第63話 仕事も順調だ、けど……
翌朝。
いつも通りの時間に目を覚ます。うん、早起きがもう習慣になりつつあるな。
エンデルを抱き枕にしているのも、もう慣れてきた。というか、こうやって目覚めなければいけないような気もしてきている自分が怖い。
うあー、本当にいつかは手を出してしまいそうだよ……賢者たれ俺!
という事で今日から在宅勤務である。
在宅だからといって手を抜くわけにはいかない。許可をくれた課長の為にも、きっちりと仕事はしなければならないのだ。通勤時間が短縮されたからといって、その分寝ていては同じことだ。なるべく仕事のサイクルは変えないようにした方が良いからね。
「おはようございます~アキオさん……ふぁああっ……」
「おはようエンデル。君はもう少し寝ていてもいいんだぞ?」
「いいえ、そういう訳にはいかないのです。本来ならアキオさんより先に起きて、朝の支度をしなければならないのです。それでなければ妻として失格なのです!」
エンデルはベッドの上に女の子座りをし、まだ眠そうな目をこすりながらそんなことを言う。
「いやそこまで意気込む必要もないと思うぞ、まだ早い時間だし普通でいいよ、普通で」
「はい、でも、出来ることはしなければなのです!」
枕元のメガネを取り、意気揚々と装着する。
本人がその気なのだから、こちらから何を言っても無駄なようである。好きにさせることにしよう。
朝のお勤めを済ませ、歯を磨き顔を洗う。この朝のひと時もとても楽しく感じるようになってきた。当初はぎこちなかった歯磨きも、普通にできるようになったエンデルを映す洗面台の鏡を見ながら、どこか微笑ましく思う俺だった。
「あ、そう言えばヘビがいなくなっているな」
洗濯機の脇に置いてあったペットボトルが、いつの間にかなくなっていた。
「はい、もう
「うっ、次の……ということは、殺したのかね?」
「はい。乾燥させるためには致し方ありません。ですがちゃんと命を絶つことへ感謝を込めた祈りを捧げておりますので、良い薬が出来ることでしょう。楽しみにしていてくださいアキオさん」
「そ、そうか……」
簡単に言うエンデル。
うーん、現代人の俺にはどうもそういうのは苦手な部類だ。食用の肉や魚とかだって、本来は生きていたのだ。殺された後食用として売られている物しか見ていないからなのだろう。直接手を下さない分、その辺りが希薄になりつつあるのだろうな。
俺も含め、さもすれば失われた命がある事すら認識せず、ただ食べているだけの人が多いのかもしれない。そこに感謝の気持ちすら薄くなってきているのかもしれないな。
それを考えると、エンデルのいう事は特段間違ってはいないのだろう。生物に対する感謝の気持ちを持ちつつ、薬にしようとしているのだから。
エンデルが洗濯や朝食の準備をしてくれるようなので、俺は早速仕事にとりかかろうと思う。
昨日設置したコンピューターの電源を入れ、資料を拡げる。
うん、問題なく会社のホストコンピュータと繋がっているようだ。これで会社にいるのと何ら変わらずに仕事ができる。なんと便利なものだろうか。
朝食の準備ができたというので、皆で一緒に朝食を食べた。
朝はトーストとサラダにコーヒーがあれば十分なので、料理という料理ではないが、美味しく頂いた。
食後はまた仕事に没頭する。
エンデルは俺の仕事の邪魔にならないよう、静かに掃除や洗濯を済ませ、8時過ぎには大家さんの所へと向かった。
窓の外、裏庭では、キャッキャ、キャッキャ、とはしゃぎながら草むしりをしている声が聞こえてくる。うん、なんか癒されるね。
会社で陰気臭く仕事しているより、よっぽど環境的にも良い感じだ。心に余裕が生まれて来るって所だろうか。
気分良く仕事を進めているとノートパソコンにスカイプの着信がある。
異世界側にいるプノからの連絡だろう。
俺が出てもいいのだが、言葉が分からないので放って置いた。エンデルにお古のスマホを渡してあるので、裏庭で受けることができるだろう。
窓から外を見ると、ポケットからスマホを取り出し応答するエンデルの姿が見えた。
小さなスマホの画面に、雑草の中で三人がしゃがみながら頭を寄せ合い覗き込んでいる。なんか見ているだけでほっこりする光景だ。
視線をモニターに戻し、仕事を再開する。
パタパタと連打するキーボードの音も、小気味よい。BGMに流れるFMの時報が10時を知らせた。
「ふう、もう10時か……」
いつも以上に仕事が捗っている気がする。
予想では通常の昼過ぎぐらいの所まで、既に消化してしまっている。
「うんうん、順調だね。隣りから無駄話を振って来る奴がいないだけで、こんなにも捗るとはね」
後輩山本君の声が時折聞こえてこないのは、少し寂しくはあるが、その分仕事に集中できる。納期にはまだまだ余裕があるが、上手く行けばあと数日でこの仕事も片付く感じである。
「どれ、少し休憩でもするか」
カップのコーヒーも飲み干してしまったので、休憩がてらコーヒーブレイクと洒落込もうか、と席を立つ。すると、
「アキオさん!」
そう声を張りながらエンデルが部屋に戻って来た。
「おう、どうした?」
「はい、プノーザから今連絡が来まして、『ぼうぃすれこーだ』というのを回収したそうなのです」
