第60話 在宅勤務に向けて
本日の仕事もつつがなく終わり、明日からの準備に大忙しの夕方。
自分のブースにある机の上を綺麗に片付け、必要な書類をバッグに仕舞う。そして最後に社内の端末を課長の所に持ってゆく。
なぜ課長の所へ持ってゆくかといえば、それは保険である。
俺は殆ど出社することがなくなるので、自分の席にあのアイテムバッグを置いておくわけにはいかない。他の奴が不審に思い悪戯しないとも限らないからだ。特に隣の後輩君は要注意だ。ケーブルが出ているアイテムバッグは不審以上に怪しく映るだろう。LANケーブルをひっこ抜かれでもしたら大変なことになるからね。
ここは、応援してくれている課長の所が一番安全だろうと踏んだまでである。
モニターや何やらを外しバラバラにしていると、
「先輩、なにしてるんすか?」
「おお、後輩山本君、丁度良かった。無駄話をする余裕があるようなら、少し手を貸してくれないか?」
「はい、手を貸すのはいいんすけど、なんで端末バラバラにしているんすか? 若しかして本当にもう会社から出て行くんですか? 辞めるってことなんすか?」
「いやそれはないと朝も言ったろ。この端末は一時課長預かりになるんだ。課長に管理してもらうことに決まったのだよ」
「ふ~ん……って、なんでそんな面倒なことするんすか?」
「うーん、まあ、俺にはよく分からん、新しい仕事を頼む以上、課長に何か考えがあるんだろうな」
執拗に訊いてくる後輩君。うざいな……。
確かに面倒だよね。でも相手するのも面倒だから誤魔化す。後は課長に任せることにする。きっと上手くやってくれることだろう。
バラバラにした端末を後輩山本君の手を借りて課長の所まで運ぶ。一人だと数往復しなければならないので助かるよ。
「課長、約束通り端末持ってきました。ここでいいですか?」
「ん? お、おお、要君。そこに置いてくれたまえ」
部外者の後輩君がいるので、課長は俺のぎこちないウインクで内情を悟ってくれる。怪しまれないように返答してくれた。
後輩君に手伝ってもらったことで、一往復で全部運ぶことができた。
「後輩山本君、ありがとう、助かったよ」
「は、はあ、でも先輩、本当に明日から来ないんすか??」
「まあ、俺がいなくても頑張り給え。何かあったら気軽に連絡くれればいいからな」
「そうっすか……」
話し相手がいなくなるのが寂しいのか、後輩君はつまらなそうな顔で出て行こうとする。
そんな後輩君に課長は声を掛ける。
「そうだ山本君」
「は、はい、なんすか課長?」
「君もこれからは残業をしないような仕事配分に持って行きなさい。休日もなるべく出勤しないようにしなさい。進捗が思わしくないようなら残業も致し方ないが、その時は報告するように」
「は、はあ……なんか先輩の言った通りっすね?」
「だろ?」
「でも給料は下がるとかはないんすか?」
「勿論だ、仕事の成果が上がれば、今までより良くしていこうと思っている。ただ、期限まで仕事をちゃんと納めての話だがね」
「わ、わかりましたっす! 頑張りますっす!」
「うむ、頑張り給え」
後輩山本君は俺に言われただけでは信用できなかったのだろう。面と向かって課長に言われてようやく得心したのだろうね。
なんか顔つきも少し変わった後輩君は、キリッと一礼して出て行った。
これで会社がいい方向に向かって行けば、これほど良いことはない。みんな頑張って欲しいものだ。
ブラック企業なんて、無い方が良いのさ。
「要君、そのカバンがそうなのかね?」
俺がコンピュータを再度接続し、アイテムバッグを取り出すと課長が興味深そうに覗き込む。
「ええ、これが例の不思議カバンです」
先ずはモニターをアイテムバッグに突っ込む。
このアイテムバッグというのは、入れ込みたいものの一部分がバッグの中に入ると、自然と亜空間へと収納されてしまう。なので魔力とやらがなくとも、物を入れられると言った寸法である。この間の実験で本体部分が収納されても、長物の一部はこちら側に残ることが検証できたので、ケーブルを接続したまま収納できるというわけだ。
「おおおおおおおっ! 凄い!!」
モニターがアイテムバッグに収納されるのをみて驚く課長。
そりゃ驚いて当然だろうね。今回はメンズ用のショルダーバッグを用意したのだが、確実にモニターのサイズよりも小さいバッグなのだ。そこに簡単に収納してしまうのだから、常識も何もあったものではない。
「ですよね。俺も最初は驚きましたよ」
「ほんとうに魔法のようだね……」
俺も詳しくは説明できない。魔法という摩訶不思議なものを、理解できるほど俺も柔軟な思考はしていないのである。こうなるものだと漠然と理解するしかないのだ。
