□五月二十四日(日) 元

 結局、毎週日曜日に行っているイベントも中止にせざるを得なかった。メインの代理店から欠席の連絡があり、またどこから聴きつけたのか、マスコミも公民館に問い合わせしていたのだ。もし決行したら、マスコミの格好の餌食になるだろう。


「ねえ、あなたが今書いてる本、自伝にしない?」


 新港町駅近くのホテルに入っている喫茶店。新港町駅は山間にある新幹線だけが停まる駅だ。港町駅からは、地下鉄で一駅。このホテルから海への眺望は、よく港町市の観光ガイドで使われている。


 秋保からの指示で泊まっているホテルを変えて、数日経ったこの日、秋保が訪ねてきた。秋保はすぐ近くの別のホテルに泊まっている。


「次の本の構想、この前の目次に沿ってって話だったけど、むしろ自伝に理念を絡めた方が会員の皆様に理解しやすいと思うの。それにうまくいけば、自費出版じゃなくて一般の出版社が出版してくれるかもしれないし」


 一般の出版社が元の自伝を出版。それはプラスアルファの功績ではない。そのくらいは元にも判る。


 もし元の自伝を出版してくれる出版社があるとしたら、それは。


「殺人事件に便乗するのか」


 先日涙をこぼしていたのは秋保ではなかったか。


 今回の殺人事件に絡んで、今なら売れると見積もった場合しか考えられない。元は無意味にプラス思考だが、その程度のことはさすがに判る。


 秋保は肩をすくめた。


「美佐ちゃんはうちの会社を愛してくれてたわ。便乗だなんて人聞きの悪い。むしろ喜んでくれるくらいよ」


「……そういうものなのか?」


 元は眉をひそめた。それを見て秋保が困ったような表情になる。


「美佐ちゃんの件は美佐ちゃんの件、これはこれ、よ。世間がそれをどう見ようがそれはまた別じゃない。あなたの自伝……つまり経験に、うちの理念を絡めるなんて今までもずっとやってきたことで、今回初めてやることじゃないもの。そこに万が一、一般の出版社さんが出版してくれることになったら、これはそれこそ縁じゃない。美佐ちゃんが呼んでくれた縁よ。便乗じゃなくて縁。……あなたは文章が上手だし書くのも早いから、この縁が薄れないうちに書いてくれないかしら」


 便乗じゃなくて縁か。なるほど。


 元はあっさりと秋保に懐柔されてしまった。文章がうまく書くのが早い。それは元が、本を買ってくれた会員に褒められることでもある。証拠を残すとまずいのでマニュアル類は作っていないが、年に一度の大会で配るプラスアルファ冊子に載せる文章の大半も元が書いている。そういう文章書きの仕事があることは、元のプライドを大いに満足させている。自分は頭がいいから、こういう文章を書けるのだ。そう思っている。


 それに自伝。今まではプラスアルファの宣伝と理念だけだった。元個人の自伝を書こうなんて考えたこともなかった。


 そして元の自伝とプラスアルファでの理念を重ねる。それはまるで。


「教祖のようだな」


 元の言葉に、秋保は大きく頷いた。


「宗教法人化した暁には、あなたが教祖よ」


 その秋保の言葉は、元のプライドを大いに満足させた。


「美佐ちゃんの件であなたの稼働が減ってるなら、その時間を執筆に充ててもらえないかしら。それこそ美佐ちゃんが運んでくれた縁だわ」


 執筆。まるでプロの作家のようだ。自分の文章書きの仕事を「執筆」と表現したことは今までなかった気がする。


「そうだな、執筆。俺はあいた時間を利用して、執筆活動に入る。自伝にうまくうちの理念を絡めるんだな。こないだの目次を、俺の自伝に組み込むってことだな」


「そうよ。頼んだわ。わたしの方は、伝手をたどって、出版してくれる会社がないか探してみる。……それじゃ、よろしくね」


 秋保の言葉に、元は満足して頷いた。

 秋保はあくまで裏方、俺が表なのだ。


 秋保の、自分を頼るような表情。

 やっぱりプラスアルファの中心は自分なのだ。それを再確認して、元は鷹揚に頷いて、伝票を手に取った。

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