第5話 巡回警備
滅多にお目にかかれない画家の絵により、警視庁が駆り出されて厳重な警備体制をしかれた。
比較的余裕がある杏たちの巡回警備も重責を担わされる………。
──なんてことはなかった。
美術館──絵画の展示会場
館内を飾る色とりどりの絵画が来場者を魅了する。作者の意図を読み解こうとしたり、その迫力に感嘆を漏らしたりと十人十色の反応をみせる。
杏も警備しながら絵画を見て回った。
人物画、風景画、抽象画など描き手によって作風は様々で、どれもその人の息遣いや熱意を感じる作品だった。
だが、いまいち琴線に触れない。
写真と見間違うほど精巧な絵も、インパクトを重視した前衛的な絵も、しっくりこないのだ。
海外に赴いたり高価なものを目にしたりと、広い視野と刺激のある日常を手にしているため、目が肥えている自覚はある。だが、どうにも「これだ!」と思えるものが無かった。
「あ、あれが『影』がテーマの絵かな?意外と明るいなぁ。こっちは『糸を紡ぐ女』だね。うわぁ写真みたいでキレイだなぁ。あとあれも見たいし……」
杏は絵をほんの少し見てすぐに警備に戻る一方で、ひととせは警備よりも絵に気を取られていた。
あれはなんだろう、これはどんなものだろう、目につき気になればすぐそちらに向かう。
既視感のある行動に杏は呆れつつも、無理やり引っ張ることはしなかった。
「すみません、全館禁煙なんですよ」
ひととせは突然絵から離れ、近くの男の人に声をかけた。男の手には煙草が握られていた。
外の喫煙場所を案内すると、また絵に夢中になる。そして、また急に動いたかと思えば「すみません、ケータイの電源は切ってください」と別の人に注意を呼びかける。
どんなに絵に見とれていても、非の打ち所のない仕事のしていた。それもポケットに手を入れた段階で行動するのだから未来予知を疑うレベルだ。
「何でわかんねん。身内でも怖すぎるやろ」
「え〜?あはは、隼からコツを教わってね。それがあるからすぐに分かるんだ」
何でもかんでも「隼が」と出てくるひととせに呆れながら巡回していると、何も飾っていない展示コーナーに出る。杏は「異様だ」と感じた。
監視カメラの台数も警備員も他より少ない。なによりぐちゃぐちゃと不穏な音が聞こえてくるのだ。
「早速不審者かいな」
「まさかぁ。でも怪しいな」
恐る恐る覗くと、絵馬が壁一面に水風船を投げつけていた。それも入っているのはただの水ではなく、ペンキ。
「ちょっ…………!!何しとんねん!アカン!」
思わず飛び出し、絵馬を取り押さえた。
ひととせが水風船を回収し、壁のペンキを写真に収める。
絵馬は無表情ながらも不服そうに杏の腕を振りほどいた。
「……止めないでよ」
「いや止めるわアホォ!何しとんねん!ここ美術館やで!?自分のアトリエちゃうねんで!?」
「……知ってる」
「ほんなら止めろやぁ!」
絵馬は新聞紙を鳴らして黒のペンキ缶を持ち上げる。そこから起きることは容易に想像出来た。杏が止めようとする前にペンキを壁にぶちまけた。
さすがにひととせも苦い顔をする。
雫を滴らせ、真っ黒に染った壁を絵馬は満足そうに頷いた。
「……あとは乾けば完成」
「完成ちゃうがな!見てみぃ美術館の壁こんななってもーて!」
「公共物って知ってる?絵馬くん、公共物損壊になるよコレ。どうすんの、俺 逮捕したくないよ?」
「……へーき。……怒られない」
絵馬は気だるげにペンキ缶を片付け始めた。
杏はふと、館内を見回す。ここで絵馬が絵(?)を描いているだけなら、何故警備員がいるのか。
ここにいる必要はない。
杏の考えを察してか、ひととせが隣の展示コーナーを
示されたコーナーを覗くと、たくさんの来場客がたった一つ飾られた絵画を見つめていた。
杏も目を奪われた。
淡い木漏れ日と反射する水面、波紋の中心には黄金色の竪琴がある。
傍らを流れる滝は轟々と唸り、まるで竪琴を喜んでいるようだ。
色が踊り、筆が歌い、絵を構成する全てが美しいと思えた。
竪琴の
轟々と唸る滝の涼しさが目でわかる。
大いなる自然の恵が伝わってくる。
杏は胸の奥が熱くなった。
ひととせも絵馬の絵に言葉を詰まらせる。
感動する二人の上から不満の声が降ってきた。
「仕事をしなさい。暇人」
新戸だった。
顔の絵の具はきれいさっぱり落ちて、メガネをくいっと押し上げた。
「全く、あなた方は巡回警備でしょう。来場客に混ざって芸術鑑賞とはいいご身分ですね」
ひととせは「すみません」と新戸に笑った。
杏はざっと辺りを見回し、警備体制の雑さを指摘した。
「壁に防犯ネット仕込んどるんやろうけど、絵の横に二人だけて警備
新戸は「まさか」とメガネを光らせて反論した。
「監視カメラは隠しカメラ含めて六台。警備員はコーナーの入口と絵画のサイド各二人。皆、武芸に秀でたベテランです。それに絵の裏には感知センサーを取り付けていますので、物でも人でも触れれば警報が鳴り、防犯ネットが作動するようになっています。映像もセンサーも管理室でコントロールしているので関係者でもない限り、外からの操作は不可能です。それに管理室にも警備員が常駐してますから侵入も出来ません」
「長い長い!おばあちゃんになってまうわ。短く言い直してや」
「こんの不良少女が……!!」
新戸と喧嘩しそうになると、ひととせがボソッと呟いた。
何を言ったか聞き取れずに振り返ると、ひととせが杏の肩に手を置いた。
「さぁ、杏ちゃん!さっき言ったコツを教えてあげよう!」
いい笑顔で来場客を示し、一人一人をじっと見つめた。真剣な横顔も様になるなと見ていると、ひととせは「見て」と合図した。
「簡単だよ」
──『違和感』を探せばいい。
そう言われ、杏も来場客に目を配る。
子連れの夫婦、ポケットに手を入れて歩く男、杖をついた老人。
……何らおかしな点はない。
ひととせは来場客から目を離さずにアドバイスを続けた。
「煙草を吸う人は匂いの他に唇に出る。写真を撮りたい人は絵から距離を取る。擬態する虫、色を変えるカメレオン、溶け込んでいるようで溶け込めない違和感の持ち主はどこだろう?」
杏はもう一度来場客に目を向けた。
さっきよりも目を皿にして違和感を探す。新戸もつられるように違和感を探し出した。
しばらく見ていると、杖をつく老人に違和感を見つけた。
歳をとると目が悪くなるとは言うが、老人はラメの入った赤い長袖を着ている。下はジーンズで何故か足元を守っているのはローファー。
杖をついているのに腰は曲がっておらず、なんなら杖は要らないんじゃないかと思うくらい真っ直ぐだった。
老人は他の人のように絵に近づくことはせず、離れたところでじっと観察していた。
「何で分れへんかったのか不思議なくらい、変なじいさんおんねんけど」
「うん。ある意味すごいや。声掛けてみようか」
杏は老人の元へ歩いていった。
近くまで行くと、老人は懐をゴソゴソと漁りだした。ひととせが目を見開いた。
「あ、ヤバい」
「え?今なん────」
地面に何かが落ちた。スプレー缶だった。
スローモーションのように転がっていくと、高速回転しながら煙を撒き散らした。
突然の白煙に会場は一気にパニックになる。
「なんや!睡眠ガスか!?」
「ただの煙幕だよ!皆さん落ち着いて下さい!非常口はこちらです!慌てないで……」
ひととせが避難誘導を始めると警報器が鳴った。劈く音に更にパニックになる。
白煙の中にラメの服がキラリと光った。違和感まみれの老人だ。脇に絵を抱えたまま美術館の奥へと消えた。
「待ちや!」
杏は叫んで煙を突っ切って走る。
入り口を守っていた警備員が杏を取り押さえると、杏は舌打ちをして腰の拳銃を二丁、警備員の脇腹に押し付けた。
「
そう言って躊躇なく引き金を引き、警備員を眠らせると老人を追いかけた。
老人は絵を持っているにも関わらず、軽快なスピードで館内を逃げ回る。杏は何となくこの前の仕事の脱出劇を思い出した。
──今なら分かる。これは腹立つわぁ。
老人はオブジェが並ぶコーナーへと逃げ込んだ。
杏は老人の選択に感心した。
オブジェの乱立する場所なら追いかけるのは困難な上、相手が拳銃を持っている場合、『拳銃』という手段を避けられる。
美術品に当てようものなら多額の損害賠償を請求されるのは間違いないからだ。
訳の分からないアートの隙間を縫うようにして走る老人は杏を確認すると、撒くようにより狭い道を選んで走る。
杏は拳銃に手をかけるも、美術品を気にして止めた。せめて屋外なら、と思いハニワのようなオブジェを去り際に睨んだ。
オブジェのコーナーを抜け、広い通路に出た。
杏は息を整え、足に集中した。
足元から青白い閃光が空気を裂いて突き抜けると、杏は足を加速させる。
地面を踏むたび閃光が走る俊足は、あっという間に老人に追いついた。
老人の肩を掴むか掴まないかの距離まで詰め、手を伸ばした時……──
「ギャアアアアアア!」
老人は杏の顔にスプレーを吹きかけた。
噴射された薬剤が見事、目に命中し、杏はその場にうずくまった。
血管が切れそうなほど脈打つ痛みが押し寄せ、熱を帯びた瞳からはボロボロと涙が溢れる。
杏は痛みを堪え、何とか追いかけようとするが、視界は歪んでまともに前が見えない。
とうとう目が開けられなくなり、追跡は不可能になった。誘導を終えたひととせに抱えられ、杏は控え室に戻った。
スプレーをかけられる直前の老人の顔にどこか見覚えがあったが、杏は思い出すのを止めた。
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