4-7 春をもたらし水を操る者

 舞と、テディベアの姿に戻った左大臣とは、ごく簡略にではあったが、前世のこと、京姫のこと、四神のこと、そして漆のことを語った。翼はぽかんとして聞いていた。無理もない。舞だって信じられなかったのだから。信じられないというより、信じようという気持ちにはなかなかなれなかった。戦いだなんて、まるで今までの生活とは違うことを押し付けられるのだもの。とてもそれを受け入れることなんてできやしない。舞と左大臣とが一通り話し終わると、翼はぼうっと放心したようになりながらも、自分の右手の中に握られている青い鈴と舞とを交互に見遣った。鈴の中には青い龍の形をした宝石が水の中に浮かんでいる。


「それじゃあ、あたしがその四神なの……?それで、漆とかいうやつと、戦って……」

「左様。青木殿は四神のうちでも、京の東を守護し、京に春をもたらす青龍でございます。そして、また、青龍は水の力をも自在に操る力を持っておいでです」

「水……」


 鈴から足元に零れ落ちた雫の音を、翼はまた耳にしたように思う。そういえば、戦いの最中、もうとっくに噴水は止まっている時間だというのになぜか水が噴き出ていたっけ。


「……というわけで、青木さん。非常に、頼みにくいんだけど、その……わ、私と一緒に戦ってもらえないかな?このままだと、漆ってやつはまた私たちを狙ってくるし、それに私を殺して、この世界を滅ぼすつもりみたい、だから……!」


 翼は舞をじっと見つめた。このクラスメイトの言葉を裏付けるものを、今日はたくさん見てしまった。それに、翼自身の心が信じようとしている。疲れ切ってまわらない頭ではあるけれど、舞の言う事が嘘ではないことはわかる。自分をからかっている訳ではないことも。この人は大丈夫、信じてもいい。この人の瞳は、まっすぐで清らかで、とても優しい。


 翼はその目を懐かしく思った。前世の話を聞いたせいで、暗示にかかっているせいかもしれない。でも、今日の昼間からそうだった。保健室に舞を連れていく途中の談笑は、とても楽しく、心が打ち解けた。やっぱり、あたしたち、前世で……しかし、翼はその考えを頭から振り払う。実際に首を振ったので、それを拒絶の意と取ったらしい舞が失望の色を映し出したほどだ。違う、そうじゃない。そうじゃなくって……


「あたし、前世の因縁なんかのために戦わない」

「あ、青木殿!」


 テディベアがショックでベンチの上から転げ落ちかかり、舞は慌ててぬいぐるみの体を支える。翼はかまわず先を続けた。


「あたし、この町を守るためになら戦う。あたし、この町の人間を傷つけるやつらは許せない。あいつらはさっき、あたしのお姉ちゃんを襲った……だから、あたしがもうこれ以上奴らに悪さをさせないよう、倒してみせるの……!京野さん、あたし、協力する!!」


 舞がわっと声をあげて翼に抱きついたので、左大臣は助けられた甲斐もなく地面に転げ落ちた。抱き合う二人の脳裏には同じ景色がひろがっていた。それは春の、そうだ、ちょうど今と同じぐらい。桜の終わったころの庭の中。青龍が「とう!」と茂みのうちに刀の鞘を突き入れると、小さな姫君が悲鳴をあげて飛び出てくる。青龍は言う。


「姫様!まーた勉強の時間に抜け出しましたね!」

 すると、半泣きの姫君はあこめの袖を必死に振って叫ぶ。

「だって、だって、つまんないんだもん!!!」

「つまんないからってやらなかったら、一生バカのままですよ!」

「なによ!青龍のバカ!!」

「あたしは姫様よりは勉強できますもんねー!」

「嘘っ!嘘っ!私だってやればできるんだもんー!!」


 不意にはしゃいでいた舞の動きがぴたりと止まった。翼が不思議に思って見つめるうちに、舞の顔がどんどんと青ざめていく。


「き、京野さん?どうしたの?具合でも悪いの?」

「ひ、姫様、まさか先ほどのお怪我が……!」

「い、今、何時……?」

「えっ?あっ……ああっ!!!!!」


 腕時計を見て、翼も絶叫する。そういえば、自分は父親に夜食を届けるために家を出たのではなかったか?で、その夜食は……?翼はきっと泉の方を振り見て、へなへなとしおれた。駄目だ。完全に水没している。


「というか、あたしの自転車も携帯も……」

「絶対に怒られる!わーん!」


 阿鼻叫喚の少女たちを目にして、左大臣は溜息をついてぬいぐるみの肩をすくめた。あきれ返っても仕方もない。あんな風に敵に立ち向かうような強さを持ち得るとはいっても、この世界ではまだまだ子供であり、親の庇護下にある少女たちなのだから。


「どうしよう!どうしよう!」

「あたしの、自転車……!」


 二人の耳に「おーい」と呼び声が届いたのは、その声の主がようよう噴水広場の上に自転車を停めて姿を現してからだった。二人が涙に滲んだ顔をあげてみると、そこには制服姿の警察官が、こちらにむかって手を振っていた。その隣には、なんだか見覚えのある少年もいる。少年も警察官に並んで自転車を止めたところだ。


