第一章『狂騒の双子』

第一章1 異界の謎

 呪術師・藤ノ宮雪乃ふじのみやゆきの曰く、逢魔ヶ刻は全八層からなる多重位相空間であり、怪物共が跳梁跋扈ちょうりょうばっことしている隔絶された異次元の界である。その組成は莫大な呪力によって支えられているものと推察され、状況証拠から鑑みるに何らかの呪術によって創造された界ではなく神格の祈りによって作られた異界である可能性が高い事が判明した。しかしながら、あれほどの規模の異界を八層も創造するには天津神あまつがみ八柱はちはしらほどにえに捧げでもしない限り作る事はできないというのも彼女の結論であった。つまり、


「——はああああああぁぁぁ……」


 ばたりと長机に突っ伏す藤ノ宮は完全に疲れ切った様子だ。それもそうだろう、調調なんて誰だって音を上げるというものだ。逢魔ヶ刻への降下にそこで集めた情報を元に資料を作るという任務を任せられた彼女は間違いなく実働部隊の中で一番働かされていた。


 ほとんど戦闘に参加することは無いが式を飛ばして斥候をさせたり、地理の把握に努めたり、俺達は藤ノ宮におんぶにだっこの状態であった。


「俺にも手伝えればいいんだがな」


 そう渋い顔で零すのは間宮宗一まみやそういちだ。宗一は祈り持つ者、現人神あらひとがみである為、呪術を使えぬ身だ。使えぬ身で知識を納めるはずもなくここまできたのだが、よもやこんな時に知識が必要になるとは思ってもみなかったようだ。努力家かつ勉強家でもある宗一が知らない呪術についての知識、それを俺が当然知る筈もなくそんな二人のやり取りをぼうっと見ていた。


 結局の所俺は絶対的に、どうしようもなく剣士であり、戦士であり、兵士なのだ。敵と戦う事こそが本領であり、それ以外ではあまりにも無力だ。


「本当に不可解な事だらけです。これ以上あの異界について調べるにはやはりの向こうに突入するしかないのかもな」


 宗一の言う、あの穴、とはやはり忌鷹イタカとの決戦直後、明治神宮建立地に開いた黄泉比良坂の事であろう事は容易に想像できた。


「第二層、か……」


 藤ノ宮が何度か式神を送ったが結局あの穴の向こうに何があるのか終に確認する事ができなかった。隊長曰く第二層に繋がっているとの事だったが先も見えない場所に身一つで突入するのは躊躇われた。とはいえ、最早あの場所以外に調べられる場所が無いため次回は突入しなければならないだろうな、とそんな風に考える。


「――お茶を煎れたわよー……」


 そう言ってどこか青ざめた様子のアナスタシアが紅茶と一緒に何やら赤黄紫の三種類の果実を甘く煮詰めたジャムを持ってやってきた。


「皇女殿下、そういった事は我々に申し付けて下さい」


 宗一が遜った態度で彼女の持つ西洋茶器ティーセットを受け取った。いつか彼女の命を刈り取らんと刃を握った事が今では嘘に思えるほどに宗一は今アナスタシアに気を使っている。


 この男にはずっと気に病んでいたことがあった。それは他国のとはいえ、皇族であるアナスタシアに数々の無礼を働いた事だ。無論、皇国の軍人としては当たり前の行動だったがそれでもその事は彼の中でしこりを残した。だから恐らく今の対応はその事に対する詫びの意味も込めているのであろうと思う。謝罪してしまえば良いのだろうがそこはそれ、皇国軍人として決して間違った事はしていないので謝るのも違うと捉えてるのだ。


 だからこそ今後は元とはいえ皇族として扱うという事で己の中で折り合いをつけたのだろう。その方がらしいと俺も思うし、アナスタシアも悪い気はしていないみたいだ。


「ありがとうございます、アナスタシア様」


 打って変わって藤ノ宮の方はかなり砕けた様子だ。敬語であったり様付けであったりとそういった丁寧な言葉遣いが取れている訳ではないから、長年付き合っている俺や宗一にもそんな調子なので口調からはわからないが、語感や何気ない仕草から彼女が今とても穏やかにアナスタシアと接しているのがわかる。


