□五月十八日(月) 隼人
「で、月曜の朝っぱらからここに来たのか」
あきれたように西尾がため息をつく。
教室から夏凛を連れ出したものの、どうしようか悩んだ隼人に、夏凛が「気分じゃないからサボる」と言い出したのだ。
ただサボるのでは芸がない、というわけで、夏凛は「港町市街でもぶらつく」と言ったので、隼人が「それなら」と西尾の仕事先に行くことを提案したのだ。
「確かに街中で制服で歩いてたら補導されるからね。隼人くん、ナイス提案」
言いながら、六十歳前くらいの男が五百mlのペットボトルを隼人と夏凛に渡した。昨日も事務所にいた男だ。西尾に所長と呼ばれていた。
「ありがとうございます」
隼人が所長に頭を下げると、夏凛も黙って会釈した。
「ちょうどよかった。学校には何時間目くらいに戻る?」
西尾に訊かれて、隼人と夏凛は顔を見合わせた。
「……あたしは、今日は無理かも」
夏凛が憮然とした表情で答える。
「俺、午後一でターゲットの……英語の小テストあるから、昼食べたら戻ろうかなーと思ってます」
隼人の空気を読まない発言に、夏凛が眉をひそめた。逆に西尾はおかしそうに笑う。
「夏凛、戻らなくて大丈夫か? 小テストあるんだろ?」
「うちのクラスは一時間目だから、今から戻ったって終わってる。それに今の精神状態で受けたらどうせ追試。だからいい」
きつい口調で夏凛が吐き捨てるように言う。
この『ターゲット』という単語集のテストは、それぞれのクラスで、週の一番最初の英語の授業の冒頭に行われる。だからそれぞれのクラスによって違うのだ。
二人の返事を確認して、西尾が腕を組んだ。
「幸い俺は今朝一番で、めっちゃ面倒くさい案件が一段落したところなんだ。……夏凛、ちょっとバイトしない? 今回の博之の件の一部を、金銭の代わりにバイトで返してもらえるんだけど」
「やる」
夏凛が即答した。西尾が申し訳なさそうな表情になる。
「悪いね。俺の裁量で動ける範囲なら子供から金取ったりしないんだけど、事務所通してるから、そういうわけにもいかないんだ。雇い主は博之ってことで、おまえが立て替えるって形でいいか? ……じゃあ書類整理の仕事を、バイトと勉強の邪魔にならない時間うちの事務所に来てしてほしい」
「判った。何やればいい?」
「交通費の精算書類。うちでは、手書きでこの書類に書き込んで提出、その後自分で経理用パソコンで入力、っていう手順が決まりなんだが、俺含めて所長ももう一人も、ついつい溜めこんじゃうんだよ。だから横の箱に入ってる精算書類からソフトに入力して、一か月分まとめてプリントアウトしてほしい。で、そのプリントアウト書類と、俺たちが提出した交通費の精算書類を一緒にファイリングする」
西尾は言いながら立ち上がった。パーティションの方に行く。夏凛もそれに続いた。何となく隼人も、夏凛の後ろからついていった。
西尾は一台のパソコンの前で止まった。パソコンの横には、水色のプラスチックケースが置いてあり、その中にはB5サイズの紙が乱雑に積んである。
西尾はマウスを動かしながら入力内容の説明をする。後ろから覗き込んだ様子だと、どうやらエクセルのファイルらしい。
一通り説明を終えると、西尾は夏凛に席を譲った。隼人の肩をとんとんと叩いて、先ほどのソファセットを親指で指す。
おとなしく元の席に戻ると、西尾も同じように隼人の向かいに腰を下ろした。
「で、山村栄美はどんな様子だった? 置いて来たってことは大丈夫そうなのか?」
「どうだろ。……えーと、俺が教室に入ったときは、もうすでに皆川がキレてて、栄美ちゃんはあっけにとられた顔してて、でも栄美ちゃん、『ターゲット』に付箋貼ってたし、勉強してたみたいだから、まあ大丈夫かなって思った、感じ?」
ぼそぼそと隼人が答えると、西尾は苦笑いした。それから隼人の顔を見る。
「おまえ、栄美の親に会ったことあるんだろ? どんな人だった?」
「会ったって言っても、挨拶して『心の教室』に誘われて、俺があいまいに返事したら、『また来てね』って言われてそれっきりだから、あとは遠目で見てただけっすよ」
「それは母親だな。父親はどうだった?」
「いたのかなぁ。いたとしても紹介されてないから気づかなかったです。どうやって早く帰ろうとしか考えてなかったし」
「まあ正解。っていうか行かないのが正解だがな。二度と行くなよ」
「行きたくないですよ。イベントはドン引きだったし、準備だけって行ったら死体見つけちゃうし、これでまた行ったら俺アホじゃないですか」
隼人の返事に、西尾は困ったような表情になった。
「栄美ちゃんにお願いされたら、また行きそうな気がするんだよなぁ」
あまりにも的確な指摘に、隼人は黙り込んだ。そんな隼人を見て、西尾が笑顔を作る。
「静かにしてくれるなら、うちの事務所連れてきて一緒に勉強してもいいぞ」
予想外の西尾の言葉に、隼人は目を真ん丸にして西尾を見つめた。
「俺としてもプラスアルファの情報は欲しいところだしな」
「あー、そーゆー」
「そういうことだ。ま、おまえは昼までここで勉強してろ。学校に戻るときは一声かけてくれよ」
西尾の言葉に、隼人は頷いて、持ってきた鞄から勉強道具を取り出した。
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