第44話 黒の本が生まれた理由



 ベッドの上にリュックを投げて、ぼくは椅子に腰掛けた。なんだか、どっと疲れが出てきた。


 リュックから、スマートフォンのメール着信音が鳴る。ぼくのスマートフォンは、今や沢山のアドレスで溢れていて、メールもしょっちゅう来るようになった。


 腕を伸ばして、リュックを手繰り寄せ、スマートフォンを取り出す。着信は、やはりと言うか、蛟ちゃんだった。


 マッドライダーズたちは、旗を取り戻したい。そして、それには、赤間や黒江たち、暁の騎士団の力必要だと、信じている。


 蛟ちゃんからのメールは、早く旗を何とかしようと、催促するような内容だった。


(この、ノートのせいで)


 ぼくは、リュックの奥から、2冊のノートを取り出した。1冊は、先日、蛟ちゃんから返却された、『写本・黒聖闇書ブラックホーリーダークコデックス』もう1冊は、黒江に見せろと言われた、『真・黒聖闇書ブラックホーリーダークコデックス』である。


 ぼくは、表紙に黒いマジックペンで書かれた、逆さ十字に手のひらを置いた。


(キコは、『幽鬼』に気を付けろっていう)


 『幽鬼』から旗を取り戻したい、マッドライダーズと、『幽鬼』を警戒する、キコ。


「ふぅ……。どうなっちゃうんだろう。ぼくは、傍観者で良いんだけど」


 ぼくは、物語の主人公ヒーローじゃない。


 だから、見守る役割で、良いんだ。


『そのノートに書かれてる事は、事実だよ』


 蛟ちゃんの言葉を思い出しながら、ぼくはノートを撫でた。


 そんなんじゃない。このノートは、そんなんじゃない。


 ぼくは、このノートを作る切っ掛けになった、ある出来事を、思い出していた。




 ◆   ◆   ◆




 それはちょっと、思い出そうとすると、吐き気がして、ぼくは挙動不審になる。


 汗が吹き出て、勝手に身体が震えるんだ。


 妹の千奈美は、『いじめだろ』って言うが、ぼくの考えでは、違う。


 ただ単に、蹴られたり、殴られたりしてただけだ。いじめられてたとか、ネクラなオタクっぽいし、ぼくの事じゃない。


 でも、前髪を伸ばしてるのは、確かに、ギンガくんが言った、一言が理由だ。





「お前の目、ムカツクんだよ。見るな」


「ご、ごめん」


 小さい身体を縮ませて、ぼくはギンガくんの機嫌を伺うようにするけど、ギンガくんはやっぱり「見るな」って言って、ぼくを蹴った。


 中学になって、同じクラスになったギンガくんとぼくは、すぐに仲良くなった。無口なギンガくんと、口ベタなぼく。


「久遠、これ見たか?」


「ギンガくん、このマンガ面白いから!」


 会話は少なかったけど、ぼくは友達だと思ってた。友達なれると思ってたんだ。


 ギンガくんの態度が変わったのは、いつからだったか。

 急に、「鬱陶しい」「目ざわり」と、突き放すようになり、そのうち、手や足が出るようになった。


 ぼくは、機嫌が悪いんだ、いつか良くなると思って、我慢してたけど、腕の骨を折ったとき、さすがに両親が苦言した。


 謝りに来た、ギンガくんの両親を見て、ぼくはギンガくんが、何に怒ってるのか、何となく理解した。


 ぼくとギンガくんは同じで、でも、ちょっと違うようだった。


 両親は再婚。妹は、半分だけ血が繋がってる。


 二人の境遇は同じで、でも、ギンガくんは、幸せじゃなかった。


 お父さんは、ギンガくんを殴る。


 お酒を飲んで、お母さんや妹を殴る。


 お母さんは、ギンガくんを助けてくれない。


 小さすぎる妹を、ギンガくん以外が守ってくれない。


 ギンガくんは、ぼくが羨ましかったし、憎かったんだろう。


 当時は、そんな事は解らなくて、ただただ、腕を折ったギンガくんが、怖かった。


