7.ワイン・孤島・探偵(お題の単語は使わない)

 やや息が上がったくらいで、集落が目に入る。狭い谷にまばらな家々と田畑らしい平らな土地がパズルのように組まれていた。その全てに雪が薄く積もっている。暦の上ではもう春だが、私にはまだその気配はとらえられない。

 メモを頼りにその家へ向かう。重厚な石造りの門と茅葺きの屋根を持つ日本家屋だ。白い砂利を敷いた庭の一角で、作務衣の男性が車を洗っていた。あの山道を車が通るはずもなく、首をかしげる。と、男性がこちらに気づいた。雪駄が砂利を鳴らす。涼しい目元と整った口髭に覚えがあった。旦那さんだろう。

「美帆子さんでしょう、話は聞いているよ」

 なんだ、根付なんて必要なかったじゃないか。まだ手のひらにあったそれをポケットに落とす。改めて眺めると、端正な顔立ちに時代がかった口髭は推理小説の主人公めいて理知的だった。

「案内しましょう。家内も待ちわびているんだ」

 玄関は土間になっている。固く締まっていてもかすかに湿った香りがした。旦那さんはひと言「ゆり」と中へ呼びかけた。力んでいないのに良く通る声。はい、と澄んだ声が返る。ぱたぱたと駆けてきたのは絣の着物にたすき掛け、前掛けをした女性。手にはボトルを捧げ持っている。緑のガラスの中に暗赤色の液体が揺れている。

「美帆子さんね、ようこそ」

 柔らかな笑みにあてられて黙ってしまう。奥さんはちらりと自らの手に目を落とす。

「あぁ、これ。私たち、葡萄も作っているのよ。主人は洋酒が好きでね……ようやく飲めるものが出来た時の喜びようったら」

 咳払いで話が止まる。旦那さんが私の肩に軽く触れた。

「美帆子さん、何か今の時点で気になっていることはありますか。無ければ部屋を案内してもらって、その後でもいい」

「あ、あの。車。ここへ来るのに山道でしたけど、通れる道があるんですか」

「千世は言わなかったのかい? 電車では不便になるけれど、山の裏手には幹線道路がありますよ。迎えに行こうかとも言ったんだが」

 千世らしいといえば、そうなのだけど。あからさまに伏せられていた情報に苦笑が漏れる。

「話に聞く限りだと、もっと断絶した場所だと思っていたんです。物資の輸送にも困るような、絶海に浮かんでいるようなところだと。だから少し拍子抜けしましたけど、それはそうですよね、人が住むところですもの」

 二人は軽やかに認識のずれを受け止めてくれ、私は彼らの家に最初の一歩を踏み入れた。

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