ちなみに昨日早速買って来たこのショルダーバッグに、エンデルはなにやら魔法陣というものを速攻書き込み、向こうの世界のプノと連絡を取り合い、一時プノに預け作業してもらったのだ。朝になったら完成したアイテムバッグがエンデルのバッグに入っていたのだ。
割と簡単に作れるものだと感心したものだよ。
プノにお礼に何か美味しいものでも買って送ってやろうと思う。
「あはは、こういうモノだと思って下さいよ」
「ふむ、そ、そうか……」
それでも課長は次々とバッグの中に消えて行く端末を感心しながら見ているのだった。
ササッと端末を全部入れ終えた。
「課長、このLANケーブルは外さないようにしてくださいね。これで俺の部屋とこの会社のホストコンピュータが接続されているので、これが無いと仕事ができませんので」
「あ、ああ、分かった。まあ普段ここには僕しかいないから、誰かが触ることもないだろうから安心し給え」
「よろしくお願いしますね。あと必要な資料があったらメールか電話をしますので、その時はこのバッグの中に入れて貰えれば俺の所に届きますので、仕事には支障をきたすことはありません」
「あ、ああ、了解した……しかし、まったく信じられないな……」
課長の机の脇に置かれたケーブルが出たショルダーバッグの中に、会社の端末が一式入っているなど誰も思わないはずである。実際目にしていても信じられない光景なのだろう。
「要君の方からこちらに物を届けることはできないのかね?」
「あーそれは無理ですね。なぜか一方通行なもので……」
「そ、そうか……」
理屈的に説明ができない。無理とだけ言っておく。
それができれば本当に助かるのだが、この世界に魔法がない以上どうすることもできないのだ。
「では課長、明日からお願いします」
「ああ、分かった。後の事は僕に任せておきたまえ」
「ありがとうございます。課長も頑張ってくださいね」
ああ、と強く頷く課長。今日も色々と忙しく動いていたようだった。今後が楽しみだ。
という事で、会社を後にする。
さあ、これで心置きなくいつでも仕事ができる。そうウキウキしながら満員電車に揺られるのだった。
◇
【日向の陰謀】
日向とピノはネトゲのイベントを消化し、今日の活動を終えるところだった。
「うむ、弟子ピノよ、だいぶ様になって来たな。後は文字を理解できれば言う事ないのだがな」
「いや少しずつは覚えてきているよ。ほら、これは支援魔法だろ、これは回復系だな」
「いや、それはアイコンを覚えてしまえば何とかなるが、チャットで指示が出るからな、ボイチャは言葉が分からないから仕方が無いとして、文字ぐらいは読めた方が……」
しかし、一朝一夕で簡単に覚えられるものではない。
普通の会話は翻訳してくれるからいいのだが、テレビやボイチャの言葉は翻訳されないらしいので、日本語を覚えて話すことができるようになるのは、相当時間がかかるだろう。
文字にしても同じだ。特に日本語は覚える文字数が多すぎる。ひらがな、カタカナ、漢字と、この世界の外国人でさえ日本語が世界で一番難しいというほどなのだ。異世界人がそう簡単に習得できるものではないのかもしれない。
「まあ仕方が無いか……」
「うん、なんか翻訳できる魔道具があれば可能かもしれないけど、すぐには覚えられないよ」
「そうだな……まあ急ぐことでもないか、いつ帰れるか分からんのだからな。じっくり覚えて行けばいいか」
「分かったよ。『てれび』というものも普通に見れると楽しいだろうしね。言語は勉強することにするよ」
やはりテレビを見ていても、言葉が理解できないのであまり面白くはないのだろう。
「ところで君達の世界を見てみたいのだが、なんとかできないものかな?」
「ああ、姫様に草むしりの時訊いてみたけど、方法があるなら自由にしてもいいですよ。って言ってたよ」
「そうか! それはよかった」
日向は子供のように目を輝かせながら嬉々として喜ぶ。
「うん、いろんな方法で向こうの世界の事が分かれば、状況も分かるだろうからって、姫様も乗り気だったよ。あたしもプノの事が少しは心配だからさ、少しでも情報が多い方が良いからね」
「うむ、分かった。では色々試してみようではないか」
ニヤリ、と不敵な笑顔を浮かべ、パソコンに向かって何やら始める日向だった。
どうやらフレンドにメールを送っているようである。
日向の異世界探訪が動き始めるのだった。
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