「おお、そうか。そういえば今日回収予定だったな」
エンデルは草や土が付着した作業服のまま部屋へと上がり込む。
「おいおい、少し玄関先で汚れを払ってきなさい。部屋が草や土で汚れてしまうよ」
「あ、ごめんなさい」
急いでいるのは分かるが、日本家屋は土足では上がり込まないので、そういったところには気を配って欲しいね。まあ掃除すれば済むことなのだけど、この日本の常識という事で。
作業服の汚れを払ったエンデルは、アイテムバッグの所まで移動し、プノが入れたであろうボイスレコーダーを取り出す。
「アキオさん、これはどうすればいいのですか?」
「ああ、それは俺に寄越しなさい。データーをこっちのパソコンに移しておくから、後で確認しなさい」
「はい、分かりました!」
どうせ休憩ついでだ。データーの吸い上げぐらいしておこうじゃないか。
「やっておくから、仕事に戻りなさい」
「はい、ではお願いするのです」
そう言うとエンデルは草むしりへとまた戻って行った。
「ふむ、でも八個もあれば確認するのも大変だよな……」
ノートパソコンへデーターの吸い上げをしていて思ったのだが、データーの吸い上げ自体はそんなに時間がかかることなく終わる。現にこの短時間でもう半分のボイスレコーダーのデーターは移行が完了しているのだ。しかし確認作業に時間がかかってしまう。いくら早送りで聞くことができても、二日分の音声データーを聞くには、それ相応に時間がかかってしまうことだろう。
「うーん、もう2台パソコンが欲しいな……」
パソコンでなくとも何かの端末があれば3人で別々のデーターを確認することができるだろう。そう考えながらデーターの吸い上げをしていると、
「要君! プロポが到着したぞ、早速設定をしてくれ!」
キラキラと瞳を輝かせながら大家さんが乱入してきた。
「あう、昼休みじゃダメですか?」
「なにを言っているのだね、即やり給え!」
「いや、エンデル達がいないと、少し向こうと連絡を取りながらしなきゃダメだし……それにまだ仕事もあるんですよ。今は休憩中ですけど」
「そうか、なら仕方が無いな……」
ぶぅ、と、面白くなさそうな顔をする大家さん。たく、子供かよ!!
「それはそうと、大家さんパソコン余っていませんか?」
「ん? ノートパソコンか?」
「いやなんでもいいですよ、ノートでもデスクトップでもタブレットでも」
「ふむ、それはないな」
「そうですか……」
「そんなにパソコンを使ってなにをするんだね?」
「いえ、ボイスレコーダーの解析に、時間がかかるので、皆に一台ずつあれば確認作業も早いだろうと思いましてね」
「うむ、そうか、それならわたしに任せておきなさい」
そう言うと大家さんは、スマホを取り出しまた電話を掛ける。
パソコンを二台、いや三台至急持って来い! ぶつり、と、誰に電話しているのかは分からないが、名前も何も言わずに用件だけ言うと一方的に切る。きっとまた相手は一言も返せなかっただろうと推測できる。
「うむ、すぐに来るだろう。昼までに来なかったらこの業者とは縁切りだな」
「は、はぁ……」
いったいこの大家さんは何者だろう。
「だが、この部屋は手狭だな。三台も新しくパソコンを置けば大変なことになるな」
「え? どんなパソコン頼んだんですか?」
パソコン三台としか注文していなかったよね?
「ふむ、そのくらい向こうで判断するだろう。わたしが欲している物を理解できないような業者はいらん。気に食わぬものを持ってこようものなら、即出入り禁止だ!」
「……」
うん、何も言えなくなるね。
「それじゃあピノ君の部屋にセットすることにしよう」
「はあ、それが良いでしょうね……」
またスマホを取り出し電話を掛ける大家さん。
「あ、わたしだ。光回線を昼までに一回線頼む」
それだけ言ってまた通話を終了する。
「うむ、昼にはピノ君の部屋に光回線が引かれるだろう」
「大家さん……あなたは何者ですか?」
簡単に言うが、回線を引くにはそれなりに手順を踏まなければならない。工事日程とかの調整などもあるだろうし、少なくとも今電話して数時間で工事ができる状態には、絶対にならないだろう。
「ん? わたしはコーポ柊の大家だが、なにか?」
「いやそれは知っていますよ……俺が言いたいのは、なんでそんなに常識からかけ離れた人脈があるんですか?」
隣の家具を揃えた時だってそうだ。たかが数時間で二部屋分の家財道具を揃えてしまう手際といい、普通の人では考えられない人脈を動かしているような感じである。
「なにを言うのかね。これが普通じゃないのか?」
「いや普通じゃないから!」
「ふむ、そうなのか? 親の代からこんな感じなので、これが標準だと思っていたのだが……」
いや、それはおかしいだろう。まるで権力者のような振る舞いじゃないか。
ていうか、やっぱり引き籠りなのだろう。世間の事は疎いのか、常識が無さすぎるようだ。
まあ俺が知った所でどうかなるわけじゃないし、何事も早くできることは良いことだと思いこれ以上は追及しなかった。
しかしこの後、大家さんの触手がどんどん伸びてくるなど、今の俺には知る由もなかったのである。
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