第80話 閑話 ソース談議

 家に戻ると既に晩御飯の準備がされており、なんかこう、何とも言えない多幸感に包まれる。


 ふっ、仕事も順調、家庭も円満、どこから見ても順風満帆そのものだ。

 おっと、まだ結婚していないんだった。

 ともあれ、エンデルが新妻の如く振舞ってくれているから、俺の生活も独身社畜から解放され、人並な幸せを感じることのできる環境になってきたみたいだ。

 エンデル達が来てからというもの、会社の方もどんどん改革が進んでいるようだし、俺にとっては、これ以上ない追い風が吹いているような感じである。


 しかし、玄関で出迎えてくれるエンデルはといえば。


「ふう~ただいま~」

「オカエリナサイマセ、ダンナサマ~なのです!」

「──うっ!!」


 またこちらの言葉でぎこちなく、お帰りを言ってくれたのはいい。それは許せる。

 お玉を持ったエプロン姿にほんわかとする俺がいる。のは間違いない。

 だが、しかーし! その装備が薄すぎる! まるで紙装備。

 下着にエプロン? いや、もしかしたら、ででで、伝説の、は、は、は、は、は……。


「お、おい! ま、まま、まさかそれは……」

「はい、いかがですか、アキオさん? くるりんぱ!」

「はがっ……!!」


 そう言いながら、お玉を持ったままくるりとその場で回転する。

 迸る鼻血、昨日の精力剤の影響はまだ健在か!

 そして、俺の眼に映るは、エプロンのみを装備したエンデルの姿だった。

 そうこれこそ、脳殺裸エプロン!


「──こ、こらぁーっ!!」

「どうしたのですか? ヒナたんさんの言う通りメロメロになったのですか?」


 やっぱりあの腐れ大家の差し金か……。


「メロメロとかそういうのはいいから、そんなことはするんじゃない! 料理を舐めちゃいけない、高温の油が跳ねたり、刃物を扱ってるんだ。そんな薄着では防御力不足だ!」

「ハッ! そ、そうなのです。さっきも油が跳ねて熱かったのです」


 だから言わんこっちゃない。

 そもそも、裸エプロンなんて危険な真似事は、料理にしてはいけないのである。趣味なら趣味で、別の趣で装着しなさいと言いたい。誰が考えた脳殺プレイか知らないが、料理を舐めてはいけないのだ。


「いいから服を着なさい、服を!」

「は、はいなのです!」


 俺の強い命令口調に、パタパタと急いで寝室へと向かう。

 背中とおしりが丸見えだが、見て見ぬふりをする俺。これはこれで目の保養になるかあら許す。

 まったく、少し部屋を開けると余計な茶々を入れる大家さんだ。少しは悪ふざけも大概にしろと言わなければならないな……そもそもする方もする方だ。これは調教しなければならないな……何の調教だ? 言い回しがおかしいだろ!

 これも精力剤の後遺症か……。


 エンデルはそそくさと服を着る。

 俺もようやく靴を脱ぎ部屋へと上がった。


「アキオさん。今日は餃子にしてみたのです」


 エンデルは着替えながらそう言う。

 台所を見ると大量の餃子が焼く順番を待っていた。人数も人数なので数も数である。フライパン2つで焼いても、数回焼かなければならない。


「おお、そうか、上手くできたか?」

「はい、昨日教わった材料で作りましたので、問題ないのです」

「ほうほう、それは楽しみだ」


 昨日ネットで餃子のレシピをプリントアウトして置き、その材料も買い物してきていたので、ひとりで挑戦していたようである。本当は今週末にでも一緒に作ろうと思っていたのだが、俺が仕事に出ている隙に作って驚かせようとした魂胆が見え見えである。