「しかし、アナスタシア様、昨晩逢魔ヶ刻に降下する前から気になっていたのですが、顔色が優れないようにお見受けいたします。どうかされたのですか?」

「だ、大丈夫。問題ない……ただ二度と隊長が操縦する乗り物に乗りたくなくなっただけだから」


 HAHAHAと何か壊れた人形みたいにケタケタと笑いながら白目を向く皇女様は今にも泡吹いて倒れそうだった。


「操縦? 學隊長に何かされたのですか?」

「なんだ? 焼いた方がいいか?」

「俺がぶった切るの我慢したんだからお前も我慢しろ」

「むぅ……」

「宗一さん、気持ちはわかりますがすぐにかの御仁を燃やそうとしないでください。後、深凪様のそのさとし方もどうなんですか?」

「あの人の所業考えたら仕方ないだろう」


 お前も「気持ちはわかりますが」とかさらりとぶっちゃけてるじゃねぇか、というツッコミは無粋だから納めておく。

 はっきりと言わせてもらえばあの人の運転は狂っていた。青ざめる程度には。


 街中は人がいるからと自重していたからまだ良かったんだ。問題は人のいない山に入ったあたりから。そもそも明らかに一人乗りの軍用二輪にしがみつくだけという不安定な状態だったにもかかわらずとんでもない速度でかっ飛ばすわ、錐揉み回転しながら宙返りするわと俺ですら悪魔の所業かと思ったほどだ。おまけに腹が立つのが到着した後に嬉々とした面を引っ提げて『どうだ? 楽しかったか?』とか聞いてきた事だ。あれには流石に俺もアナスタシアも拳が火を噴かざるを得なかった。あんなの現人神でも無けりゃ振り落とされて挽き肉になるわ。


「あの方の行動も少し問題ですね」


 眉間に皺が寄りそうになるのを伸ばしながら藤ノ宮は盛大にため息をついて、ジャムを一すくいして紅茶に溶かし込む。するとそれを見ていたアナスタシアが、


「あ、その飲み方ちょっと違う」

「そうなのですか? 以前立ち寄った“ろしあんかふぇ”というところでは周りの皆さんがこうやってジャムを溶かしていらしたのですが」

「その飲み方はどちらかと言えばポーランドやウクライナの辺りの飲み方ね。ロシアンティーっていうのはジャムを舐めながら飲むの。ロシアは寒いからお茶が冷める行為は好まれないのよ」

「へぇ」


 思わず俺達は合わせたみたいに感嘆の声を漏らした。


「俺達が持ってる外つ国の知識は意外と雑なものらしいな」

「――どこの国もそんなもんでしょ」


 そう述べるのは一人だけ少し離れた所で座って資料に目を向ける光喜だった。彼は一人、紅茶に牛乳と砂糖を入れてこくりと喉を鳴らした。


「僕だってこの国に来る前はこの国の男はみんなちょんまげで女は白粉おしろい塗ってると思ってたし、侍も忍者もみんな超人の集団だと思ってたもん」

「前者は違うが後者はあながち間違いではないぞ?」


 宗一がそう前置いてご高説を語りだす。


 武士という階級があった頃、家族が現人神に至ると元が農民や商人であっても武士になれるという制度があった。現人神とは何某か強い思いを抱く事でなれる超人であるため、戦争という理不尽な暴力が渦巻く場所だと生まれやすくなる。


 戦争、合戦。全国の諸侯が群雄割拠していた戦国の世はそういうぽっと出の武士の出現が後を絶たなかったのだ。そんな中、外つ国の人間がこの地に踏み入れれば「侍は超人だ」という印象を抱くだろう、とのこと。

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