コミュニケーションの難しさ。

先日より、とあるネットゲームを三十人くらいでやる、という個人企画に参加していたのですが、コミュニケーションの相性なのか、ボタンの掛け違いなのか、プレイヤーとGM(運営)の間で大喧嘩が起こったらしくて突然の終了を迎えました。

発端は、GMの「暴言」ととらえられる発言で、それが物議を醸して数人のプレイヤーが抗議したのですが、「冗長で何を言ってるかわからない」というニュアンスの返事で平行線となり、一部プレイヤーがヒートアップして喧嘩して終わったらしく。


私もその抗議に加わっていましたが肝心の喧嘩の最中には体育館で友人とスポーツやってたので(超マイペース)、見れなかったんですが精神衛生的にも喧嘩は見なくて良かったと思いました。文章でのコミュニケーションって本当に難しいもので、私もなるべく言葉遣いには気を付けています。それは、敬語かタメ口か、ということもそうですが表現、言い回しに気を付けているということですね。文章だけだと細かいニュアンスはもちろん感情的なものは大体伝わらないので、こちらが平身低頭で文章を書いたとしても相手にはそれは伝わらないわけです。自分も文章でのやりとりでの失敗があります。


これを機に、「ゲームごときでいい年した大人が争うこんなネット世界にいる意味とは」という疑問がますます強くなり、表アカウントは撤退、仲良しさんだけがいる裏アカウントに移動して今日の午後はシャーロックホームズのドラマを見てました。インターネットへの依存がなくなったのは、それだけ現実での人間関係の構築に回復の兆しが見えてきたという事なのでしょう。自分の意見を主張する事はありますが、「主張するタイミング」を常に考え、基本的に黙って何も言わないでおく、というスタンスを最近はとっているのでもめ事も減りました。いい兆しですね。現実世界が充実すれば、必然的にインターネットへの依存は少なくなる。私のパターンだけを例にとってこういうのは説得力がないですが、インターネットに中毒性を感じのめりこむ人間がいるのは、それだけ現実世界で充実することが皆できなくなっていることの証拠なのかもしれません。生きづらい性格、というのが取沙汰されはしますが、同時に「生きづらい人の逃げ道」にインターネットがなることで、生きづらい社会というのが強くなってる部分もあるのだろう、と思いました。





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