第二章11 多頭竜の伝承
チクタク、チクタク――
書庫の壁の掛け時計が時を刻む音が酷く喧しかった。時針と分針、秒針に加え、何を指し示すのか謎の四本目の針がもう一本。目覚まし機能でも付いているのだろうか? 壁掛け時計に? 普通は無いが。しかし、馬鹿に不快な音だ。普段はそう思わないのだが、ああ、なんだかやけに耳障りだった。
そういえば、逢魔ヶ刻の大時計も馬鹿に不快な音をたてて時を刻んでいたか。確かあれも針が四本あったっけ。
「――ちょっと、悠雅聞いてるの?」
ずいと麗しの美丈夫がしかめっ面で俺を呼んだ。
「ん、ああ、悪い。ちょっとあの時計がうるさくてな」
「時計なんか悠雅の部屋にもあるでしょ」
「それはそうなんだが……」
なぜかこの時計の音を煩わしいと感じてしまう。それをなぜ? とか、どうして? と問われると返答に困る。自分でもよくわからないのだ。ただ、この無機質な音が自分の身の内の中、もっとも重要な部分にまで響いてきている気がして、本当に鬱陶しいと思えてしまうのだ。
光喜は俺の不真面目な様子に
チクタク、チクタク――
ああ、本当に鬱陶しい。
「――まったく、もう……。それで、黙示録の獣っていうのはキリスト教に伝わる七つの頭と十本の角、そこに王冠を戴く赤い竜を筆頭とする怪物達の総称なんだ」
「多頭の龍か。皇国にも伝説がいくつかあるなぁ」
「八岐大蛇と八郎太郎、九頭竜……だっけ」
やはりこいつも本当に博識だな。八岐大蛇伝説ならこの国の神話についてすこし調べればある程度情報が出てくる。九頭竜伝承は調べようと思わないとまず出てこない。八岐大蛇よりも情報は少ないだろう。
八郎太郎伝説はより情報が少ない。皇国人でもそうさらっと情報は出てこないし、名前を上げられる人間も少ないだろう。
「すごいでしょ」
ふんと鼻を鳴らして胸を逸らす光喜はとても誇らしげだ。
「あーすごいすごい」
「無知な悠雅じゃすぐ出てこないでしょ」
かちん、少し苛立つ。確かに無知なのは認めるがこの国の事なら、少し自信がある。爺さんの趣味のせいか若干偏りがあるが。
「八岐大蛇伝説に付属するが、水天宮というのがある」
「すい、てんぐう? ……ってなんだったっけ?」
「六つで崩御した最も幼い聖帝だよ」
安徳帝は八岐大蛇の生まれ変わりという説があり、遺骸である天叢雲剣を取り返しに来たという伝説が残っている。
「……聖帝、安徳……」
光喜はそううわ言みたいに掠れた声で呻いて、項垂れた。言い返したのがそんなに気に障ったのだろうか? その程度の事で言葉を失う奴なんかじゃなかったはずなんだが……。
「そんな怒るなよ……」
「怒ってない」
ああそうだな。怒ってるわけじゃない。怒ってるようには見えなかった。しかし、確実に機嫌は悪くなっていた。
「――安徳帝はさ、どんな思いで入水したのかな? 幼くして死んだ彼は何を思って海に沈んだんだろう?」
「……、」
かの聖帝の人生は余りにも過酷に過ぎる。俺も死を選ぼうとしたクチだが、彼の場合は自ら選び取った死ではなかった。その意識の差は間違いなく、死を目前にし、或いはその死後に残る思いに明確な差が出る。
諦めて死ぬわけではなく、悔いを残して死ぬ。安易に言葉にできるものじゃない。装飾は不要。単語の方が相応しい。
「生きたい。何をしてでも生きたい、そう思っていたはずだ」
究極とも言えるほどの生への渇望。それを表わすにはこの単語しかない。
「……だよね。間違ってないよね。その意思は」
小さく零して。己に言い聞かせるみたいに。
「――それにしても、似たような伝承が海外にもあるなんてなぁ」
「ギリシャのヒュドラとか、ペルシャのアジ・ダ・ハーカ、スラヴのズメイ・コルニチとかもそうだけど世界中に多頭竜、多頭蛇の伝承は残っているよね。大体そういうのは何某かの権威の暗喩だっていうけど、ああして遺骸とか言っていたし実際にいたのかな」
光喜はそう言った後、付け加えるように「信じられないけどね」なんて言って苦く笑った。
「逢魔ヶ刻なんてものがある世の中だ、居てもおかしくないだろ」
「そりゃそうだけどさ。今まで学んできた歴史観? とかそういうの、崩れ去っちゃってさ。この黙示録の獣だってかつてキリストを弾圧していたローマ帝国の歴代皇帝に準えてるって考えが主流だったんだ。そう信じられるものじゃないよ」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」
黙示録の獣についての概要が理解できたところで一つ、謎が生まれる。それは、そんな怪物の遺骸を使って何をするつもりなのか、ということ。
ヴァチカンからの追手を差し向けられてでも必要なものなのか? 必要な事なのか?
「連中、黙示録の獣の遺骸使ってどうするつもりなんだ?」
「断定はできないけど推測はできるよ」
「その心は?」
「黙示録の獣の遺骸を神器の代わりに使うんじゃないかな?」
「なんだそりゃ?」
「そのままの意味だよ。この国で最も有名な神剣の由来を考えればわかるでしょ」
そう言われてハッとなる。天叢雲剣は八岐大蛇の体内から出てきた剣である。それはある意味でかの神器が八岐大蛇の体内で生成されたか、八岐大蛇の遺骸から作ったと考えるのが通りだ。
詰まり俺達を打倒する為に神器を作ろうとしてるということか? 既に黙示録の獣という想念を浴び続けている遺骸からなら神器だって作れるだろうし。
「――――――、」
少し、理由としては弱いように思えた。確かに今や国津神を二柱抱える俺達を打倒すると考えるとそこまで不思議ではないのだがキザイア・メイスンとかいう術師がいることを考えると警戒しすぎなのでは? と思えてならないのだ。
だが、警戒するに越したことは無いという言葉があるように、こちらを確実に滅却する用意をしたということなのだろうか。
少し、気を引き締めねばならんだろうな。宗一が国津神位階に達した事でかなり戦力は増強されたが、不安は残る。あいつは……まだ力を使いこなせていないから。
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