第二章20 水の魔術師 二


『——なぜ断ち切らないんだ?』


 触腕による刺突を打ち払っている最中、実に不思議そうに問いかけてくるアマ公。


「さっきの見ただろ? ……切れねえんだよ」


 そもそも切れるんならもう実行してるってんだ。


『単に出力が足りんのだ。あの時の様に黒炎を出すが良かろうよ』

「どうやって出すのかわからん」

『……悠雅よ、お前、無意識で出していたのか?』

「勝手に出てきたんだよ」


 大体どんな条件で出ていたのかわからないし、そもそもあの黒い炎がなんであるかがわかっていないのだ。俺の異能の範疇なのかどうかすらも。


 だが、今それを考えるのは後回しだ。出ない物は出ない。黒い炎の実態がなんであれ、今武器にならないものに用はない。

 俺は改めて天之尾羽張を握りこんだ。信用できるのはこの手にある神器と異能の力だけだ。


 石造りの床を踏み砕き、畳返しの要領で触腕の猛攻に対する盾とするも即座に押し退けられ、俺の喉元に狙いを定め、殺到する。


 致命傷を避けるべく、しのぎで強引に軌道をずらして見せたが新たに下腹部に風穴が空けられた。食堂を勢いよく駆け上がってきた血の塊を吐き出し、床に不定形な赤い染みが出来上がる。新しい軍服だというのにやめてほしい所だ。


 深く白い吐息が仄暗い構内に溶けていく。天井から吊るされているガス灯が攻防の振動で揺らめいている。ちらちらと明滅もしている。暗くなったり明るくなったりイライラする。キコキコと金具が軋みあげる音も鬱陶しい事この上なく酷く耳障りだった。


「?」


 一つ、違和感があった。視界の端が歪んでいた。そんなつもりは無かったが涙でも浮かべていたのか? 


「あ゛ぁ゛?」


 まなじりを拭った瞬間だった。それまで視界の中に無かったはずのものが立っていた。


「思ったよりバレるのが早かったな」


 茶髪の癖っ毛に軽薄な笑みを浮かべた、軍服姿の長身の男。色白な肌と何よりその高い鼻は日本人では無い事を雄弁に語っている。


「凄いだろう? 私の魔術は。極東の曲芸とは違って美しかろう? 私は水の魔術が得意でね、相手の涙を操作して視界の穴を作るのも造作の無い事なんだよ」


 得意気に語る白人の男は朗々と手の内を白日に晒す。


「馬鹿かよお前、自分の手の内バラすとか三流のやる事だぞ」


 能力が一つしかない俺にとっては信じ難い行動だ。とは言え、自身の能力をあれだけ得意気にベラベラと語るという事はそれだけ自分の能力に自信があるという事に他ならない。

 それを証拠に目の前の男は俺の言葉に対し、くつくつ耐えるように笑っている。


「たかが極東の黄色い猿に我が術理の一端を知られた所で何ができる」

「うちに負けた癖に大口叩いてんじゃねぇよ」

「偶然勝ったくらいで調子に乗るなよ猿風情が」


 その表情は未だ嘲りを帯びて。男は懐から小瓶を取り出す。新たな術を仕掛けて来るのは明白。天之尾羽張を握る手に力が籠る。

 男は小瓶に入った水をそのまま構内の床に垂れ流した。零れ落ちた水は普通なら表面を濡らすに留まる筈だが、あっという間床に浸透していく様が見て取れた。


「——出番だ、水の雌精ルサールカ


 高らかな進撃の狼煙。恐らく投入れたのは新たな式神か。微かに聞こえる足元から聞こえる水の弾ける音が生き物めいた気配を纏って近づいてくる。

 瞬間、足元の床を砕いて無数の水の触腕が天を突いた。あと数秒、飛び退くのが遅かったら百舌鳥もずの早贄の如く串刺しになっていた所だ。


「ああ、本当に呪術というものは器用だな。一つのことしかできない俺らとは違う」

「だからお前等の曲芸と一緒にするな」


 男はここで漸く顔色を変えた。しかもあの顔は、ああ、足元に落ちていた馬糞を視界に入れたような顔、とでも言えばいいのか? 眉間に皺を寄せた、実に不快そうな顔だ。


「私達の魔術は貴様らのような薄汚いものとは格が違うんだよ。現人神と言ったか? 嗚呼、悍ましいぞ。自分を神と名乗るだと? 烏滸がましいぞ、恥を知れ。そんなものを世界は偉大なる大天使アークエンジェルと同一視している。気色が悪いにも程がある」

「出来ることもやれる事も程度が同じだから同列に並べられるんだろ。並べられたくなきゃそれこそ唯一にでもなってみろよ」


 土埃が舞い上がる程に大きく石造りの床を踏み込み、白人の男の元へと突っ込む。音も置き去りにして。

 姿が見える場所で現人神と戦うなんて下策中の下策。


「姿を見せた時点でお前の負けだよ」

「――それはどうかな」


 肉厚の刃で切り払う――筈だった。

 確かに切った。その感触はあった。だが、男は不敵に笑ってこちらを睥睨している。頭部から両断された男は臓器も脳髄も血液すら垂れ流す事無くこちらを見下ろしている。ただその断面からぼたぼたと大量の水を零して。


「水の雄精ヴォジャノーイの力は色彩制御。相手の視界から私を消したり、私そっくりの人形を作るのなんて児戯に等しい」


 水の人形の背後から薄ら笑いでこちらを覗く影。本体と思しき白人の軍人が立っていた。ならば、今度こそ斬り捨てるまでの事。

 返す刀、天之尾羽張を振り抜く。しかし、


「え……?」


 先ず、疑問があった。素っ頓狂声と共に視線を移せばそこには天之尾羽張に絡みつくようにへばりつく氷塊があった。無論先の水の人形を切り払った時にそんなものは欠片も無かった。これは、恐らく今度も、


「お察しの通り、その氷は私の力だ。水の雌精(ルサールカ)の力は形態変化でね。冷気も無く凍り付く事だってできるのさ」


 イラつく程に自信過剰な男だ。だが、強い。これだけの水使いはこの国にもそうはいないだろう。

 そして、この男は今、形態変化が得意だと宣った。その言葉から次に予測されるのは、


「ごっ……ほっ……!!」


 己が身の内から生えるようにして現れる氷の杭。大量の血液が塊の如く、至る所から零れ落ちる。

 水の形態変化。固体、液体と続く三つ目、気体による体内への侵食、からの串刺しと言ったところか。器用にも程がある。よくもまぁこんな攻撃方法を思い付くものだ。ぼうっとする思考の中、影が落ちる。


「本来なら血液を操って串刺しにしてやりたい所だがどうにも血液というやつは不純物が多すぎて水判定にならないんだ。だからこうして回りくどい方法で殺すことになってしまった」


 効率が悪い方法だったか、などなど嬉しそうに語っており、その表情は終始笑顔だ。そして、男は最後にこう言った。


「もう死ぬ奴に反省文聞かせた所でどうにもならんな。そら、駄目押しだ」

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