あの人、変わってるよね。
「あの人変わってるよね」
わりと、よく耳にするせりふです。
人は誰しも個性があります。
非常に個性の強い子が、バイト先などでいて、よく仕事を失敗したり客ともめたりしてるのを見ます。そこで、「個性」について考えてみる事にしました。
よく、一風変わった人の事を「個性的な人」と表現しますが、私から見れば(誰から見てもそうだと思うんですが)人類全員が「個性的な人」です。その個性の名前の付け方として、時にアスペルガー症候群、時にサイコパス、時に自閉症、ダウン症と何らかのカテゴライズをすることがあるかもしれません。
ところが、社会を形成していくためには、家庭内や職場内他でしばしばその個性を隠したり、別の人格を演じたりする必要がでてきます。全員が全員、自分の我を通して個性をむき出しにしていたら間違いなくうまくいかなくなります。僕なんかの個性は時に攻撃性を持つので、個性むき出しにしてアルバイト先のレジに立っていたらたった数時間で何件喧嘩が起こるかわかったもんじゃありません。そんな具合で、多かれ少なかれ人って個性を抑えて生きていると思います。
じゃあ「あの人変わってるよね」というフレーズはどうして生まれるのか。そう言われてしまう人は、個性を誤魔化して一般社会に合わせるという事が苦手な人なんだろうと思います。そこを指摘されてる。でも、私も割と浮くタイプです。もっというと別に無理に社会に合わせる必要なんかないとさえ考えてます。人間世界、個性があって当たり前、衝突して当たり前なので、むしろ「変わってない」と思われている人は自分を押し殺して、多大なストレスを抱えているんじゃないか?とさえ思います。
私の個性の一面として「全人類を大体見下している」というのがあります。この上なく嫌な奴です。だけど、見下していてばかりでは人望を失うという事を、歴史趣味や経験から学んで、相手の目線に合わせる必要性というのを「学習」してます。で、試行錯誤しながら人と接してます。
自分に対するアプローチの仕方は色々あるので、自分が社会に合わないと感じていたり、浮いているのかなあなんて感じる人(それでストレスを感じる人)は、どうして浮いてると感じるのか、それは治す努力をした方が良いのかどうか、なんてことを分析してみてもいいかもしれません。自分ひとりの力で無理だったら、誰かと一緒に。こんな俺でさえ、味方はいるし、ネットで知り合った人の中でファンと言ってもいいような人だって存在してくださいますから。どうしてもしんどかったら宇宙系の動画を見よう。自分の個性云々の問題って、そんなに大きくないっていうことを知る事も一つのアプローチかもしれない。
この記事、スタジオジ〇リの音楽聞きながら書いてたんですが、むしょうに空を飛びたくなってきました。うーん、なんだかんだいいつつ、生きづらいんでしょうね。まあ、もう少し生きてみますか。
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