第四十三節 化けの皮 醜い姿
「これから先のヘルヘームでは、私以外の村人は信用なさりませぬようご注意ください」
ボロボロの橋を渡りながら、スクーズは重ねてエイリークとソワンに忠告する。なんで同じ村に住んでいる住人のことを、そんなに無愛想に言い捨てるのだろうか。情とか、仲間意識がないのだろうか。
「なんでそこまで言うんですか?」
「……今私たちが歩いているこの橋。以前はそれはもう美しく、灰色と白しか知らない私にとっては太陽の光のような橋でした」
「それって……。まさか、この橋が『ギャラールの橋』なの……!?」
まさか、そんなこと。『ギャラールの橋』は黄金に輝く橋であり、こんな悲惨な有様な、雪の重みで崩れてしまいそうな橋とは大違いだ。とても同じ橋だとは思えない。しかしスクーズは一つ、ゆっくりと頷く。それは事実だということを示していた。顔が見えないため表情は伺えない。きっと複雑な想いがあるのだろう。あまり踏み込まない方が良さそうだ。
さてそれを踏まえると、次に出てくるのは誰が橋をこんな姿に変えたのか。犯人は誰なのか。そんな疑問も出てくる。次にスクーズが語り出した内容は、ヘルヘームの歴史についてだった。
「ヘルヘームはノルズリ地方の、辺境の地にあります。ニールヘームと違い、ヘルヘームには暖房機器の技術者が殆どいません。働ける者も多くありません。毎日届く僅かばかりのマナや、狩猟での獲物を売って二束三文の資金を受け取って生活をしております」
そんな苦しい生活をしていく中で住人の心はゆっくりと、しかし確実に腐食していた。少しでも多くの金が欲しい、欲に目が眩んだ人間が目をつけたのは、目先にあった黄金の橋だったという。そう、ギャラールの橋のことだ。一人がそれを盗み売り捌くと、狩りの獲物とは比べ物にならない程の金を手に入れた。それが瞬く間に村中に広がり、一人、また一人と橋から黄金を剥いだ。果てには少しでも傷がない状態で売りたいからと、敷き詰められている石をそのまま盗み出して売る人間まで出る始末。そのせいで橋は、以前のような美しさと荘厳さを失ってしまった。今ではすっかり金目になるものがなくなったからと、整備もされずに放置されている、と。
心の卑しい人間が多く住んでいる、ヘルヘームはそんな村だと話すスクーズ。何も知らないままヘルヘームに向かわせるわけにはいかない。そんな思いから彼女は
「そんな村で、レイを休めることってできるの……?」
「そこは、私が責任を持って用意します。しかしその少年から、ひと時も離れぬようお願いします。部屋は、私の部屋でしたらそう簡単に村人が入ってくることはありません。万が一席を外される場合は、私が看病をいたします」
さらにはヘルヘームでは、彼女以外が作った食事以外は口にしないようにとのこと。何が混入されているか、わからないからだと。とにかく村人達には警戒しておくように、と釘を刺された。そこまで言われてヘルヘームに行く気はなくなっていくが、レイを助けるためだと腹を括る。ここで引き返しても、レイは二度と目を覚まさないのかもしれないのだから。
******
ヘルヘームに到着したのは、スクーズと出会って20分ほど歩いた後のことだった。灰色はまだ明るい。昼頃だろうか。
それにしても、とエイリークは村の入口でそこを一瞥する。少しの違和感を感じた。
あまりにも村が静かすぎる気がする。それに、なんと言葉に表せばいいのだろうか。圧倒的に何かが足りない。直感的に、ここにはあるものがないと気付く。しかしその正体については、靄がかかったようにあやふやで突き止めきれない。薄ら寒さすら感じた。
スクーズに案内されて辿り着いた場所は、ヘルヘームの最深部。とても大きな屋敷であることから、ここがヘルヘームの村長の家でありスクーズの家だと理解した。ここまで来るまでにも、何かが足りないと違和感が拭えなかった。いったい、何が足りないのだろう。こちらをチラチラと見る村人の数は、一般的な人数であるとは思うが──。
屋敷の前で止まり、彼女は振り返る。最後の忠告です、とこれまで以上に表情を固くして言葉を紡ぐ。
「村人に警戒するように申しましたが、その中でも一番注意しなければならない人物がいます。その人物は、今から会うヘルヘームの村長……私の祖父です」
「村長?でも村長ってスクーズさんのことじゃないんですか?」
エイリークの質問に、スクーズはふるふると静かに首を横に振った。その反応を見たソワンは、やっぱりと呟く。
「妙な言い回しするんだなって思ったんだ。最初の自己紹介の時に、
普通自分が村長だというのなら、わざわざ「ヘルヘームの住人」と言う必要はない。そう指摘すれば、スクーズは謝罪した。
