第28話 チェシャ猫の嘘

 ──人間じゃない。


 だからなんだ、陳腐なセリフだ、と人は笑うだろう。

 しかし、能力者にはとてもよく効く言葉だった。その一言は鋭く、深く突き刺さる。その言葉に胸を抉られるのは一体何度目か。


「──それは、能力者って意味でか?」


(──俺にはどうでもいいけどな)

 薫は関係ない振りをして、ポケットを漁ってガムを探す。だが、どこにもない。なら飴でも、と思ったが飴もない。そういえば今日は買おうと思っても、買いに行く暇がなかった。

 仕方なく諦めて味のしないガムを噛み続ける。桜木はニヤニヤと笑って、積まれた廃材に背中を預けた。


「いや、そうなんだけどね。そうじゃない」

「どういう意味だよ。ワケわかんねぇな」

 ケラケラと笑う桜木。何がおかしいのか分からないが、ずっと笑っていた。


 ヤバい──こういう奴は何を考えているのか分からない。笑顔に隠されると心の内を読めない。探ろうと必死になっても、逆に読まれて飲み込んでくる。




「おにーさん」




 やや低いトーンで発せられた。また一瞬のうちに、薫の真後ろに立たれる。背中越しに聞く声はさっきとは違う。これは桜木の本気なんだ。



「鬼ごっこしよう。負けた方が死んじゃうスリルゲーム。鬼はもちろんおにーさんね。だって僕は逃げる方が得意だし。捕まったら僕が死んじゃうけど、もし捕まえられなかったらおにーさんが死んじゃうよ。ちなみに、拒否権とかないから」



 あんなに話していたのに。見せた能力に目を輝かせていたのに。どうして敵として現れてしまったのか。

 薫は唇を噛んで堪えた。


「······いいぞ。俺、死に方知らねぇけど」


 何となく、桜木の空気が変わった。どこか小さくて弱い、押し殺された感情が溢れるような──


「じゃあ! スタート! 言っとくけど僕は上にいるからね!」


 薫が感情を察するよりも早く、桜木が手を鳴らした。乾いた空間によく響く音は全身を貫く。そして薫は悔しそうに歯を食いしばった。




「それは無しだろ······!!」




 桜木の笑顔を鉄の扉が閉ざしていく。

 反応が遅れた。手を伸ばしても、エレベーターは無慈悲に目の前で閉まる。オレンジのランプが二階を指し、三、四と示す階を変えていく。


「ちくしょう!」


 天井を溶かして穴を開ければ炎で飛べる。だがそんなことをしては、体力の消耗が激しく、見つけるまでに体がもっているかどうか分からない。


 ちらっと見えた、桜木が座っていた階段は「登るんだろ」とでも言いそうなオーラを放つ。

 ──いや、使うけどさ。

 奥の階段に近づいて、一段目を強めに踏みつけた。多少割れそうな音がしたが、問題はなさそうだ。こうしている間にエレベーターはもう十階。最上階まで残り三分の二。


「はぁ〜············行くか」


 あまりやる気はないが、薫は鉄パイプを握り直して薄暗い階段を駆け上がった。

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