第一章11 瑞乃の神格化


 酷く胸が痛む。


 息苦しくて、張り裂けそうで、このままここで命を絶つことができたらどれだけ楽であろうと考えてしまう。しかし、同時に快感にも似た悦楽があった。

 ずっと、内に押し殺していたものが開放されていく。甘やかな、花の香りを帯びた言の葉が頭の中を蕩けさせていく。温もりの中で、深く酩酊して、揺蕩っていく。


 ——口惜しい。


 頭の中に響く甘やかな声の中に、一つ仄暗い感情を持った声が混じる。


 ——口惜しい。


 明確な憤激と、悲哀と、憎悪と、諦観と、悔恨。五色の純粋に濁った言の葉はさながら毒の一滴。酩酊していた私を染め上げるのに時間は要さない。……いや、これは、私の知っているだ。そうだ。そうだとも。私はこの味を知っている。



 何かを取り返したいと怒り。

 

 自己を滅したいほど悲しみ。


 何かを殺したいほど憎み。


 それが叶わない事を諦め。


 何もできなかった今までを悔いている。



 だから、なのだろう。そう、思った。が私にこの意思を伝えてきているのは――違うか、これは彼女が伝えてるんじゃない。これは……多分、私が拾っているんだ。彼女には、何も見えていない。これは、


 嘗て夢見た光景。嘗て切望した己の姿。今の私は、全てを取りこぼした存在だから。嫌だ認めたくない。こんな私は私じゃない。嫌だ、嫌だ、嫌だ、。そう願う彼女と私の想いが重なって――。




――――――――――




「何が起きた!?」


 狼狽える宗一。俺も同様に酷く同様していた。先まで死んでいると思っていた艦がいきなり息を吹き返したのだから。

 艦は轟々と音立てて、蒸気を吹き上げながら溶岩の海を漂い始める。


「瑞乃!!」


 肩を揺らすが彼女は未だ焦点の合わぬ目で虚空を眺めている。先と違う点を言えば。その双眸からとめどなく涙を流している点だ。これもまたあのキザイア・メイスンとかいう奴のせいなのか? 今度会ったら問答無用でたたっ斬ってやる。


『おい、悠雅。この者、様子が変だ』

「んなもん見りゃわかんだろ!?」


 なに寝ぼけた事ほざいてんだこの神器は。


『違う、そうではない。この者、を使っているぞ』

「なに?」

『この者、現人神になっているぞ……!!』

「馬鹿な、何が、何で!? どうしてそんな事になっている!?」

『そこまでは知らん!! それに問題はまだある』

「今度は何だ!?」

『この船……神器だぞ』

「はぁ!?」

『私とて今気が付いた――いや、これは……まさか、とでも言うつもりか!?』


 アマ公のかつてない困惑の感情が激流の如く押し寄せ、それが逆に俺を徐々に冷静にさせていった。異常事態の最中、隣で己より狼狽えている人間がいると冷静さを取り戻すと聞いた事があった。今の俺はまさにそれだったのだろう。尤も、アマ公は人間では無いのだが。


 とにかく瑞乃を止めよう。


 このただならぬ様子、恐らく祈りが暴走していると推察できる。とはいえ、どうしたものか? するとヴィクトリアがおもむろに瑞乃の背後に近付いて、背負っていた銀色の箱を振りかぶった。


 鈍い音共に瑞乃は床に倒れ伏せ、同時に船はまた機能を失い、物言わぬ骸へと戻った。


「テメエ……」

「ああしたままでは危険だったんだろう? 君達の祈り? という力については詳しく無いが使い過ぎると危険だというのは見てわかった。それに現人神とか言うのは超人だと以前来た人間に教えて貰った」


 何やら憎々しげに語るが、少なくとも現人神に成り立てで、しかも女である瑞乃を背後から打ち据えるなど到底許せる類の行為では無かった。


「そら、そうやって私を睨んでいる暇があるのなら彼女をベッドに運んでやれ。大事な人なのだろう?」


 その言い方に引っかかる物が無いでもないが大人しく聞き入れる事にする。こいつのやり方を認める訳では無いが実際、瑞乃が危険だったのは確かだった。一体どんな祈りだったのかは不明だが、この艦を動かす程の祈りを初回から全力で使っていた。あれでは半刻と経たずに呪力切れを起こし廃人になっていた可能性がある。そういう意味では一番冷静に対処できたのは業腹だがこの女になる。かと言って礼を言う気には全くなれないが。


 瑞乃をベッドにまた寝かせると改めてヴィクトリアと名乗った女の前に立つ。


「お前、どうやって人の姿になった」

「君達は質問ばかりだな。これでは取引にならないんだがなぁ」

「俺は取り引きするとは言っていない。お前の言っていることが全てデタラメだっていう可能性だってある」


 むしろその方が可能性としては高いとすら思っている。現状、物的証拠と人間ではない得体の知れない怪物の証言でしかないのだ。

 完全に信用しろという方が無理な話だ。


「……君は阿呆ではあるようだが馬鹿ではないらしい。ならばこそ、信用してもらいたい。私がこうして人間の姿を取れる秘密を言って信用してもらえるのなら教えてもいい」

「たとえ教えてもらっても完全に信用はできない。何かあれば俺は真っ先にお前を斬る」


 ヴィクトリアはくつくつと薄く笑って頷くと先程瑞乃を殴った銀色の箱を床に下ろした。


「これは私の道具箱ツールボックスでね、これがあれば大抵の事はできる」


 そう言いながらガサゴソと何かを取り出した。何か、皮の様な物。


人皮にんぴか」


 傍らでやり取りを見ていた宗一が問うとヴィクトリアは肯定した。

 この小さな人の皮を使い、それを薬品で伸ばして好きな形に整形できるらしい。そうして作ったガワを用いて人の姿を取っているのだとか。他にも成形方法やら何やら説明されたがこういう工学的な話はいまいちぴんと来ない。更に、あの化物の姿から明らかに骨格やら何から何まで変わっているという疑問をぶつければ、そのあたりも自分で弄れるという始末。


「訳の分からない生物だな」

「君ら程じゃない。自分達より優れた生物が現れても己が進化する事でそれを凌駕する何て普通の生物じゃできないし考えない。自然淘汰のサイクルを無視し過ぎなんだよ君らは」

「知るか。俺らは脅威に対していつだって全霊で挑んでいるだけだ」

「流石は戦闘民族」


 からりと女は笑って「だからこそ私達は君達人類の研究をする事にした訳だが」何て言って。

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