第127話 決意と葛藤

【聖教国】


 飛行場に着いた一行は、上空で光の球の中に封印されている太古竜エンシェントドラゴンを見上げた。


「本当に、太古竜エンシェントドラゴンなのですね……」


 エル姫は、この世界へと戻って来たことを喜ぶ暇もなく、目の前にいる太古竜エンシェントドラゴンに現実を見た。

 異世界でモニター越しに見ていたものが、実際に起きている事実と今更ながら再認識したのである。けして作り物の映像と思っていたわけではないが、その空気を肌で感じることができなかったので、実際に目の前で封印されてはいるが、ドラゴンが発する圧のようなものがびりびりと肌に感じられるのだった。


「エル姫様、聖典の準備はできているなの」

「ありがとうございますプノ様」


 書見台の上に分厚い聖典が載せられているのを見てエル姫は、プノーザに礼をした。

 儀式に必要なものは神殿から持ってくるようにプノーザが指示し、事前に用意させていたのだ。


「けれども……わたくしの儀式で、あの太古竜エンシェントドラゴンを封じることができるのでしょうか……」


 エンデルに依って封印はされているが、太古竜エンシェントドラゴンのそのあまりの威圧感に呑まれてしまっていた。

 金色の錫杖を握る手が震える。現教皇の後継者であるエル姫。小さな儀式は何度か行ったことはあるが、未だかつてない強大な神聖魔法を行使したことがないのだ。自分にそれができるのか、もし失敗したならばこの世界は終焉を迎えるかもしれない。

 そう思うと尻込みしてしまうのも仕方のないことだ。


「エル姫様ならば、大丈夫です」

「エンデル様……」


 そんな弱気になっているエル姫に、エンデルは口をもぐもぐと動かしながら大丈夫と豪語する。

 先ほどの召喚からまだ数十分しか経っていない。顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうな、そんな危うさが感じられる。そんなエンデルの身体を弟子のピノーザとプノーザがかいがいしく支えていた。


「しかし今の私には、強大な神聖魔法を操るだけの魔力がありませんし……成功させる自信もありません……」

「大丈夫なのです。エル姫様はこの聖教国の立派な後継者です。そしてこの世界の民を救う義務があるのです。そして何よりも私が付いています。太古竜エンシェントドラゴンなど、さっさとやっつけてしまいましょう」

「ですがエンデル様とて、もう限界に近いのでは……」


 転移魔導鏡での転移から始まり、太古竜エンシェントドラゴンへの封印魔法、そして異世界から3人をも召喚する極大な召喚魔法を使って、尚も魔力をエル姫へと供給しようとしている。


 ──いまだかつて聞いたことがありません。それだけの魔法を使っても、まだ立っていられるだけの気概を見せるなど……人間業ではありません。これ以上は止めた方が……。


 そう考えるも、ここでそれを止めてしまえば、エンデルが言うようにこの世界は崩壊の危機を迎えてしまう。それを成すことができるのが後はエル姫自身しかいないのだ。


「大丈夫です。私は何ともありません」

「嘘です! なんともないお顔ではありません!」

「大丈夫、エル姫様が心配なさるほど、私は消耗しておりません。なによりも私にはアキオさんが付いています。だから私は大丈夫」


 明らかに強がりだとエル姫は思うが、エンデルは譲らない。

 今にも倒れてしまいそうな表情、しかし大丈夫と発する言葉は、それを強く否定した。

 なにより瞳が死んでいない。顔色は優れないが、瞳だけはその輝きを失わず、力強くまっすぐにエル姫を、いや、異世界にいる亜紀雄を見ているのかもしれない。


「エル姫様、師匠の言う通りだ。ここで師匠の言う通りにしなければ、今迄の苦労の何もかもが水泡に帰すんだ。ここはこのおバカな師匠の言う通りにした方がいい」

「ピノ様……」


 一緒に異世界から転移してきたピノーザが、エル姫にそう提言した。

 しかしピノーザの表情も、その言葉とは裏腹に複雑で、苦悩をありありと現している。ピノーザ自身もやりきれない気持ちでいっぱいなのだと理解する。

 反対隣でエンデルを支えるプノーザも無言で頷く。

 このために無理をして異世界から召喚魔法で帰還したのだ。ここで止めてしまっては、エンデルの苦労は報われず、そして自分達の命も封印を解かれた太古竜エンシェントドラゴンに依って消え去る運命。そしてその後、世界は未曽有の破壊を受けることになるのだ。


