終章3 独白【アンナ】 


 ――私は最低な女だ。


 そう自覚したのは穏やかな初夏の深い夜か、早すぎる朝の事。

 七月十七日。私の家族は全員殺された。納屋の下に、おざなりに作られた棺桶みたいな黴臭かびくさい地下の小部屋の中で。


 最初に殺されたのは父だった。父は第三階梯の天使だった。世間では熾天使してんしと呼ばれていた生ける殺戮兵器。そんな彼の命を絶ったのは同じ熾天使だった男。私達と共にあり、私達が全幅の信頼を置いていた男――グレゴリー・ラスプーチン。

 彼の手で父が殺された後、彼の後ろから無数の軍人達が大挙として雪崩れ込んできた。皆、銃火器を装備して、その銃口を私たちに向けていた。

 二番目に殺されたのは母だった。母は一番上の姉と一緒に自分達を祝福しようとして、その最中に頭部に銃弾を受けて殺された。


 悲鳴など、一人も上げる事が出来なかった。


 その直後、彼らは怯える私達に下卑た笑いを浮かべて近づいた。

 

 一人は足を撃ち、のたうつ三番目の姉を殺さないように殺した。


 一人は母の遺体に縋りつく一番目の姉の頭部を撃った。


 一人は逃げ惑う二番目の姉を執拗に追いかけて殺した。


 一人はうずくまって泣き叫ぶ弟を銃床でひたすら殴りつけ、銃剣で串刺しにした。


 そして、父を除いてたった一人、天使であった私には徹底的に銃弾を撃ち込んだ。モシン・ナガンみたいな玩具じゃなくて、もっととても大きい。凡そ個人を殺す為ではなく、隊一つ分とか戦車一台とか、そういったものを破壊する為に用意された怪物みたいな銃で。


 彼らはその後、地下室に火を放ち、私達を焼き払った。




――――——そう伝え聞かされた。ええ、そう。私はその地獄の様な惨状を。私は死ななかった。その地獄にすらいる事が出来なかった。


 地獄で代わりに殺されたのはアンナ・アンダーソンという見知らぬ少女。ヴァチカンが用意した唯私によく似ていただけの少女。本物の私自身はヴァチカンに匿われ、その処刑から一人、生き残ってしまった。

 聖女だなんだと祭り上げられ、良い気になっていた自分にどうしようもなく腹が立って仕方がなかった。臨時政府が、私達を監禁すると言い出した後、すぐにヴァチカンからの招聘しょうへいがあった。その事を少しでも考えれば良かったのに。政府が、私たちの事をどう思ってるかなんて、わかり切っていたんだから。


 ……いや、本当は。私は、逃げたんだ。家族を置いて。一人だけ安全な場所に。

 小賢しく、浅ましい女。生き恥を晒し続けて、羞恥の欠片も無い。


 だから、私は、その罪を贖う為に死者を呼び戻す方法を求めた。そして、家族に、使用人達に、私の代わりに死んだアンナに、罰してもらおうと思った。


 そう……私は、私の為にみんなを生き返らせようとしている。その方法を求めて、この国に来た。理性的に考えれば、これは恥の上塗りにしかならない。父と母、そして、姉弟達の尊厳を踏みにじる行為でしかない。けれど、それでも、私はそれに縋るしかなかった。


 みんなを生き返らせる。そう決めた時からずっと、余裕のない時を過ごしてきた。ヴァチカンから逃げ出して、イギリスからこの極東の地に密入国をした。私のこの想い、この決意を必ず遂げる為に。


 そんな時、貴方に出会った。


 思えば貴方との出会いは最悪だったかな、なんて私は振り返る。


 お互いに銃と剣を向け合って、祈りをさらけ出して、殺し合って、そして深紅の魔界に落ちた。最初は魔界から一人で抜け出してやろうと思った。でも、死に体の貴方を見つけた。肉体は細切れ、辛うじて残ってた胴体はどう考えたってあり得ない方向に向いていた。死んでいると思った。一瞬、目を背けてしまいそうになった。でも私はその光景から目を離してはいけないと思った。せめて遺体を埋めてあげよう、そう思った。


 貴方の事をどこか死んだ家族に重ねていたんだと思う。散らばった遺体の一つ一つをかき集めて、胴体と一緒に埋めようとした時だった。浅い呼吸が聞こえたのは。


 普通なら死んでいるはずなのに、貴方は生きていた。そこからは無我夢中だった。ひたすら脳と心臓を再生させながら、肉片を繋ぎ合わせていく。こんな事、この人生の中でも初めての試みだった。そもそもそんな状態で生きている人間に出会った事なんてなかったから。


 やがて目を覚ました貴方は私に向かってトンデモなく失礼な事を言ってきたよね。でもそこに気安さを感じた。そこで私は地獄から抜け出すために一方的に利用してやろうと思った。散々こき使ってから放り捨ててやろうと思った。こんな憎たらしい事を言ってくる男がこの後どうなろうが知った事じゃないって、そう思って。でも、貴方は律儀に恩義であるとか、貸しであるとか、そんな事を言って馬鹿正直に私を救ってくれた。逢魔ヶ刻から逃れ出る時、ロシア軍の手の者に連れ去られた時、助けてくれた。この国から逃げろとも言ってくれた。死んでほしくないと言ってくれた。


 そして、今度もまた、未だ名前を明かしていない無礼者な私を命懸けで助けに来てくれた。きっと、貴方の幼馴染達や、仲間達は良い顔をしなかっただろうに。


 胸が熱い。血液が沸騰してるみたい。頬が紅潮するのが自分でもわかる。初めての感情だった。でも、この想いの名前を私は知っている。姉様と従兄のルイスの事をずっと見ていたから。


 この感情はきっと彼にとっては邪魔になる。それでも尚、この想いは膨らみ続ける。私はきっとこの想いを貴方に打ち明ける。


 さぁ、目を開けよう。自分を助けに来てくれた王子様おとこにお礼も言えないお姫様おんなではいたくないから。



「——ゆう、が……」



 どうして助けに来たの? なんて、そんな無粋な事は言わない。彼が助けに来てくれたことは最早当然の事として受け入れよう。だから、私はお礼と一緒に、この名前を貴方に捧げる。たとえ、と、貴方への親愛を示すために。


「——【アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ】の名を以って、貴方に感謝と祝福を。……ありがとう、悠雅」

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