「お、お父さんっ?!それに、恭弥!」

「おい、大丈夫かよっ?!」


 二人が慌ただしく階段を駆け下りてくる。翼の父という人は、黒い髪を短く刈り込み、四角い黒縁の眼鏡をかけた、細見の人の好さそうな男性で、駆け寄ってくるなり翼の両肩を両手で抱いて揺すぶった。


「おい、翼!大丈夫か?!怪我、してないか?」

「ちょっ……お、お父さんやめたったら!もう!」

「あっ、ごめん、ごめん。だ、だって、怪物に襲われたって聞いたもんだから……恭弥君が連絡してくれたんだよ。お姉ちゃんはとてもショックで伸びてるっていうし、翼は囮になってどこかに行っちゃったっていうし。お父さん、気が気じゃなかったんだ。ああ、でも、無事でよかった!」


 翼が父親の抱擁を受けて息苦しそうにしている間、舞と恭弥の目が合った。


「あれっ、京野」

「あっ、こんばんは」

「お前も一緒だったのか?」

「う、うん……ここで青木さんと偶然会って……」

「それで、怪物は?」

「か、怪物は逃げたわよ!」


 翼がなんとか父親の腕を振りほどくことに成功して言った。翼の父親の顔が蒼白になる。


「に、逃げた?!っていうことは、まだこの町の中を……」

「それは大丈夫だけど!あたしがこっぴどくやっつけたから。ねぇ、お父さんっ!これからこの町のパトロール、強化してちょうだい!ああいう危ない怪物が、またいつ襲ってくるかわからないでしょ!」

「そ、そりゃあ、勿論そうするけど……しかし、怪物なんて信じてもらえるのかなあ?そういえばこの間は土佐犬に襲われたって通報が二件あったなぁ。あの時も確か桜花中の中学生が……うーん、なんか山から下りてきた動物でもうろついてるのかなあ」


 舞はそっぽを向いて、鼻歌を歌ってごまかした。どうかあの時の被害者が私だと気づかれませんようにと祈りながら。


「まっ、とにかくみんな無事でよかった。そういえば、翼、こちらは?」

 翼の父は、舞の方を向いて尋ねた。

「あっ、クラスメイト。あたしの友達。京野さんっていうの」

「こ、こんばんは」


 舞はぺこりと頭を下げた。すると、翼の父親は頭をかきながら、無礼を詫びるようにこれまた丁重に腰をおろした。


「ああ、挨拶が遅くなってすみません!僕、翼の父親です。どうもよろしく。ところで、京野さんは特にお怪我はなく?」

「えぇ、無事です!ありがとうございます!」

「あっ、そうだ、京野……!」


 なにか思い出して、恭弥が階段を駆け上っていく。不思議そうに見守る舞に、恭弥は自転車の籠から取り出してきた、白い箱を手渡した。ケーキ屋がケーキを収めるのによく使っている取っ手のついた箱だ。舞がきょとんとしながら受け取ると、恭弥は説明した。


「わりぃな。自転車で運んだからくずれちまったかもしれねぇ。ほら、今日、ボールぶつけたから、そのお詫びにって、母ちゃんが」

「そ、そんな!いいのに!」

「いや、大したもんじゃねぇし……母ちゃんがやってる店のケーキだから、んな美味くねぇかもしれねぇけど」

「そんな!わざわざごめんね。嬉しい!ありがとう!」


 笑顔の舞になぜか頬をかきながら目を逸らした恭弥を見て、妙にはらはらしている娘の様子にはつゆほども気づかず、翼の父親は笑いながらぱんぱんと手を打った。


「さっ、もう夜も遅い!みんなもう帰ろう。僕が送っていくよ!お母さんたちが心配してるからねっ!」




「ちょっ、ちょっと、お母さん!!!!」


 一階の和室で正座して娘のブラウスにアイロンをかけていた京野美禰子きょうのみねこは、いかにも風呂上りという風情で、パジャマ姿にまだ髪も濡れたままの舞がどたどたと駆けつけてきて襖を開けたので視線だけ目を上げた。それでまだ怒っていることを示したつもりだった。まったくこの不良娘は。連絡も寄越さず、夜九時に帰ってくるなんて。それもご丁寧に警察官に付き添われて。美禰子と長女のゆかりは卒倒しかけたほどだ。美禰子はいつものおっとりした様子はどこへやら、やたらと低い声で言う。


「なーによ、この親不孝娘」

「ううう、ごめんったらー!そ、それより!私のもらってきたケーキ、食べたでしょ!」

「あたりまえでしょう。夜九時にのこのこ帰ってきて夕食作らせた罪は重いのよ」

「で、でも、十個もあったじゃない!全部食べたの?!」

「ううん、お姉ちゃんと半分ずつ」

「それでも五個!」

「なによ、なにか文句あるの?」

「わ、私が痛い思いしたからもらえたのに……!プロムナードのケーキ……!もう、お母さんもお姉ちゃんも太っちゃえ!!」

「大丈夫、私もお姉ちゃんも太らない体質だもーん」

「ずるーい!二人ともバカー!」


 舞の泣き声が響く中、京野家の夜は更けていく。ソファの上でニュースを見ている舞の父親の膝の上で、テディベアは気付かれぬようにそっと溜息をつく。


「いやはや……」

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