16-2 「ハッピバースデーまーいー」
「ハッピバースデーまーいー、ハッピバースデーまーいー」
日曜日の朝のことである。口ずさみながら居間をスキップで抜けていく舞に、床に寝そべって携帯電話をいじっていたゆかりは冷やかな目を向けた。ソファの上では、その母親が適当なメロディーを鼻歌で歌いながら、雑誌のページを捲っている。
「ねぇ、なにあいつ、調子に乗ってるの?自分の誕生日の歌なんか歌っちゃってさ」
「いいじゃないの。今日はご機嫌なのよ。期末テストも終わったし、お誕生日だし、友達と海に行く約束もしたみたいだし」
「気楽なもんね。どうせ明日からテストの結果に泣くくせに」
「だから、今日ぐらい楽しませてあげなさい。あまり水差すようなこと言わないであげて。あっ、そうだ。ゆかり、プロムナードのケーキ、予約してあるから、後で取りにいってね」
「えー、なんであたしが……」
「ケーキ代のお釣り、お小遣いにしていいから」
「はいはい」
「いってきまーす!」
舞の明るい声が玄関から響いてくる。いってらっしゃいと手を振る母親の足元で、ゆかりはますます面白くなさそうなしかめ面をした。母は、そんな娘のむくれたTシャツの背中に目を落とす。
「どうしたの、ゆかり?妹の誕生日の何が気にくわないの?」
「別にあいつの誕生日が気に入らない訳じゃないもん……」
「じゃあ、何よ?」
「だって、だって、あいつ……!」
その時、再び扉の開く音がして、舞が悲鳴をあげながら、どたばたと騒がしい音をたてて居間を突っ切り、階段を駆け上っていく。母と姉とは思わず耳を塞いだ。先ほど上機嫌で飛び出していってから数秒で、舞の心境には驚くべき変化が起こったものと見える。階上から舞の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
「うわーん!肝心の水着忘れてたー!」
「どうぞゆっくり探してくださ……」
「あれ?ないっ!見当たらない!どこ?!どこいったの?!ふえーん!」
「ひ、姫様、どうか落ち着いて……!」
舞の声に応じて玄関先から聞こえてくる深みのある低音に、舞の母は頬の手をあてて乙女らしく「まあ」と声をあげる。「あれだよ、あれ!」と、ゆかりは口の動きだけで母親に訴えたのち、懸命に声を押し殺して言った。
「なんで、あいつが
「まあ、本当にモテるのねぇ、あの子ったら」
「そういう話じゃなくて!」
「見つかったー!」という声が降ってきて、再び京野家の末娘は家を飛び出していく。扉が閉じる音と共に、和室で、趣味で集めた骨董品の手入れをしていたらしい父親が突如として襖を開けて顏を覗かせ、妻と長女とに向かってすさまじい形相で尋ねた。
「男か?!」
「安心しなよ、女だから」
ゆかりは冷やかに父に告げて、無理やり襖の奥に父の顏を押し込めると、ハーフパンツから突き出した生足を組んで母の隣に腰かけた。母親はくすりと笑って、ゆかりの肩を突く。
「なあに?ゆかりもあの生徒会長さんが好きなの?やきもち?」
「違う!あいつが変なことしでかさないかが心配なの!生徒会長に睨まれたら、あたしの学校生活終わりなんだからね!」
「まあ、そんなに怖い人なの、あの人?とてもそうには見えないけど」
「あのねぇ!ああ見えて元不良なんだよ、あの会長!中等部の時からすっごかったんだから!とにかく喧嘩が強いんだ。男相手だろうがお構いなしで、実際に何人か病院送りにしたらしいんだから。まあ、なぜだか去年の秋あたりから急に落ち着いたんだけど」
ゆかりは溜息をつきながら額に手をあててぼやいた。
「お願いだから、舞、ほんっと変なことしないでよ……!」
車の後部座席の隣で、急にくすくすと笑い始めた舞に、ルカは妹でも見遣るような優しげな視線を送りつつ訝しがる。ルカは白い半袖のシャツに麻製のベージュ色をした七分丈のパンツ姿のシンプルな装いである。ひまわりのような黄色いワンピースを纏って、麦わら帽子を膝に載せ、真夏の装いをした舞はその視線に応えて言った。
「なんだか嬉しくって。みんなで海に行けると思うと!だってね、つい一月ぐらい前まで私たち、全然接点なかったのに、今はこんなに仲良しになって一緒に遊べるんだもん!それってすっごく幸せなことだと思わない?」
「運命の導きです。但し、私たちを導いたのは苛酷な戦いの運命ではありますが」
まるで口説き文句のように甘く囁かれた言葉であった。けれども、舞は膨れてみせる。
「ダメだよ、ルカさん!今日はそんなことは忘れよう!ああ、そうだ!それから、ずーっと言おうと思ってたんだけどね、姫様って私のこと呼ぶの今後禁止ね!」
「し、しかし……」
「だって、周りの人がおかしがるじゃない。それに、ルカさんが私に敬語使ってるのも変だし……私のことはこれから舞って呼んでね!命令だからね、これ!」
「は、はい……」
「ほら、敬語になってる!」
「え、えぇっと……」
ルカをここまでたじたじにしてみせるのは、世界広しと言えども舞ぐらいなものである。あとは一応ルカの母親・ソーニャがいることにはいるのだが。折しも、ルカと舞とを乗せた白崎家のお忍び用の車の何号目かが停車して、二人の少女が、真夏の日差しよりも燦然とした笑顔で車の中に飛び込んできたので、ルカは救われた。扉を開けるなり、翼は「誕生日おめでとう!」と言って舞に飛びつき、奈々はクラッカーを打ち鳴らした。火薬の匂いが車内に立ち込めて、色とりどりの紙ふぶきが車中の人々に襲い掛かる。
「ちょ、ちょっと、奈々さん!」
「あっ、ごめん、舞ちゃん!びっくりした?」
「びっくりしたって……これ、ルカさんの車ですよ!」
「いや、その、私は構いませんが……」
「あっ、また敬語になってる!」
「えっ?あっ、その……わ、私は、構わないが……」
「とにかく奈々さん乗っちゃわないと、運転手さん困ってる!」
「ほいほいっと」
奈々が二列目の後部座席に落ち着くと同時に扉が閉まる。車は明るい少女たちのかしましいまでの笑い声を載せて、桜花市を離れ、白崎家のプライベートビーチのある神奈川県内の海岸へと連れ出した。
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