■五月十九日(火) 夏凛 1

 次の日、夏凛が学校に行くと、空気はピリピリしているものの、表面上はいつも通りだった。


「おはよー」


 窓際の席で一人で問題集を広げている栄美に声をかけると、栄美は一瞬驚いたような顔になり、それから満面の笑顔になった。


「おはよう。夏凛、昨日はごめんね。ありがとう」


「あたしが勝手に怒っただけだからお礼もおわびも要らない。……それより、あの騒ぎで『ターゲット』の小テスト受けられなかったから再テストよ。昨日、どこ出た?」


「えっとね」


 栄美がごそごそと鞄からファイルを出す。夏凛に昨日の小テスト問題用紙を手渡す。


「ところで夏凛、林田くんと付き合ってるの?」


 好奇心満々の目で栄美に見つめられて、夏凛は露骨に顔をしかめた。


「林田隼人と? ないないない。絶対ない。世の中に男があいつしか残らなくても、あいつとは付き合わない」


 夏凛は思いっきり否定する。そんな夏凛に栄美が苦笑いした。


「そんなに悪い子じゃないよ」


「話変わるけど、栄美、西尾潤ってどの子?」


 栄美のフォローを無視して夏凛が訊くと、栄美が微妙な表情になった。微妙……困ったような、おかしいのを我慢しているような表情。


「僕だけど?」


 夏凛のすぐ後ろから声が響いた。

 夏凛が振り向くと、港町高校の黒い詰襟をきっちり締めた真面目そうな少年が立っていた。確かにさんざん噂で聴いていた通り、大人しくてちょっとかわいい雰囲気だ。


「似てねー」


 思わず夏凛は呟いた。


「誰と? ……もしかして父親? ちょっと来てくれる?」


 潤が声をひそめる。

 夏凛は栄美に小さく合図すると、潤に続いて教室を出た。栄美が何を誤解したのか笑って手を振る。


 廊下に出ると、潤は立ち止まった。ここでいいと判断して、夏凛は廊下の壁にもたれる。


「実は一週間くらい前に、父親に、山村さんのこと訊かれたんだよね」


「山村さんって栄美? で、何て答えたの?」


「同じクラスって言ったら写真あるなら見せてほしいって言われた。四月の半ばかな、僕が高校入試直後に初めてケータイ買ってもらったって言ったら、『じゃあクラスの子の写真撮らなきゃ』って言い出した奴がいて、何人か写真撮った中に、山村さんと皆川さんの写真もあって」


「……そんなことあったっけ」


 昼休みにパンを食べていたときかもしれない。四月に入ってすぐ、なぜか意気投合して、栄美の席で昼食をとるのが二人の日課になっている。


「カメラ目線で笑顔の山村さんの横に、こっち睨んでる皆川さんの写真を見せた」


「あー、あたし笑わないからね。で?」


「昨日騒ぎになってたけど、まあ山村さんの親がそういう仕事してるから、個人的に仲良くするのはいいけど、イベントとか言われたらついて行くなって言われた」


「個人的に仲良くするのはいいんだ」


 夏凛が呟くと、潤は驚いたような表情になった。


「親の仕事を理由に『近づくな』なんて言うような親じゃないよ、うちの親。……で、そのときにうちの親、皆川さんのこと知ってたっぽいんだよね」


「一週間前だったら、あたしが西尾さんの胸ぐら掴んでパフェおごってもらったあとだな」


「……つながりが見えなすぎるんだけど、援助交際エンコーとかじゃないよね?」


 夏凛の端折はしょりすぎた説明に、当然ながら潤が当惑したような表情になる。


「当たり前だろ」


「だったら、父親の交際範囲が謎なのは今に始まったことじゃないからいいや」


「いいんだ? あたしはむしろ、何者なのか知りたいんだけど」


 夏凛が言うと、潤は困ったような表情になった。


「何者って、父親の勤め先を言えばいい?」


「それは名刺持ってるから知ってる。ていうか行ったこともある」


「じゃあ何を知りたい感じ?」


「端的に言えば、JKビジネスとかやばいことしない人だって確証、かな」


 夏凛がぼそぼそと答えると、潤はさらに困った顔で苦笑いした。


「そんな確証、誰だって持ってないよ。大企業に勤めてても、学校の先生やってても、女子高生大好きとか公金横領までしてるやばいオヤジもいるじゃん」


「……だよね」


 夏凛が頷くと、潤は少し照れたように笑った。


「僕のこと知らない人に言っても通じないだろうけど、僕も母親も、僕の弟と妹も、父親が悪いことしないって信じてるよ」


「家族にはいい人、か」


「突っかかるね」


 潤が苦笑いする。


「うるせえ」


 夏凛が呟く。それから小さく息を吐いた。


「まあでも、家族にだけでも優しくできるんだったら、それはそれでいい人かもしれないな。今のところあたしらにもいい奴っぽいし」


「どっちだよ。っていうか、どうしたいの?」


 潤があきれたように訊く。

 その言葉に、夏凛は考え込んだ。腕を組む。


「あたし、どうしたいんだろう」


「……それを僕に訊かれても答えられないよ」


 笑いながら潤が言う。


 そんな潤を見て、夏凛の頭が冷えた。自覚している以上に興奮していたらしい。

 夏凛は小さく頷いた。


「悪い。判った。その通りだ。今のあたしにできるのは、西尾さん信用して博之助けることだけだ。もしあたしらからぼったくろうとしたらぶっ殺すって言っといて」


「いちいち表現が物騒だなぁ」


 そこで潤は言葉を切って、夏凛の目を覗き込んだ。


「そういえば父さんに皆川さんのこと訊かれたから、『頭良くてまじめ』って言ったら、『え、そういうポジション?』とか驚いてたな」


 潤の表現に、夏凛は目を丸くした。


「……今まさにあたしも、『黙ってるあたしってそういうポジション?』って思ってるよ」


 そんな夏凛を見て、潤が笑って手をひらひらと振った。


「大丈夫。昨日の大騒ぎで、『怒らすと怖い子』に格上げしてる」


「それって格上げなのかな」


「ナメられないって意味では格上げじゃない?」


「……さすが西尾さんの息子、意味不明」


 夏凛の反応に、潤は不本意そうな表情になった。

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