「黙っていて申し訳ありません。ですが、安心致しました。あなたは私が自己紹介をしても、警戒心は解いていなかった……。常にその状態でいてほしいのです。特に、あの男の前では」
「そこまで言うのに、ボク達を村長に会わせるんだね」
「あなたは、信書をお持ちなのでしょう?この村の村長に、その少年を助ける手伝いをして欲しいと書かれた、それが」
「うん。……どうやら
自分にとっても、確定された事実が出来て良かったと話す。どことなく置いていかれている気がするが、二人の中で会話が繋がっているのならいいか。
「村長は人当たり良く笑いますが、その皮の下には醜く汚らしい本性があるのです。くれぐれも、お気を付けて」
そう言うと、スクーズは屋敷のドアを開けた。中にいた数名のメイドが、迎えに出る。
「おかえりなさいませ、スクーズ様」
「祖父はいますか?」
「はい、執務室におります」
「ならば客人の面会の許可を。遠い地、ミズガルーズからお越しになりました、国家防衛軍の方です。お渡ししたいものがある、と」
一見すると冷たい令嬢と真摯に使えるメイドだが、先程の彼女の話を聞く限り目の前の人物も信頼できないのだろう。メイドに客人を部屋に案内する、と言うと自分たちを引き連れて奥の部屋へと向かった。許可については部屋まで伝言するように、と伝えて。
案内されたのはスクーズの部屋だ。一つだけのベッドにレイを寝かせるよう指示する。少し躊躇ったが、レイを暖かい場所で休ませたかったことも事実。その言葉に甘えることにした。相変わらず目を覚まさないが、顔色はそれほど悪くなっていないようだ。
「良かった……」
「精神汚染の呪縛、でしたっけ……」
防寒具を壁にかけたスクーズが、眠ったままのレイを見る。そっと彼の頬に触れるが、それでもやはり反応しない。
「スクーズさんは、精神汚染とかフヴェルゲルミルの泉について何か知っていますか?」
「いえ……。私は
フヴェルゲルミルの泉はノルズリに流るる全ての流水の根源である。其れに触れられるのは、女神に認められた継承者たちのみ。もし悪しき者、穢れた者が触れようものならば泉が怒りを叫ぶ。それは忽ちに沸き立ち、全てを飲み込む災厄となるだろう。残るのは癒しの泉ではなく、毒が蔓延る死の泉。災厄はそれだけに非ず。泉の奥に住まう黒き翼の龍が毒を啜り、禁忌を破りし者に裁きを下す。咆哮と共に銀の毛を持つ獣が、人々の前に現れる。彼らは、世界が終末を迎えるその時まで決してその爪を止めることはない。
このような言い伝えだと、スクーズは歌うように語った。
つまり定められた人物以外が泉に触ろうものなら、災厄が降り注ぐということだ。ここヘルヘームの村人達も、その言い伝えだけは骨の髄まで浸透しているらしい。いくら金目になりそうな泉だからと、無闇矢鱈に手を出したりはしていないそうだ。
「じゃあ、フヴェルゲルミルの泉自体はまだ実際に存在していて、しかも古代から変わっていないってことですか?」
「恐らく……」
「なんか、締まりが悪いね?」
「父と母が生きていた頃は、よく連れて行ってもらいました。ヘルヘームに住む村長として、この泉を守っていくのだと。しかしそれももう数年前のこと。今がどういう状態なのか、正直わかりません」
ただ災厄が起きていないことから、恐らく無事なのではないだろうか。それは彼女の考えだという。まだ聴きたいことがある、と訊ねようとしたところで扉がノックされる。
「スクーズ様、村長様から準備が出来たとの伝言です」
「わかりました」
メイドに下がるよう指示すると、スクーズはソワンに執務室へ案内すると立ち上がる。面会している間、レイの面倒を自分が引き受けると二人に伝える。
「バルドル族の俺が行ったら、ほら混乱させそうだし。俺は軍人でもないから、レイのことみてますよ。それなら安心でしょ?」
「ごめん、ありがとうねエイリーク。お願いしてもいいかな?」
「もちろん。ソワンさんも協力要請について、お願いします」
「まっかせて。少なくとも、邪魔はさせないようにとか取り付けてくるよ」
ソワンはウインクすると、ぐ、と親指を上に立ててポーズをとった。そのまま、スクーズと共に部屋を出て行く。
パタン、と静かに閉められたドアを見て、近くに置いてある椅子に座る。未だ目を覚まさずにいるレイに視線を落とす。呼吸も安定しているのに、目を覚まさない方が不思議なくらいだ。数日話していないだけなのに、ずっとレイの笑顔を見ていないような気がする。
ようやく助けられる。いや寧ろここまで来たのだから、絶対に助け出してみせる。だけどどうしてだろうか。目を覚ました後、レイが遠い存在になってしまうかもしれない。そんな寂しい予感が、閃光のように駆け抜けていったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます