美術館警備

第4話 少秘警と警視庁と画家

 美術展──当日


 桜ヶ丘と東京の境にある桜ヶ丘美術館。

 その入口には『これこそが芸術!』と言わんばかりの立体アートがずらりと並んでいた。

 木を彫って作ったもの、粘土で出来たもの、マッチ棒を細かく重ねた作品もあれば、針金とカトラリーを用いた作品もあった。

 個性的なアートに人々は足を止めるが、杏は「主張激しすぎやろ」と見向きもせずに横切った。


 美術館の裏口から入り、透明な自動ドアの前にあるセキュリティシステムに事前に渡された関係者証の番号を打ち込み、指紋認証する。

 自動ドアを抜け、その先にある事務所の窓口に警察手帳を見せて管理簿の名前を確認してもらい、許可がおりてから警察官控え室に向かった。

 控え室に入ると、一足先に来ていたひととせがパンフレットを見てはしゃいでいた。

「おはよう。そんでもって何してんねん」

「あ、おはよう。いやぁ色々な作品があるなぁって思ってさ。正面のオブジェとか見た?一番右にあったやつさぁ──」

「はいはい、気に入ってんねやろ?」



「いや、すごくわかんなかった」


 ──気に入ったんちゃうんかい。



 ひととせは鞄から二枚の紙を出して杏に渡した。

 一枚は美術館の館内地図、もう一枚は警備のスケジュールだった。

 ひととせはパンフレットを眺めながら言った。

「杏ちゃん、警備はたしか初めてだったかなって。地図は大事だから持っててね。俺らは巡回警備だからそのスケジュール見ればだいたい出来るようになってるから」

 ひととせの気遣いに杏は「ありがとぉ」と返した。ひととせは「隼が作ったやつをコピーしただけどね」と恥ずかしそうに笑った。


 杏はスケジュールに目を通し、時計を確認する。十五分ほど余裕があった。ひととせの向かい側のソファーに座り、地図を頭に叩き込む。

「……諜報課も地図覚えたりするんだ?」

「せやな。潜入先で地図広げてられへんし、緊急時とか頭にあった方が作戦立てるんとか楽やし」

「へぇ〜、警護課と同じだねぇ」


 互いに好きなことをして時間を潰していると、唐突に控え室のドアが開いた。

 目をやると、メガネをかけたスーツの男性が立っていた。

 杏は美術館関係者かと思ったが、ひととせは襟元のバッジを見ると、露骨に肩を落とした。

「はぁ、よりによってあなた方と仕事ですか……」

 男性はひととせを睨むように見たあとで、杏に手帳を突きつけ、高圧的に挨拶をした。


「初対面ですね。警視庁警備部警備課の新戸あらと正幸まさゆきです」

「はぁ……、雷蝶らいちょうあんずです。よろしゅうお願いします」


「自己紹介ありがとうございます。覚える気はありませんが」


 杏は苛立ちつつも、警察手帳をじっと見る。階級が警部であることを確認し、頭の中で『嫌な人』認定した。

 ひととせは面識があるらしく、「おはようございます」と会釈した。

 新戸は座ったままの二人を交互に見ると、深いため息をついた。

「はぁー、全くあなた方ときたら。に敬礼もしない、そもそも立ち上がりもしない。媚びろとは言いませんが少しは礼を尽くしたらどうですか?」

 何とも嫌味ったらしく新戸は非難した。二人してそれを聞き流すと、新戸は更に畳み掛けた。


「そこの金髪の少女、ろくに準備もせずにダラダラと時間を潰してみっともない。警備員なんですから身なりを整えるくらいしたらどうですか。不良みたいです。遊びじゃないんですよ。ああ、それも分かりませんか」


 杏を一方的に責める言い方に腹が立った。杏が新戸を睨んで言い返そうとしたが、ひととせが立ち上がり、にっこりと笑って「撤回してください」と新戸に詰め寄った。


「俺をけなすのはいいですよ。準備を終えて手持ち無沙汰だったのは事実ですし。ですが彼女は事前準備中なんです。遊んでなんかない。勝手に決めつけて悪く言わないでいただけませんか」


 静かに怒っているのが分かった。

 握った拳が微かに震えていた。

 ひととせは笑みを保ったまま圧力をかける。


「入ってきて早々、何を言うかと思えばなんてわかり易い文句だろう。媚びへつらわれるのに慣れた警部さんは媚びない俺らが嫌いなんでしょ?だから子供じみた嫌味を言うんでしょ?でもの友人が非難されて黙ってられるほど、俺は優しくないんですよ」




「要はさっき言った通り『撤回しろ』って言ってるんですけど」




 ひととせは怒りのこもった声で威嚇した。

 同僚の杏でさえも寒気がした。

 ひととせの纏う雰囲気に新戸の恐怖心が揺さぶられた。新戸は懐の拳銃をひととせの額に押し付けた。杏も反射的に新戸に銃口を向けた。


「能力を使ってみろ化け物が!どう足掻いてもこいつは100%死ぬぞ!」

「おう撃ってみろやぁ!それより早う撃ったるけどな!手ぇ出したらうちが許さへんで!」

「ねぇあんまり煽んないでくれる?本当に撃たれたらどうするの。怪我しちゃうだろ」


 息を荒くする杏をひととせがやんわりと止めた。

 新戸は撃鉄に指をかけた。杏が引き金を引こうとすると、控え室のドアが開いた。


「うるさい……。気が散る」


 入ってきたのは杏と同い年くらいの少年だった。

 絵の具の染み付いた大きな服は所々破けていて、百均で売ってそうなサンダルを履いていた。

 無造作ヘアーには『とりあえず画家らしさを出しとこう』感のある赤いベレー帽がちょこんと乗り、光のない瞳が部屋をぐるりと見回した。

 大きな欠伸あくびをし、頭をボリボリと掻く少年はテーブルの上のパンフレットに手を伸ばした。

「ああ…メンドクサイ。……つまんない。……帰りたい」

 ボソボソと呟きながらパンフレットを眺める彼に、新戸は怪訝な顔をした。

 メガネを押し上げ、「ちょっと」と彼の肩を叩いた。彼は無視をする。

「ここは警察控え室です。警察以外は立ち入り禁止ですよ」

 新戸が退室を促すも、彼は「へぇ」と言ったきり、出ていく素振りを見せない。

 新戸は眉をひそめ銃をしまうと、彼の腕を掴んで外に出そうとした。

 彼は無表情のまま新戸に質問した。


「……アートは好き?」


 新戸は意味がわからん、と言いたげだが黙って頷いた。彼はそうか、と言って新戸のメガネを外すと、ボロボロのポケットから数種類の絵の具を出した。絵の具を手の上に絞り出し、擦り合わせ──



 ──新戸の顔に塗りたくった。




「「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」」




 杏とひととせが新戸の分も叫んだ。

 青ざめる二人の気も知らず、少年は新戸の顔キャンパスを色で埋めつくしていく。

 あっという間に顔は何とも言えない色になり、少年は色味が足りない、スピード感がないと呟いては色を足し、指で模様を描いた。

 しばらくして少年が満足し、メガネを新戸にかけ直すと、感想に困る前衛アートが出来上がっていた。呆然としていた杏だが、我に返り、少年の肩を揺すった。

「何してんねん!ようやった!お巡りさんやぞ相手!ホンマに何してんねん!」

「アート好きって言ったから……」

「考えないで絵の具持ったでしょ。ありがとう。ちょっとその絵の具寄越しなさい」

 ひととせは少年から絵の具を押収し、新戸に見えないようこっそり親指を立てた。

 新戸は酷く憤慨し、少年の胸ぐらを掴み持ち上げた。少年は怯える様子もなく、抵抗もせずに新戸をじっと見つめた。


「いい加減にしなさい!大人を舐めるな!」


 新戸がそう叫び、拳を上げた。ひととせは新戸の肘を突き、新戸の腕を痺れさせるとすぐさま少年を保護した。当然、新戸の矛先は変わり、ひととせの顔に拳が飛んでくる。

 ひととせは殴り掛かる新戸の手首を押さえ、そのまま懐に潜り込むと、襟を掴んで新戸に背負い投げをした。

 床に叩きつけられた新戸に「すみませんね」と心無い謝罪をした。

「彼は画家で、この美術展の関係者ですよ。手ぇ出させる訳にはいきません。あ、水性だ。洗えば落ちますよソレ」

「画家?君、名前は?」

 少年は気だるそうに名乗った。



「……叶咲かなえざき絵馬えま




***


 残り三分でようやく平和が訪れた。

 杏は地図を暗記し、ひととせはのんびりパンフレットを眺め、絵馬はそのまま控え室に居座って茶菓子をつまむ。


 新戸はブツブツ言いながら出ていった。その後ろ姿は衝撃を受けたせいか小さく萎んでいた。

 無理もない。自分の顔にアートを施したのが、知る人ぞ知る有名な画家だったのだから。

 杏は新戸が出ていくなり絵馬にチョップした。


「あんたアホやろ。人の顔に絵ぇ描くなや」

「だって………杏とひととせ馬鹿にした。……良い絵でしょ」


 ──アレがか?


「言われてみれば、深い悲しみの中にも光を見出すような──」

「考察せんでええわ。てかアンタが美術展に参加するて珍しなぁ」

「………しつこかったから」


 絵馬の描く絵は、ひとたび個展を開けば連日長蛇の列を作って道路を塞ぎ、売りに出せば最高で八桁の価値がつく。しかし、有名なのは高い芸術性ではない。

 発表した絵よりもアトリエにある絵の方が多く、金持ちや社会的地位のある人たちがあの手この手で絵を買おうとしても、頑として売らない───


『絵を縛る創造主ダ・ヴィンチ』であることだ。


 噂では家族が人質になっても売らなかったとか。

 そんな絵馬曰く、美術館の館長が説得しにアトリエに来たそうで、毎日押しかけては床に手をついて懇願し、あまりにしつこかったので描いてしまったという。


「…………断ったのに」

「そんなに展示したかったんやな。同情するわぁ」

「被害届出す?忠告しとこうか?」

「いや、いい。…………面倒くさい」

 ほぼストーカーだというのに面倒だなんて。

 杏は時計を見上げた。

 あと数十秒で巡回時間になる。ひととせに声をかけ、仕事に向かう。

 杏は廊下を歩きながらふと、ひととせに聞いた。


「美術館警備って普通、警備会社に頼むんとちゃうん?何で警視庁の人来とんねん」


 ひととせは今来た道を振り返って言った。


「そりゃあ、億単位の絵を描く人が絵を出したからじゃない?」


 だとしても警視庁が動くのは腑に落ちない。

 杏は首を傾げてひととせの後ろをついて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る