□五月二十日(水) 栄美

 なおみと父親とやりとりを他人事のように聞きながら、栄美はひじをついた。


 思えば自分の父親と「どうでもいい話」をしたのは、何年前だろう。父親の偉そうな中身のない話はいつも聴いているし、ときどき何を勘違いしたのか家でも上から目線で言っているが、母親はそんな父親をまったく相手にもしていない。


 ただ便利な、会社のシンボルだ。


 いい年をして思春期のような自我が肥大した父親と違って、母親は冷静だ。


 入学してすぐにあった実力テストの結果を持って帰ったときに、母親は言った。


 ──平均点かぁ。もうちょっと欲しいな。できれば国立大か、そうじゃなければ推薦で有名私立を狙ってほしいんだけど。


 それで? それでどうするの。と思ったのが通じたのだろうか。


 ──ネットワークビジネスやるんだったらうちを継げばいいけど、できればちゃんとした会社に就職して、ちゃんとした仕事をした方がいいと思うの。


 初めて母親から言われた言葉だった。


 それまで勉強は、母親に言われたからする、母親が塾を決めてきたからそこに行く、それだけだった。当然、母親は自分に継がせる気だと思っていた。だからこそ中学から連れて行ってマスコット的な態度を取らせているのだろうと。


 もしかして、違うのかもしれない。


 そう思ったのはこの春が初めてだった。


「山村さんとは歓迎登山で同じ班だったんだよね」


 なおみの言葉に、栄美はなおみと父親を見た。


「そういえばそうだったね。そうそう、それで日下部さん、あたしたちと話すようになったんだよね」


 歓迎登山とは、港町高校で四月にあった行事だ。高校の裏山にある湊山を登るのだ。二、三年生は登山だけ付き合ってその日のうちに湊山を縦走して、それから下山する。一年生は、そこにある施設で一泊して、翌日に下山する。


 男女別で班ごとに別れての宿泊であり、そこで友達を作れるとうまくいく。


 まったくの偶然で栄美と夏凛、それからなおみと、もう一人、別の女子が同じ班だった

。なおみのことは正直よく覚えていないが、もう一人はかなり派手なタイプで、別の班に仲良しがいたらしく、夜も抜け出していた。


 実は栄美から見て、夏凛はその彼女と似たタイプだと思っていた。大人しくはしているが語彙はちょっとワルっぽい人寄り。発言もそれに近いところが多い。それなのに成績はダントツによくて、正直いつまでも自分の近くにいる子じゃないと思っていた。じきに華やかなグループに入る子だろうと。


 それなのに夏凛は、その派手な彼女とは話が合わなかった。

 今でも栄美と一緒にいてくれる。


 昨日、隼人の母親が西尾の探偵事務所に来た。隼人の性格からは予想外の、本当にリアル元ヤンという雰囲気の母親だった。その母親が夏凛を「あたしの友達にいそう」と言ったのだ。華やかというよりは、夏凛のまとっている雰囲気は、不良寄りなのかもしれない。


 だけど夏凛は、それでも栄美と一緒にいてくれる。


 こともなげに「中学の友達はヤンキー」と言った夏凛。栄美に「中学の友達」はいない。


 いつまで夏凛と一緒にいられるだろうか。


 そう思って栄美はため息をついた。

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