「傷」「夏」「言葉」

お父さま


 そちらはまだ、骨まで燃えそうな暑さが続いていることでしょう。いづみ野の家は暦通りに秋の気配を見せています。

 手術の傷はもうほとんど痛みません。命の匂いに満ちた山の空気が胸を満たして、力をいただいているように感じます。

 紙の上に言葉を並べるのはまだ慣れません。けれどお父さまの文字がそばにあるのは心強く思いますので、愛理あいりも頑張ってお返事をいたします。


 お友達はひとり、できました。幼いころから、ずっといづみ野に住んでいる子です。のぞみを結ぶ、と書いてユキと読みます。

 結希を見ていると、お父さまがおっしゃった「若竹のようにしなやかでありなさい」という言葉を思い出します。風に揺れても折れぬようなしたたかな人間でありなさいと、いまもお父さまの声音でときおり、よみがえります。

 結希はいつも、枝と川面を行き来するかわせみのように死のふちから戻るのです。あの身体をあつかえるのは彼女だけです。朝おきて元気そうでも、結希がだめだと言ったらほんとうなのです。


 昨日はふたりで夏のお葬式をしました。季節が変わるたびに、結希は去っていく季節のお葬式をしたがります。たまたま、昨日は私と結希の調子が合ったのです。澄んだ川に名前も知らない花を流すとき、触れた水がとても冷たく、お父さまにさしあげたいと思いました。

 一日も早く、お父さまの力になれる身体を取り戻したいものです。ここにいては、街から来る人に会うことすらかなわないのですから。鉄と熱と機械の世界にいらっしゃいますお父さま、どうか、ご無事でお勤めくださいませ。

 遠いけれど、ひと続きの空の下より。


愛理

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