第二章5 幼子の愛で方

 ふと思う。部屋が汚いのも問題だが綺麗すぎるのもそれはそれで問題なのかもしれない。俺の部屋はそういう類の部屋でおよそ人が住まう場所ではないのだと思う。


 “かるちゃーしょっく”というんだったか? 以前光喜が俺の部屋を見てそう嘆いていた事がある。意味を聞かされた時はいまいちピンと来なかったがこういう感じを言うのだと思えば膝を打つ他ない。何せ女は綺麗なものだとばかり思っていたのだから、仕方がない。


 汚い部屋が人の住むべき部屋でないのなら、これほど物がない部屋はなのだろう。


『戻って来たか』

「おう、悪かったな。置きっぱなしにして」

『問題無い』


 そう言ってアマ公は『狼に追い立てられる羊を見ているようで愉快だったぞ』なんて言ってくれやがった。なんて酷い奴だろう。こちらは生きた心地がしなかったというのに。


「あれ、生大刀がない」


 アマ公に文句垂れてやろうとしたその矢先、天之尾羽張の隣に立てかけていた生大刀の姿がないことに気づく。はて、どういうことかと疑問しているとアマ公がその答えをくれた。


『生大刀ならばずいぶん前に気持ちの悪い笑みを浮かべた男が持って行ったぞ』


 その一言で隊長だというのがわかってしまう。あの笑顔は悪目立ちするよなぁ。心中苦く笑いながら藤ノ宮が纏めた資料を手に取る。藤ノ宮が時間の合間を縫って作った代物。改めて頭に叩き込んだら藤ノ宮の手伝いに赴くかな、なんて考えつつ資料に目を通し始める。


 そうしながら小首を捻る。

 なんというか、本当に藤ノ宮は頑張っているな、という思いと同時に先代が遺した情報の少さが際立つのだ。


 先代が遺した情報を鑑みるに彼らはどうも逢魔ヶ刻の征圧に向かったらしいのだがそれを完了できずに仕方なくという手段を取ったということだけ。第一層に置いてはある程度行ったようだが調査などは一切行っていない。そもそも調査自体は念頭に置いていなさそうな気がする。


 彼らの動向を見ると彼らはおよそ二週間で最下層に至っている。そしてそのまま引き返している。その道すがら封印という形で逢魔ヶ刻の怪物達を無理矢理閉じ込めて。


 恐らくこの封印が無ければこの国はもっとひどいことになっていたのだろう。


 だが、どうにも解せないことがある。彼らは最下層まで降りておいて何故引きかえしてしまったのだろう? そのまま征圧してしまえばよかったのに。それとも、征圧できない理由があったということか? 例えば、とんでもなく強大なものがいる、とか。


 ……既にイタカにロイガーとツァール。奴らの時点でいっぱいいっぱいだというのにあれらより上の存在がいるのか? そう考えるだけで背筋が凍りそうになる。


「――意外と勤勉だな」

「大佐!?」


 背後から急に声を掛けられたせいでみっともないくらい動揺してしまった。


「いつの間に入ってきたんだよ?」

「最初からいたか、お前と一緒に入ったか、後から隠れてこっそり入ったかの三択だ。さて、どれだと思う?」

「謎かけしたいなんて一言も言ってないんだよなぁ……」

「正解は三番だ」


 話を全く聞いてくれない大佐殿はぽっくり下駄を鳴らして寝台に飛び込んだ。他人の寝床に飛びこむなんてどんな神経してるんだこいつ?

 どっちらけて彼女の様子を見ているとせっかくの和装に皺が付いていく様と裾がめくれる様に辟易とした。品格というものが欠如した行動はやめるべきだと思う。女なのだから尚更だ。


 僅かに嘆息を吐くと彼女はおもむろにむくりと起き上がって寝台の脇に腰かけた。


「お前は英雄になりたいんだったか」

「藪から棒にどうしたんで?」

「いや、意外なくらいお前はこの仕事に真摯に向き合ってくれてるのだなと思ってな。上司としては少し休んでもいいと思うくらいだ」

「人命掛かってんだ。当たり前だろ」

「そうか。だがな、無茶もしてほしくないんだよ、私は」

「今回のはあれが最善だった」


 俺は絶対にこの意見を曲げることは無い。そうしなければ全滅だって有り得た。


「そうか……」


 彼女は下駄でこつこつと、床に突いては足をのばしたりとどこか落ち着かない様子で答える。どうみてもいじけた子供にしか見えない。

 そんな態度を取るのならどういう行動が最善だったかを教えてもらいたい。


「あんまりそうやって素足を見せるな。立派な大和撫子になれんぞ」

「余計なお世話だ、戯け」


 頬を膨らませて、慌てて裾を直す。一応そういう所は気にしているらしい。それならもっと落ち着いた行動を取るべきだ。その事を指摘しようかとも思ったが彼女の年齢を思い出して、そっと呑み込む。こんなちんまいのが軍の大佐をやっていること自体が異常なんだから、そう周りからガミガミ言われては流石に不憫に思えたのだ。


「心配して労ってやったというのに、全く」


 大佐殿はそう零すと気分を害したみたいに鼻を鳴らしてそっぽ向いた。こうして年相応の部分を垣間見ると普段どれだけ取り繕ってるかわかってしまってちょっと罪悪感を感じる。結局へそを曲げてしまった小さな上官を前に俺は内心反省することにした。


 すこし、大人げなかったか、なんて思ってしまう程度には彼女は幼いのだ。本来ならもっと甘やかされて然るべき年齢なのだからある程度はそれを念頭に入れた発言と行動を心掛けるべきであろう。それが歳上の度量というものだ。


「――む」


 何やら険のある声。隣に座って彼女の頭を撫でてやった結果の声だった。


「……何をする」

「俺が拗ねるとジジイがこうやってくれた。不服だったら謝る」

「貴様は撫でるのが下手だな。力を込めてやるな。首がもげるわ、ド阿呆」


 逆に機嫌を損ねてしまった。やはり慣れないことをするものではないらしい。一言「済まない」と詫びを入れて手を離すと今度は足を踏まれた。


「やめろとは言うておらん。この際だ、私で練習しておけ。この様ではいつかアナスタシアと子を成した時に苦労するだろうからな」


 アナスタシアと同じ、青い海を一杯に閉じ込めたみたいな青い瞳で俺を見上げて。


「……ガキが生々しい話をするな」

「露西亜の女は気が強い上に現実的だぞ。いつでも産めるように腹は括ってるだろう。それにお前くらいの年頃なら早い家庭ならもう子の一人や二人いてもおかしくないぞ」


 本当に生々しい話をしてくれる上官殿だ。ああ、頭が痛い。この後、どんな面をしてアナスタシアと顔を合わせれば良いのかわからんじゃないか、クソ。

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