第112話 開戦日

「はぁ、疲れた……」


 演技を終え、風呂に入って着替えた俺は、寝る前に一度指令室に戻った。

 開戦を明日に控えているのだ。今日だけは交代で睡眠をとることにしている。明日以降は眠れぬ日々が続くかもしれないのだ。

 ちなみにエンデルとエル姫さんは、風呂に入った後部屋で寝かせてきた。今日はゆっくり休むように言ってある。


「要君ご苦労だった」

「アキオ兄ちゃんいい演技だったぞ。見ているあたし達でも震え上がったぐらいだ」


 大家さんとピノが労いの言葉をかけてくれる。

 しかし、ああいった演技は精神を消耗するものだ。今でこそ社長になって肩書だけは偉くなっちゃったけど、元来社畜の抑圧された精神の俺には、尊大な態度の演技は荷が重いというものだ。ヘトヘトだよ。


「もう、あの格好は勘弁してほしいよ……」

「そうか、様になっていたがな。まあ、これで帝国が恐れをなして退却してくれるのなら、もう出番は無いから安心しろ」

「様になっているって、メイクがあるから誰でもいい気がしますけどね……」

「あれ、魔大陸側も閣下が出張るんじゃないっすか?」


 ニヤニヤしながら話す大家さんに、後輩山本君が楽し気に口を挟んできた。


「閣下言うな! そもそも俺は聖教国側の帝国本体に向けた演技しかしない約束だ。魔大陸側は大家さんとマオが何か考えていたから、俺はノータッチだよ。それより魔大陸側の状況はどうなんだ?」

「うぃす閣下! 今日は簡単に決起式をして、明日の進軍に向けてみんな寝静まってるっす」


 もう、閣下が定着しているのかよ……訂正するのも嫌になって来る。


 魔大陸側の帝国軍には、前線基地で出来ることもなかったので、今の所放置状態だ。

 明日以降、進軍した後に作戦を実行する手筈になっている。



 ともあれ、明日朝の聖教国側での帝国の動向を見るまでは気が抜けない。



 【聖教国の城では】



 大型モニターで異世界からの作戦を、アイスを食べながら見ていたプノーザは、そのあまりにもど派手な演出に度肝を抜かされた。


「あぅ……アキオ様やヒナたん様が敵でなくて良かったなの……」

「ですな……」


 プノーザのしみじみと漏らした一言に、教皇も肯定した。

 その他の見学者も後方で息を呑み、大型モニターに映し出されている映像をただ見詰めていた。

 大型モニターを置いてあるのは謁見の間で、そこに大勢の見学者が集まっているのである。


 実際にこの世界では考えも及ばない技術というもので、あそこまでの事をできるのであれば、いくら味方とはいえ異世界人との力の差を思い知るというものだ。

 間違っても敵には回したくない存在だ。

 プノーザはこの演出以外にも、本当に殺傷能力のある武器が異世界には、たくさんあることを教えてもらっている。今回は誰も殺さずに戦争を終わらせようとしているので威嚇するにとどまっているが、もし本気で戦争をしようものなら、一瞬で帝国兵の多くの屍が積まれることだろうことは、容易に予想できた。


