マリィの石

 廊下で激しく咳き込む少女の、口許を抑えた白いハンカチから、煌めく欠片があまたこぼれる。はらはらと舞い落ちるものをよく見れば六角形の薄い結晶、雲母様の鉱石と知れるはずだ。

 なすすべもなく彼女の背を擦る。あたしにできるのは寄り添うことだけ。しばらくすれば職員が石を回収しに来る。それまではここを動くことも不可能だった。


 ここは掃き溜め。クズ石しか吐けない女の子の墓場。


 やっと落ち着いた彼女から、作業着の男は面倒そうにハンカチを奪う。性質上宝飾品にならない彼女の石は紙に施されて雲母引きらびきの装飾紙になる。決して高価なものではない。彼女は自分を養うために制作部で働いている。病がもたらす結晶に咳き込みながら、誰かの生んだ石を製品にする。悪趣味にも程がある。

 質の高い石を出せれば生活だけは保証されるのに。


 肩を抱いて連れて行くのはあたしのお城。もとはベッドが並ぶだけの殺風景な部屋だった。休憩室と言えば体良く聞こえるけれど、病人の避難所だ。働いていられないほどの症状に見舞われて転がり込む場所。

 このエリアに窓はない。見られてはならないからだ。色味のあるカーテンで仕切り、元から付いていた味気ない照明は消してある。かわりにあたしは温かい光を灯す。白熱灯、ランタン、ときに蝋燭。明るすぎないように、柔らかく。


 水を与えたのち彼女を横にならせて、隣のベッドの様子をうがう。

 十六歳を迎えたばかりの痩身の娘。金の髪を豊かに流して、長い睫毛を伏せて目を瞑っている。眠ってはいないようだった。肩が震えている。

「マリィ」

 先月の建国記念パレードが脳裏に蘇る。光り輝くばかりに美しかった、重たげなまでに宝石を飾られた王女に、マリィの容姿は限りなく似ている。

 実の妹なのだから当たり前だ。でも二人の運命は残酷に分かたれている。


 その子が十六になるまで、この国は王女の誕生を公にしない。女の子は病むからだ。そして病は存在を秘密にされている。


 それは王族であれど関係がない。

 それは十五歳までに発症する。

 それは身体に石を生じる。


 当たるかどうかは、運次第。


 この子が裏で何て呼ばれているか知っている?

 クズ石マリィ。可哀想な王女さま。

 彼女の石は脆く融点が低い。色こそ鮮やかだが使い道は少なく、絵の具にするくらいだ。皮下に石を生じやすいため、マリィの白い肌には幾度となくメスが入れられている。摘出しなければ石はいずれ皮膚を裂くか、関節の屈伸を止めるだろう。

 包帯をきつく巻かれた手をそっと取る。泣いているところを見たことがない。荒れた唇が弱々しく動いた。


「せんせい」

「聴いてるわ、マリィ」

「わたくし、いつ死ぬのかしら」


 答えに迷う。彼女はどちらを求めているのだろうか。


 死にたいなら、いくらでも例はある。この病を得た娘のほとんどが二十歳を迎える前に生涯を終える。


 生きたいなら、いくらかの例がある。三十も近くなれば、自然と石を生まなくなるから。他ならぬあたしがそのひとつだ。


 父は亡く家は貧しく、将来は暗かった。石によって生活を保障されるならいっそ幸運だった。母やきょうだいにも多少の補助金が出る。

 さらなる幸運はあたしの石が上物だったことだ。腹膜に沿って生まれる宝石は硬く、屈折率が高く、水色から深藍までさまざまの青を呈した。柔らかな組織に守られて大きく育つ結晶は、世界中の富豪に喜んで買われていった。

 妊婦のように膨らんだ腹を見て暗く笑う者は多かった。メスを取る医師、時折訪ねてくる政府高官。果てはあの王様だ。あたしの石を散りばめた王冠を自慢げに戴いた男。マリィの父。


 この国は嘘にまみれている。


 掘ったところで砂利しか出ない

 外からは上層部のオフィスしか見えない社屋。

 消える女の子たち。

 存在を認められない王女。

 その出自を伏せられて取引される宝石。


 思考から浮かび上がってマリィに微笑む。


「まだ痛むだろうけど、大丈夫よ。指もちゃんと動くようになるから。あたし、あなたのつくるものが好き。あなたに生きていてほしい……」

 素肌の上に直接かけたペンダントをシャツの上から触れる。マリィが手掛けた彫金の台座には石をはめるところがあるが、むろん何もついていない。それでも装飾品として十分な複雑さを備えている。


 パレードの王女はマリィのティアラをつけていた。繊細にして優美な意匠はまさしく彼女の才能だった。十三歳までを王宮で過ごしたためか、その感性には目を見張るものがあった。


 マリィの細い、傷だらけの手が金の素地を槌で叩いてティアラのかたちに曲げていく。ノミを当てて意匠を彫り込むときの真剣なまなざし。細く息を吹いて金属屑を飛ばす。

 石の質においては最下層のマリィが尊厳を保てるとすれば、その腕だけが頼みだった。


「本当に、好きなの」


 念を押す。あれはマリィにしかできない。価値のあるものだ。


 芸は身を助けるけれど、きっと心も守ってくれる。隠されて蔑ろにされて、生まれた家を家族を失い、何が残っているのと問いたくなっても。


 死んでいった先輩に言われたことがある。


 わたしたちが死んでも石は残るんだよ。わたしたちが愛されなくても石は大切にされるんだよ。


 それでも先輩は運命を恨んだだろう。折り合いをつけるしかないから、自分に言い聞かせていただけで。自死を試みる子は絶えない。みんな止められてしまうだけで。金の卵を産む鶏に無用な死は許されない。

 でも大人になってしまった今は、仲間をあまりに多く見送ってしまった今は。誰にも死んでほしくはなかった。生きて、ほんの一瞬で構わないから笑顔を見せて欲しかった。


 こんなのエゴだよ。わかっている。


「あたしがさみしいから。マリィには、みんなには一秒でも長くそばにいてほしいの」


 ふいと目をそらしたマリィの目尻がランプの光を映した。あたしは黙って照明を落とす。


「少し眠って。夕食には間に合うように起こしにくるから」


 あたしにできるのは勝手に光を灯すことだけ。それを迷惑と取るか救いと捉えてくれるのかはその子しだいだ。


 だけどあたしは何度だって光を手にとる。


 あたしの胸にはたくさんの、たくさん女の子たちの命が刻まれている、はずだから。

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