「分かりました!」


 エンデルの、そしてこの世界の民の為、エル姫は迷いを絶ち切った。

 大丈夫と豪語している以上その言葉を信頼し、そしてエンデルの信頼に応えるべく神聖魔法を発動させると心に刻む。



「では始めましょう」


 エル姫は、書見台に置かれている聖典を開き、太古竜エンシェントドラゴンを聖域に封印する神聖魔法のページを捲る。



 そしてこの後、この戦い最後の極大魔法が展開されるのだった。


 しかし、


「でももう少しお待ちください。まだ魔力が回復しておりませんので……」




 むしゃむしゃと餃子を頬張りながら、エンデルはそう言ったのだった。



 ▢



 長く静かな、そしてどうしようもないほどに重い時が、指令室に流れているようだった。


 誰一人として口を開くことなく、そして重々しい雰囲気を纏っている。

 俺はじっとモニターを睨む。そこに映し出された存在を、ただ見つめることしかできない。痛々しいほど健気なその姿を見続けることが、今の俺にできる唯一のことなのだ。


 ともすればこの場から逃げ出したい気分になる。

 全てが終わった後、大家さんからでも事の顛末を伝えてもらった方が、どれだけ楽なことだろうか。その成否に関わらず、だ。


 だがそんな無責任なことはできない。

 それは俺が提案したことだからだ。

 あのままこの提案を思いついても黙っていれば済んだこと。向こうの世界は壊滅的な状況になるが、こちらの世界にはなんら被害が及ばない。だから、そのままこちらの世界で一緒に過ごせていただろうから。


 エンデルがこの世界に、俺の部屋に来てからの数か月。最初は異世界から来た自称大賢者と言い、妙ちくりんで頭のおかしい奴に居座られたと考えていた。そして面倒なことに懐かれてしまった。どうせその内異世界に戻ってくれるだろうから、それまでの辛抱だと諦めてもいた。

 でも一緒に暮らしている内に、エンデルの好意を徐々に受け入れる俺がいたのもまた事実なのだ。どうせ向こうの世界にいずれは戻るのだから、絶対に手は出さないし、好きになってはいけない。そう頑なに決めていた心も、次第にエンデルの存在に開かれていった。

 すこし能天気だけど、おバカだけど、そんなエンデルと過ごす日々は、俺にとってかけがえのない幸せな時間になっていた。


 社畜だった自分のつまらない人生に、突然現れた能天気な大賢者。

 そこから始まる同居生活。ピノやエル姫、フェル姫にマオまで現れ、賑やかで楽しい人生になった。ブラック企業の社畜から解放され、新しい会社の社長にまでなった。

 彼女達がいなかったら、俺はあのままブラック企業の社畜として、ずっと寂しい人生を歩んでいたに違いない。


 なによりも俺とエンデルは、大家さんの策略で書面上ではあるが夫婦になったのだ。これはもう消せない事実である。法律上は勿論、俺の心からも消せない事実。

 俺の決断ではなく、大家さんの遊び心だったにしろ、それを強く否定する気にはなれなかった。現に今も大家さんに婚姻届けの解消を頼んでいないのがその証拠だろう。

 異世界の大賢者だろうが、能天気な大賢者だろうが構わない。俺はエンデルと夫婦になれてよかった、と考えるようになっていたのだ。


 しかしそんな俺も、こんなにも急に異世界に戻ってしまうとは思ってもいなかった。予定では魔力が回復するまでの8年間は一緒にいられると。

 だから俺は約束した。


 俺のもとへ戻ってこいと。


 エル姫が懸念するように今のエンデルでは、この最後の魔法に対して体が限界にきていると思わざるを得ない。見ている俺達にでもそれが伝わってくるほどに、エンデルは無理をしているのが見え見えだ。その成否に関わらず危険な状態である事は十分に覗える。


 それでもエンデルは俺との約束を守ろうとしている。

 全てが終わったら、俺のもとに帰ってくることを……。


 だから俺は見届けなければならない。

 成功、失敗に関わらず、エンデルの姿をこの目に焼き付けなければならないのだ。


 異世界人のいなくなった指令室は、静寂に包まれている。



 そして、この沈黙から少しして、エル姫とエンデルの最後の魔法が放たれることになるのだった。

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