「本当に異世界の技術は、魔法以上のものがあるかもなの」

「ですな……この『てれび』という装置で、まさか国境付近の状況を城にいながら見ることができようとは、我々では考えも及びませんな……」

「今後は魔法よりも、技術というものを広めていった方が、世界はきっと便利になるかもしれないの」

「そうですな、戦争が無事回避できた時には、その方向で国造りを進めていきましょう。その時は英雄プノーザ様に全権限を委ねることに致しましょう」

「それなら食べ物の改革もお願いするの!」

「はい、承知いたしておりますぞ。異世界の食べ物は、どれも美味しゅうございますからな」


 二人は、ははは、と笑いながら会話をしていた。

 それだけ異世界の亜紀雄と日向に信頼を置いているのだろう。


 二人以外は神妙な顔つきで事の成り行きを見て、最終的には歓喜の声を上げた。

 この帝国軍の出鼻を挫く作戦は、聖教国民にとっても大きな影響を与えたのだった。



 そして明朝開戦の時を静かに迎える聖教国だった。



 ◇



 【帝国軍基地】


 開戦の朝、帝国軍基地は大混乱に陥っていた。


 ほぼ全ての同盟国が、聖教国への進軍を拒否してきたのだ。

 昨晩、悪魔王デーモンアキオと聖教国の姫と大賢者が突然現れ、兵士達の心にただならぬ恐怖を植え付けていった。

 それに伴い各国の司令官が集い、皇帝ガイールの元に訪れ進言したのだ。


「なんだと! 貴様らそれでも帝国の同盟国なのか! あれしきの脅しに屈するとは不甲斐ないにも程がある‼」

「しかし、大半の兵が呪いに侵され満足に戦えない状態でもあります。ここで進軍するのは自殺行為です!」


 皇帝ガイールにも恐れはあるものの、帝国の主導者として、デーモンアキオの提案を頑として受け入れることはなかった。

 それ故同盟国の進軍拒否は許されるものではないと、怒り心頭である。

 デーモンアキオの呪いも昨日よりも酷くなり、兵の大半が腹痛と下痢を訴えている状況も相まって、各国は進軍を拒否するに至ったのも事実である。


「えーぃ! たかが腹が痛くなるようなちゃちな呪い、そんなものに屈する帝国ではない!」

「しかし、このまま進軍すれば、満足に戦えないのはもとより、呪いももっと酷くなるのですよ? それに皆殺しとまで忠告を受けているのです。殆どの兵は戦意を喪失している状態です」

「えーい、そのような脅しに屈する帝国ではない! この皇帝ガイールの命が聞けぬと言うのか‼」

「残念ながら、兵を出せない以上参戦は拒否したいと考えております……」

「この臆病者どもめが‼ よいか! この戦争が終わったら、次は其方らの国が帝国に滅ぼされると知れ! それでも拒むか?」

「はい……先のデーモンアキオなる者の口約によれば、進軍しなければ呪いも解かれ、我々の国とも和平を結んでくれると明言しておりました。裏を返せば、進軍すると兵はもとより我らが祖国までデーモンアキオなる者に依って滅ぼされるということに他なりません。あのような強大な力を見せつけられた今となっては、我々は祖国のために動かざるを得ません……」

「あんなものはまやかしだ! 昨晩調査させたが、火柱も水龍の痕跡も何もなかった! ただの幻覚だ! 異世界から幻覚を我々に見せていたに過ぎん。そんなまやかしで我々を騙そうとしているだけだ!」

「まやかしで腹痛は起きません。兵が動けない以上我々はここで退却いたします。皇帝陛下の御武運を心からお祈りいたします」


 いくら話をしても埒が明かぬと見た各国司令官は、兵を出せぬなら退却するまで、と切って捨て、早々に皇帝の天幕を後にした。


「ぐぬぬぬぬぅーっ……あ奴等怖気付きおって……」


 皇帝ガイールはギリギリと奥歯を噛む。


「おい! 早々に兵を纏めろ!」


 ガイールは苛立たし気に側に控える帝国軍本体司令官に命ずる。


「ハッ! 我々も退却するのですか?」


 全ての同盟国が進軍を辞退した今、帝国軍本体のみで進軍はないと考えた司令官は、ついついそう発言した。


「バカ者‼ 誰が退却するか! あんなこけ脅しに屈する皇帝ガイールではないわ‼」

「も、申し訳ございません!」


 しかしガイールは、帝国軍本体だけでも進軍すると言い張った。

 冷静な判断を既に失っている。


「し、しかし、我が軍の兵も大半が、デーモンアキオとかいう奴の呪いに掛かっております。全軍を進軍させるのは厳しいかと……」

「うるさい! つべこべ抜かすな! 糞を漏らそうが這ってでも進軍する心意気はないのか! 儂にはその呪いは効いてない。呪いなどすべてまやかしだ‼ 早々に隊を形成しろ! そしてすぐにでも進軍を開始する!」

「は、ハッ‼」


 こうなっては誰の意見も皇帝ガイールには届かない。

 指揮官は急いで天幕を出て、進軍準備を始めるのだった。


「クソッ! クソッ! クソッ! 誰も彼も儂を舐め腐ってくれるわ……見ておれデーモンアキオ……貴様のふざけた面、必ずや血で染めてやるわ‼」


 こうして帝国軍は開戦以前に空中分解し、帝国軍本体のみで進軍することとなった。


 果たして帝国は聖教国に勝つことができるのだろうか。


 ちなみに皇帝の飲み物と料理に下剤は混入していないので、皇帝自身は元気一杯である。

 これも亜紀雄と日向の作戦の内だそうだ。

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