 ぼくは、ギンガくんを避けるようになって、視線を外すようになって、シャットアウトするように、前髪を伸ばした。


 でも、ギンガくんの攻撃は、止まらなかった。


 ある時、公園で、ギンガくんはぼくを蹴りつけた。泣いて、やめててって叫んでも、全然止めてくれなくて、ぼくはそのまま、死んでしまうのだと思ったんだ。


「お前は、価値がない人間だから、誰も助けてくれない。手を伸ばしても叫んでも、誰も助けてくれない。無価値だから、友達なんか出来ない、助けてくれない」


 ギンガくんがそう言いながら、ぼくを蹴る。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 何で謝ってるのか、何を謝ってるのか、ぼくは解らない。


 誰かが助けてくれるのを、じっと、耐えて待ってたぼくの前に、ヒーローは現れた。


「何やってんだ、みっともねぇ!」


 ギンガくんを蹴り飛ばし、その子は、ついでにぼくも蹴った。


 何で? って思ってたら、ヒーローは、不愉快そうにぼくに吐き捨てる。


「お前も、悪くねーのに謝んな、クソチビ。堂々としてろ。ぶっ飛ばしてやれ」


 それは無理です。


「おい、お前。こいつを無価値とか言ってたけど。俺が助けに入ったぜ? 無価値なのはどっちだ、クソ野郎」


「っ……」


 ぼくはその言葉に、きっと、救われたんだと思う。


 だって、ぼくは悪くないもん。


 ぼくをチビって言ったけど、ヒーローもそんなに大きくない。黒い髪を短く刈り上げた、目付きの鋭い少年。多分、別の中学の生徒だろう。見た事ない子だ。


 ヒーローは、それだけ言うと、買い物袋を引っ提げて、商店街の方へと消えていった。


 しばらく尻餅をついていたギンガくんも、うつ向いて、そのまま立ち去ってしまった。


 そして、それが、ギンガくんとの最後の別れ。


 お父さんがリストラされて、社宅に居られなくなったギンガくんは、隣の市へと引っ越して行った。


 それからずっと、逢ってない。





 ぼくが家が平和なのは、ぼくのせいじゃない。


 ギンガくんの家が平和じゃないのも、ギンガくんのせいじゃない。


 不公平に思えるかも知れないけど。多分、世界はどこかで、帳尻が合う。


 ギンガくんが居なくなった、公園で、ぼくはギンガくんに文句を言う。


「ザマーミロ! 価値がない人間だから、誰も助けてくれないぞ。手を伸ばしたって、叫んだって、お前なんか助けてくれるもんか! 友達だって出来ないし、助けてなんかくれないんだからなっ! だって」


 きっと、もう、会うことはないんだろうな。そう思ったら、嫌だったのに、痛かったのに、なんだか泣けてきた。


「お前、一言も、助けてくれなんて、言わなかったじゃないかっ……!」


 本当にそうかな。


 ぼくは、知ってたはずだ。


 ギンガくんの腕に、火傷の痕があることも、いつも、背中やお腹に、痣があることも。


 いつか、強くなって、親父をぶっ殺してやるって、言ってた事も。


 妹と二人、真冬の夜中に外に出されて、守るように、妹を抱き締めて暖めてやったことも。





「誰か、ギンガくんを助けて」





 その日から、ぼくは、ノートに妄想を書き始めた。


 正義感に溢れた、ぼくのヒーロー。ぼくを助けてくれた、あの子みたいな、熱いヒーローだ。


 レッドドッグ。暁の騎士団。


 いつしか、ぼくが作ったヒーローは、一人歩きし、物語の主人公になる。


 孤独な夜空の星みたいに、きみはまだ、一人だろうか。


 いつか、ギンガくんにも、ヒーローが現れるように、願いをこめて。


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