第四十四節 蠢く悪魔たち
結論から言えば、協力要請は取り付けることができたらしい。ただし条件として、ヘルヘームの村の問題についても解決とまではいかずとも協力することになったと。それに苦い顔をしたのは、スクーズだ。
彼女が言うには、狡猾な性格である自分の祖父が余所者にこんな簡単に手を貸すと言うのは、ありえないことだと。何か裏がある気がしてならないと、苦しげに言葉を零す。
しかしそうでもしないと、こちらとしてもフヴェルゲルミルの泉にレイを連れて行くことが出来ない。苦渋の選択だったが、こうする他なかった。それはスクーズも、理解しているはず。
「それは、存じておりますが……」
「とにかく、さらに警戒を強めた方がいいってことなんでしょ?なら必ずレイにはこの三人のうちの、誰かが付き添っていること」
幸い明るい時間帯のうちにフヴェルゲルミルの泉へ向かう許可を得た。なるべく急いだ方がいいかもしれない。三人の意見が一致する。昼食を食べて準備をすることを考慮して、二時間後に泉に向かうことに決定した。つまり村から出るまで、彼を守りきればいいのだ。
村長から昼食を共にと誘われたが、そこはスクーズが機転をきかせた。村長には三十分後に村人たちとの間に開かれる、定期会議に参加してもらう予定を立てさせていた。そう彼女が指摘すると、残念だと肩を落としていたそうだ。
今は村長が屋敷から出て十分が経っている。ひとまずは腹の足しになるものをと、スクーズは昼食を作りに部屋から出た。レイの容体も安定しているようで、規則的な呼吸が聞こえる。なんだかハードスケジュールだが、善は急げ。愛用の大剣を、確認の意味も含めて鞘から抜く。先日手入れをしたばかりだ、しばらくの間は刃こぼれする心配もない。……心配と言えば。
「ねぇソワンさん」
「どうしたの?」
この村に来てから覚えている違和感。それに気付いているのは自分だけなのかと、確かめることにした。
「この村に来た時からなんか違和感があるんですけど……。俺だけですかね?」
「ううん、ボクも感じてる。なんか薄気味悪いというか、何かが足りない気がしてならないんだよね」
「ですよね……。何かが足りないはずなのにこう、喉元につっかえるというか頭の中で言葉が消えるっていうか」
どうも疑心暗鬼に拍車をかけている。いつの間にか自分たちは、罠に掛けられているのではないのだろうか。雪に覆われたこの村のように、村人たちは善人の皮を被った悪人だらけなのだろうか。取り越し苦労に越したことはないが、いかんせん胸騒ぎがする。
不安の渦にいた二人に、突如響いてきた悲鳴。外から聞こえてきた耳をつんざくようなそれに、思考が現実に引き戻された。何事かと窓から様子を伺う。
熊だ。しかもかなりの大きさの。恐らく野生だろう。それにしても何故人里に、唐突に熊が出現しているのか。熊は興奮状態らしく、その凶暴な爪を振り回しながら村人や民家へ向かっていく。
逃げ惑っている女性や、足腰が弱いであろう老人。中には凶行を止めようと、猟銃を構えている男性の村人もいる。一先ずは止めないとならない。協力要請の条件にもあったように、ヘルヘームの村の問題に協力しなければならない。ここは自分がなんとか抑えるとソワンから伝えられるや否や、彼は窓から飛び出して行った。
その直後、廊下の外から何かが割れる音と悲鳴が耳に入ってきた。まるでタイミングを見計らったかのよう。見え透いた罠だということは理解している。ここで自分が離れたら、レイを守れる人が誰もいなくなってしまう。とはいえ、今しがた届いた聞き覚えのある声の悲鳴も気にかかる。声の主はスクーズに間違いない。苦渋の選択だったが、すぐこの部屋に戻ればいいのだと結論づける。
「すぐに戻るからね……!」
未だ目を覚まさないレイに告げ、窓を閉めてから部屋を出た。音が聞こえた台所の方まで走る。念のため大剣は持ってきている。
目的の場所に辿り着き飛び込んできた光景に、言葉を失った。床にスクーズが伏していた。台所の窓ガラスは無残に四散して、さらに壁には大人が二人は並んで歩ける程の、大きい穴。そしてその穴から後ろ姿しか見えなかったが、そこから立ち去る複数人の人間。
説明するまでもなく、スクーズが襲われたことが理解できた。兎に角彼女の無事を確認しようと、傍まで駆け寄る。肩を揺らせば、ややあってから彼女は呻き声を漏らしながら、目を開けた。良かった、とりあえず生きてはいるようだ。
「大丈夫ですか?」
「……わたし……。そう、お昼を作って、たら……突然村人たちが家に穴を……!」
