第5話 異世界人は半端ない

 腹が減っては何とやら。


 俺の家の冷蔵庫には、常日頃から食材と呼べるものは何も入っていない。主に飲み物保管庫として使われている。

 それは何故かといえば、この社畜のような仕事環境に起因するといっても過言ではない。毎日遅くまで残業──もちろん無料奉仕だ──で、帰ってくる頃には、とうに日付も変わっているなど日常茶飯事。下手をすれば会社に泊まり込む日も、多い時には週に三日と高確率で訪れる。

 故に食材を買って自宅で料理しようなどといった奇特な行為は、入社三日目で諦めてしまった。入社三日目で仕事の方を諦めた方がどれほど幸せだったろうか。と、今では後悔してやまない自分がいる。

 なので部屋にある食材といえば、乾物か缶詰か。牛乳すら賞味期限をハラハラしながら買わなければいけない。酷い時など牛乳ではなく偽ヨーグルトになっていたことが幾度もあった程だ。


 帰って来てもシャワーを浴びて寝るだけ、数時間も寝るとすぐに電車に飛び乗り会社へGO!。何のために生きているのかさえ分からなくなってくる。

 殺さない程度に少しの餌(給与)を与えてもらい、馬車馬のように扱き使われ、結果を出さなければ鞭打た(減給)れる。死ぬほど苦労して仕上げても当たり前のように次の仕事を、ドンと期日付きで渡され、休養もままならない。仕事が終わらなければ休日も返上で出勤。


 ああ、社畜、おお、社畜、我が人生に幸はないのか!



 という事で、昨日拾って来た自称大賢者様。詳しい話を聞こうとしたのだが、腹が減ったと食い物を要求してくる始末。部屋ではカップ麺ぐらいしかないので、朝飯を食べに外出することにした。さすがに朝からカップ麺を食べたいとはとても思えなかったから。


「そんじゃあ出掛けるぞエンデル」

「は、はぃ! 昨日は誰も知らない異国の街で、ひたすら寂しい思いをしていたので、なんの記憶もございません。今日はアキオさんがいるので、とても心強いのです。よろしくお願いします!!」

「……ま、まあそう気負うな、朝飯を食いに行くだけだ。それと……」

「え、衛兵にだけは突き出さないでください! なんでもしますから、それだけはご容赦願いますのっ!!」

「突き出さねえよ……」


 こんな訳の分からない自称大賢者様を警察に突き出したら、きっと俺もただじゃ済まなそうだ。誰が別世界からこの世界に来たって信じる? 俺ですらまだ半信半疑なのに、警察が、『おおそうか、異世界からのお客さんか、歓迎する』なんて、簡単に信用する訳もない。

 きっと俺も関係者として歓迎され、こってり事情聴取されることだろう。

 とりあえずは、面倒なことは避けるようにしたい。ある程度事情を斟酌してから対応を考えることにしよう。

 というか、なんでもしてくれるのか? ぐふっ! ……じゃねえ! 何考えてる俺‼


「そんじゃあ……そのいかにもなブーツはやめて、すぐ近くだからそのサンダルでも履いていこうか」


 魔法使いのブーツは目立つし、スウエットには似合わない。少しサイズは大きいが俺のサンダルを履いてもらおう。


「はい、この柔らかそうな穴のいっぱい空いた草履ですね」


 草履と翻訳されるのか。キュロックスが草履呼ばわりされるなど、異世界は面白いな。


「色鮮やかな草履ですね。こんな草履初めて見ましたよ──あ、その前に……」

「ん? どうした?」

「……あ、あのう、排泄場はどちらに……」


 股間付近を押さえ少しもじもじする自称大賢者。

 なるほどね、寝起きの朝のお勤めね。そう言えば顔も洗ってなかったな。


「トイレか?」

「はい、共用排泄場は建物の裏手でしょうか? それとも小川が近くにございますか? それとも排泄壺などでしょうか?」

「な、なんじゃそりゃ……」


 どうもトイレ、便所という概念がないのか、排泄場とか小川、排泄壺なんて物で用を足す世界らしい……俺行きたくないね~なそんな世界には……。


「トイレはここだよ、君のいた世界のトイレがどういう所か知らないけど、この世界では一家に一か所は備え付いているのが当たり前の世界だ」


 昔は共用トイレがあったようだけど、今はもう少なくなっているのだろうな。


「な、なんてことです⁉ 部屋の中に排泄場があるなんて……それにしては匂いがしませんよ? 向こうの世界では外に出ると排泄物の匂いが街中でも多少はするものです。しかも部屋の中にあって……う〇ち臭くないのですか?」


 あ、う〇ちは、翻訳もう〇ちなのね。まあニュアンスは違うけどそう翻訳されるのは当たり前か。というより女の子がう〇ち言うなよ! さめざめとしてしまうじゃないか!


「まあ驚くのはしょうがないのか? それより早くして来きなよ」

「はい、驚きのあまりちびってしまいました!」

「ち、ちびるなよ!」


 俺はエンデルの背中を早速押してトイレへと向かった。

個室の扉を開き中を確認すると、エンデルはまたも驚嘆の声を上げる。


「な、こ、ここが排泄場なのですか⁉ な、なな、なんと清潔な所でしょうか! う〇ちの匂いすらしないではないですか!! それにこの香りは、まるでお花畑のようですよ。アキオさん、私が何も知らない異世界人だからって騙していませんか? こんな所でう〇ちやおし〇こなどできません!!」

「女の子が、う〇ちとかお〇っこ、連呼するなよ! 少しは恥という事を知れ、恥を!」

「排泄が恥ですか? 人間であれば誰しも行う生理的現象です。どこに恥ずべきことがあるのでしょうか?」


 キョトンとして小首を傾げるエンデル。

 誰しもじゃねえ、アイドルはう〇ちもシ〇コもしないんだ! と反論しようとしたが、そんなことはないからやめた。

 どうも一般的な常識が、こちらの世界とあちらの世界でかなりの齟齬があるようだ。これはめんどくさいな……。


「まあいい、早く済ませろ」


 そう言って俺はトイレ中にエンデルを押し込み、ドアを閉めた。

 がさらもさら、と、音がして用を足そうとしている。しかし音姫様も付いていない便器。彼女が用を足すのだろうと思い、俺はそんな趣味(音の盗み聞き)もないので、一度部屋のほうまで移動しようとした。

 が、


『あ! アキオさん! いらっしゃいますか?』


トイレの中から俺を呼ぶ。


「ああ、どうした?」


 きいい~、と扉が開く。


「あのう……どうやって用を足せばよいのでしょうか? 教えてください……」


 顔を覗かせ可愛く首を捻るエンデル。

 そして扉が全開にされたところで、


「──うわつ!!」


 ドアが開いた先には、スウェットの下とズロースを足首まで下したエンデルが、真っ白なおみ足を恥ずかしげもなく見せつけ、便器を見ながら不思議そうな顔をして悩んでいた。

 幸いにもスウェットの上が少し大きめなので、大事な部分は絶対領域的に隠されているが、その中身は何も穿いていないのだ。いらぬ妄想を誘発し鼻血が出そうだ……。


「なあなんあなんあ、お、おい~っ‼ ドア開けるのはいいけど、しししししし、下をちゃんと穿いてからにしろ~っ‼」

「⁇」


 慌てふためく俺をよそにエンデルは、顎先に人差し指をあてがいキョトンとした表情でまた首を捻るのだった。



 その後、トイレの使い方を、顔を赤くしながら懇切丁寧に説明する俺がいた。

 マジ疲れる……。

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