「おっと、焦げてしまうな」


 フライパンを覗き込むと既に良い焼け具合になっている餃子。溶いた小麦粉が良い具合におこげ羽を作っている。

 俺はエンデルの着替えを待つ間手を洗い、焼けた餃子を皿に盛り、お代わりの餃子を焼く。

 炊飯器を見るとちゃんと保温になっているので、ご飯も炊けているのだろう。


「あ、すいませんアキオさん……」


 着替えを済ませエプロンを後ろ手で縛りながらこちらに向かって来るエンデル。うん、なんか可愛い。


「俺が焼いているから、みんなを呼んできなさい。焼けた順番に食べた方が良いからね」


 冷めてしまえば多少は味も落ちる。アツアツの内に食べて貰いたいものだ。


「はい、分かりました。呼んでくるのです」


 エンデルはにっこり微笑み、みんなを呼びに玄関から出て行った。

 フライパンから聞こえる焼き音と、ニンニクとニラの香りが部屋を満たす。上着を脱ぎワイシャツ姿で腕まくりをする俺は、次々と餃子を焼いてゆくのだった。



 みんな集まり、焼けた順に食べ始める。

 俺は最後のフライパン2枚を焼き上げると終わりだ。


「ふぬ、このラ~ユというのを付けて食べるのか? その他もしょーゆ、ス、ギョーザのタレ、ウスターソースなどがあるが、どれが一番美味しいのだ?」


 マオが餃子に付けるタレを何にすればいいか迷っている。


「うむ、普通は餃子のたれとラー油で十分だ。醤油に酢とラー油も鉄板だ。だが何故ここにウスターソースがある? 謎だな……まさかこれをつけて食べる邪道な者はいまい」


 大家さんがとんでもない発言をした。


「ちょ、ちょっとちょっと~、今の発言は取り消してもらおうか!」

「何をかね、要君? ウスターソースを餃子に付けて食べる邪道な者はいないという件かね? 餃子にウスターソースなど邪道以外のなにものでもないではないか、マジでないわ~」


 いくら大家さんでも言って良いことと悪いことがある。

 こと俺に関して言えば、ソース民として生きてきた。

 目玉焼きは醤油よりウスターソース、醤油で食す目玉焼きは、俺にとってご飯のおかずではない。もちろん餃子は、ウスターソースにラー油の組み合わせが一番だと自負している。ソーライスなんて神のご飯じゃないか!

 その黄金律を邪道と宣うなど言語道断である。

 ちなみに醤油でも食べられないわけではないが、ソースがあるならソースで食べる。それがソース民の所以である。


「なに! 君は餃子をソースで食べる邪道派なのかね!!」

「邪道言うな! 餃子とはすなわち、ハンバーグに少しニンニクやニラを混ぜ合わせ、餃子の皮に包む食べ物。ソースが合わないわけがないのです。大家さんはハンバーグを醤油で食べるのですか? おろしバーグとかならそうでしょうが、普通のハンバーグには八割方ソースではないですか?」

「確かにソースだが……そこまでなのか? 君のソースにかける情熱はそこまでなのか?」

「無論です、大家さんはソースで餃子を食べたことがありますか?」

「……な、ない……そんな食べ方など考えたこともない……」

「食べたこともないのに論ずるとはそれこそ言語道断、本末転倒、そこまでソース民を愚弄するのであれば、食べてからにしてください!」

「……いや、なんか暑苦しいな……ソース如きで……」

「ソース如き? それは聞き捨てなりませんね。全世界のソースフリークに謝って下さい! 味噌が無ければ味噌汁が成立しないように、ソースが無ければ餃子は成立しないのです!」

「いやぁ~それは大げさすぎるぞ……餃子は餃子だけで餃子だし……」


 俺の熱いソース魂を見た大家さんは、俺の調合したソースラー油で渋々食べてみる。

 そこまで熱くなることはないのだが、ソースを否定されると自分を否定されるようで無性に腹が立つのである。

 ちなみにこの言い合いを冷めた目でみる異世界人達であった。


「う、うむ……微妙だな……今まで食べたことがない味覚だ……ご飯には合いそうだがな……」

「な、なんと……俺の情熱が大家さんに通じないとは……」


 まあ確かに子供のころからそうやって食べてきた俺だからそうなのだろう。大家さんにしてみれば、昔から醤油と酢にラー油で食べてきた人には、厳しいものがあるのかもしれない。

 まあ、マヨネーズで食べる人だっているのだ。人それぞれか……。


「ほむ、美味しいのです! 私はアキオさんのソーラー油に賛成票を一票なのです!」

「おおっ! 分かってくれるかエンデル!」

「はいなのです!」


 どうやら異世界人の味覚には、ソースが合うらしい。エンデルは勿論、他のみんなも賛成票を投じてくれた。これで大家さんは謝るしかなくなった。

 俺はどや顔で最後の餃子を焼くのだった。

 結局どうでもいいソース論議だけどね……。



 こうして裸エプロンからのソース論議で夕食は進むのだった。



 ◇



【ピノとエル姫の余談】


「姫様……アキオ兄ちゃんは、師匠の作った元気玉ハッスルだまを飲んでも師匠を襲わなかったようだよ」

「そ、そうなのですか⁉︎ それは益々不能説が濃厚ですね……」

「うん、それに裸でエプロン攻撃にも無反応を示したようだよ」

「そ、それは、もう不能説確定では……」


 二人は真っ赤な顔を見合わせ、コクリとうなずき合う。



 亜紀雄の不能説は、確固たるものになりつつあった。

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