「立てますか?」
手を差し出せば、彼女は遠慮がちに手を取りながらも立ち上がる。一瞬ふらついたが、思ったより怪我はそれ程でもないようだ。
「っ!あの子の元に戻ってください……!気絶する前、村人たちが首尾は上々だって言っていた……。彼らの目的は、あの子です!」
何か確信さえ持ったような言葉に、尋ねるより先にスクーズは走り出した。慌ててその後ろを追えば、辿り着いた場所はスクーズの部屋。その部屋ではレイが眠っている、はずだった。
「えっ……!?」
部屋の中を見て一驚する。ベッドの上で眠っていたはずのレイが、いない。ベッドの上にあるのは、捲られたシーツだけ。加えてお約束、と言わんばかりにご丁寧に開けられたままの窓。
理解したくなかったことを理解してしまった。そしてすぐに、レイの傍から離れたことを後悔した。あれだけ言われていたのに、一瞬だからと目を離すべきではなかったのだ。悔しさに拳を握り締める。自分の情けなさに怒りがこみ上げた。
「エイリーク」
背後から自分を呼ぶ声に振り返る。そこには険しい表情のソワンがいた。どうやら外の騒ぎは、無事に収束させたみたいだ。
「ソワンさん。ごめんなさい、俺……!」
「大丈夫、なんとなくそうじゃないかなって思ってた。それにエイリークのせいじゃないよ。……だよね?」
彼が睨んだ視線の先にいたのはスクーズだ。彼女は沈黙したまま、自分たちをただ見ている。無言を肯定と受け取ったソワンは、言葉を続けた。
「色々聞きたいこと、問いただしたいことは山ほどある。だけどその前に、レイが連れ去られた場所まで案内して。心当たりがないとは言わせないよ」
「……はい。ご案内します」
「エイリーク、準備して。今ならまだ間に合うかもしれない」
急かされるままに外套と防寒着を纏い、屋敷から飛び出す。幸いにも雪は止んでいて、足跡もくっきり残っている。屋敷の周りには複数人の足跡があった。
そこから考えられた事実が一つ。この騒動は突発的ではなく、計画的な犯行であるということだ。雪の上を走るのは一苦労するが、今は時間が惜しい。村を一瞥して、そこでようやく違和感のピースがカチリ、と嵌る。
「ソワンさん、この村ってもしかして……」
「気付いた?そうだよ、この村には──」
──子供が一人たりともいない。
正確に言えば、赤ん坊以外の子供がいない。いやに静かだと感じたのは、子供の声が聞こえなかったからだ。楽しく笑う子供の声、その一言もない。ソワンは先程の熊騒ぎの時に、村の中の様子でそのことに気付き、嫌な胸騒ぎが駆け巡ったという。そしてそこから、ある恐ろしい想像をしてしまったらしい。杞憂に終わってほしいが、限りなく現実的な想像を。
「スクーズ。あの村に生まれた子供の末路を、知っているんでしょ?教えて。ボクらにはそれを知る権利がある。そしてそれこそが、レイが連れ去られた理由でもあると思うんだけど。……どうかな?」
「末路……?」
「あのね、少し話はズレるんだけど……」
ソワンが話し出した内容は、この世界に溢れているマナについてのことだ。マナは大気中に浮遊する形で存在していること。地域によってマナの量は違う。だからこそ大陸ごとの環境の変化に影響する。ただ空気と違い、工夫次第でその量を増やすことは出来る。しかしマナを任意の場所に送ることは、本来は出来ないのだ。
「でもさっき、貴女は言ってたよね?」
──毎日届く僅かばかりのマナや、狩猟での獲物を売って二束三文の資金を受け取って生活をしております。
「届くってことは、どこからか送られてくるものを受け取るってことだよ。ねぇ、貴女たちはマナを、何処から受け取っているの?そして、どうしてそんなことが出来ているの?
どういう意図があったにしろ、隠されたことで対応が間に合わなかった。知っていたら対策ができたかもしれないのに。口には出さなかったが、ソワンの言葉には明らかにそういった憤慨の念が含まれていたように思えた。
「……ヘルヘームで生まれた子供たちには、例外を除いて二つの未来しかないのです」
「二つの、未来?」
固唾を呑んで、答えを待つ。
次に紡がれたスクーズの言葉に、戦慄することになる。
「金で身を売られるか、この先にある永久凍土の祠で、人身御供になるか……。それ以外に、あの村の出身の子供が生きる術は、ないのです」
その言葉は、降ってきた雪で掻き消えることはなかった。
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