら自分を殺して犯罪者になってって言うから、両方を選ぶためにそうしたの」


 母親が本当に幸せそうに笑っている。


 栄美が絶句していると、脇にいる隼人が口を開いた。


「でもそれって、それで捕まったら、家族よりも美佐さんを選んだことになるんじゃないんですか」


 隼人の言葉に、栄美の母は少し考え込んだ。それから苦笑いする。


「あら、そうね。本当だ。美佐ちゃん、そこまで考えてたのかしら。だったらそれはそれで、わたしも美佐ちゃんだけのものになっちゃったってことで、しょうがないか」


「しょうがないって……じゃあ栄美ちゃんはどうなるんだよ!」


 思わずと言った様子で隼人が声を荒らげる。


「栄美は愛してるわよ。そうね、今わたしが捕まっても、売り上げの大半は、わたし名義と栄美名義に分けて貯金しているから、塾も行かせられるし大学も大丈夫」


「そうじゃなくて! 栄美ちゃんの気持ちは……!」


「林田くん、ありがとう。でもいいよ」


 栄美はため息交じりに呟いた。


「うちのママは……母さんは、そういう人だから。別にわたしのこと愛してないわけじゃなくて、本当にただそういう人なんだと思う」


「何よ、失礼ね。人のこと変人みたいに」


「好きな人を独り占めするために殺しちゃう人は充分変人だよ」


 栄美の発言に、母親は心底不思議そうに首を傾げる。


 そのとき、空気が動いた。


 横のパーティションに人がいたのだ。立ち上がる。頭がパーティションから見える。男性のようだ。


 その男は、栄美たちのパーティションに来た。


「山村秋保さん、今のは自供と考えていいですね」


 西尾より年上の、六十歳前の男。グレイのスーツを着ていて髪は短く、おそらく元の顔はそんなに悪くないのだが、疲れた表情をしている。


「立原と言います。湊山県警で刑事をしています」


「栄美、気づいてたのね」


「……うん」


 母親は、なぜかすがすがしい表情で立ち上がった。


「さっき言った通り、お金は栄美とわたしの口座にメインに入ってるから、ちゃんと高校卒業して、できれば国立に行って、できるだけお金はいざというときのために残して。でも私立なら私立で、大学出るのがまず大事。大学は絶対に出て。そのためにわたしのお金を使っていいわ。そしてちゃんとした会社に就職して。起業するならちゃんとした会社。うちみたいな綱渡りはダメよ。判った?」


「…………うん」


「しょうがない。わたしは家族と美佐ちゃんの両方を取ったつもりだったけど、美佐ちゃんを取ることになっちゃった。ごめんね」


「……あたしのためにはお金残してくれたし、愛されてないとは思ってないし、いいよ」


「ありがとう。いい子ね」


 母親がさばさばした表情で笑う。


「詳しい話は署で聞かせていただきます」


 立原の言葉に母親は黙って頷いた。立ち上がる。隼人やなおみもつられて立ち上がった。栄美も立つ。


 それを合図のように、立原刑事が出てきたパーティションから男が三人出てくる。栄美の母親を囲むように歩いて、風野探偵事務所から出て行く。


 足音が消えるまで、誰も動かなかった。


 栄美はそれからようやく大きく息をついてソファに座る。


「大丈夫? 差し入れのアイスコーヒーどうぞ」


 所長が栄美の前にアイスコーヒーを置いた。


「ありがとうございます。……おいしい」


 一口飲んで、栄美は思わず呟いた。


「差し入れって?」


 西尾が訊く。


「なおみのパパが、『これからも娘をよろしく』って」


「えー、父ちゃん過保護だなぁ。……でも父ちゃんのコーヒー美味しいでしょ? どうぞ飲んで」


 嬉しそうになおみが笑う。


「家のこと知ってて、『これからもよろしく』なんて初めて言われた」


「なおみの父ちゃんはバカだけどいい奴なんだよ」


 西尾が腕を組んで笑う。


「西尾さん、本物のバカのこと、バカって言っちゃいけないんですよ」


 なぜかなおみが突っ込む。


「悪い悪い、あいつがいい奴なのは本当」


 西尾は笑ってなおみに答えてから、パーティションに腕を置いて、栄美の顔を見た。優しい表情。


「さて、これからどうするか話し合おうか。法的には、お父さんは事件に関係してないから今まで通りお父さんと二人でマンションに住んでもいいけど、どうしたい? すぐには結論出せないまでも、ある程度考えを聞かせてもらえるかな?」

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