第一章3 大鬼

 ある程度身支度を終え、東京駅に向かって俺とアンナは行動を開始する。アンナが俺を運び込んだのは東京駅より北西にある鬼子母神堂近くの寂れた宿だった。


 ここから東京駅までそう遠くは無いが徒歩で向かうとなるとそこそこな時間を要する。現人神の超人的な身体能力を行使し、走り抜けてしまおうかとも思ったが上空の肉塊然り、ここには何が居て、どこから牙を向いて来るか想像が付かないので慎重に事を運ぶという結論に達した。不意を突かれて丸呑みされましたー、なんてのはごめん被りたい所存。


 しばらくこの異形の皇都を歩いて分かった事がある。

 先ず人がいない事。異形の怪物が跋扈とする皇都に人が居ないのは予想はついていたが確認するに越したことは無い。

 続いて食べ物が無い事。仮にあったとしても食べる気にはならないが地味に大事な事である。もしもの時はここで数日間過ごさねばならなくなる可能性も大いに存在するからだ。まぁ、食べ物が無いと分かった時点で無事二人共餓死する事が決定したが。


 あの川を流れる赤黒い血の様な水や空飛ぶ肉塊を捌けば生きながらえる事が出来そうな気がするが、食ってる最中に気が狂うだろうな、というのが俺とアンナの共通認識だった。

 こっちに来る前に買ったたい焼きや夕飯の材料があればまだ事情は変わっただろうが手元に無い以上向こうに置いてきたか、どこぞに落としたんだろう。望みは薄い。


 あともうひとつ不可解なのは、街中の時計が全て止まっていることか。それも俺が持ち込んだ懐中時計まで。


「待って悠雅」


 先導する俺の手を掴んだアンナが静止を求めてくる。


「どうした?」

「私の電磁探知になんか引っかかった」


 え、何その能力? 発電能力ってそんなこともできんの? ちょっと狡くない? 応用力高すぎだろ。俺にもちょっと寄越せ。


「ずいぶん大きいわね。このままだとそこの十字路でかち合うわね。とりあえずそこの建物に入るわよ」


 手を引かれ入り込んだのは銀行だ。聞いた事もない名前の銀行だ。弱小零細企業というものか。受け付けが小奇麗なあたりそこそこ稼いでるのだろうか?

 割とどうでもいい事を考えつつ窓辺に身を潜める。

 すると数秒と経たず、腹の底に響く様な音が聞こえてくる。その音量から察せられるの重量を想像し、総毛立ち、強張る。


 互いに息を止めて、窓の外へ視線を注ぐ。

 来た。

 黒いてかてかとした肌。醜悪な形相と筋骨隆々とした肉体、小山の様な巨人。藤ノ宮が使役している式神と似たような出で立ちをしているが、根本が違う。撒き散らしてる殺意の濃度が桁違いだ。それも、身も凍る程に。


 更にその手には歪な形をした金棒がある。殺す、叩き潰す、という概念を形にしたような物騒極まりない凶器ではあるがある種の美を感じる。ああ、いわゆる機能美というやつか。無駄がないのだ。殺すこと以外の使用用途など一切ない殺戮の権化。


 生まれて初めて感じたかもしれない。正面切って立ち合いたくない、と。


 遠ざかっていく足音に聞き耳立てて、固唾を飲んで。息を殺し合って。怪物が早く立ち去るように、と祈るように。

 やがてどちらともなく立ち上がり窓からその背中を追う。


「……行ったか?」

「私の探知範囲の圏外には出て行ったわ」


 本当に便利な、それ。羨ましいにも程があるだろう?


「ならとっとと行くぞ」

「え、なんでちょっと怒ってんのよ?」

「怒ってねえよ」

「怒ってるじゃない」

「あーうっせえうっせえ。少し黙って付いてこい」


 怒ってはいない。怒ってなどいないのだ。ただちょっと、いつものようにイラついてるだけなのだ。


 俺の異能は異能の中では酷く外れの部類だ。それこそ暴走でもしていない限り刃物を介さなければ出力できない。それに間接攻撃もできない。そして何より、応用が利かない。

 強大な異能を持つ現人神が周りにひしめいているのだ。少しぐらい嫉妬するのは当たり前だと思う。

 そして、心中にて情けなくも嫉妬してしまう自分に慚愧ざんきの念を覚えるのもいつもの事だ。


「しっかし、妙な場所に落とされたわよね、私達」

「そうだな」


 少し黙って歩けないのだろうか? なんて思いつつも相槌を打ってやる。 


「ここってこの国の軍が研究してたりしないの? 呪術だっけ? 魔術みたいな異能技術のさ」

「生憎俺は下っ端中の下っ端だ。そういう情報が流れ込んでくるような地位にない。そもそも正規の軍人になったのだってついさっきだしな」

「そうなの? その割には肝が据わってたと思うけど」


 肝が座っていた、というのは先の殺し合いを指して言っているのだろうな、と当たりをつけた上で、


「あれは……ちょっと特別だ」


 あの時の俺は爺さんを守る為に剣を振うっていう前提条件があったから、見知らぬ誰かに剣を、異能を振う事が出来た。殺し合う事が出来た。もちろんアンナが銃を突き付けてくれていたから、というのもあるがやはり理由としてはそちらの方が大きいと思う。


「この場所って何なのかしら?」

「本当に雑な質問だな」

「アンタの私に対する対応ほどじゃないわよ」


 アンナはそう毒を吐いて、続ける。


「何らかの術で異空間を作るにしたってこれほど大規模なものって作れるものなのかしら? 私はこの国由来の術について余り知らないけど、私の国の術――魔術についてはある程度把握してるつもり。魔術っていう技術はこの世界に流れるレイラインから力を取り出して理を塗り替える物なんだけど呪術はどうなの?」

「……俺は呪術には明るくないが概ね似たようなものだった筈。呪術は地下を流れる龍脈を流れる膨大な力を用い、超常の力を再現するものだ」


 アンナの言う魔術と呪術はかなり似たもののようだと思われる。符合するものも多く龍脈と“れいらいん”というやつが同じ物を指すのであれば呪術と魔術は同じものと言えるだろう。アンナも同様の考えらしく、


「それを踏まえて考えると根っこは同じと考えて良さそうね。恐らく呪術も魔術と同じで基本的に等価交換で現象を引き起こす物。あるものを作ろうとしたら同じ価値の物を捧げなければならない。もし仮に魔術でこの皇都を模した異空間を創造したのだとしたら、皇都を作り上げるだけの力がレイラインから消失する。都市一個分創造するだけの力の消失が周りの環境にどれだけの損害を出すかなんてわかったもんじゃないわ」

「だったら呪術や魔術によるものじゃないんじゃないか?」

「じゃあ何? 現人神の力だっていうの? 事もあろうに現人神自身であるアンタがそれを言うつもり? こんな大規模な異空間を異能で作ったらあっという間に死ぬでしょ」

「それもそうか」


 現人神の異能は精神力――呪力を動力源にしている。都市一つを再現するほどの異能を行使すれば一瞬にして呪力は枯渇し、即廃人になるだろう。

 では、改めてこの場所について考える。

 しかし、簡単に答えが出る訳もなく思考は程なく詰まる。


「俺達が考えてるよりも遥かに危険な場所なのかもしれないな――例えば、あの世、とか」

「笑えない冗談ね、本当に」


 苦笑しているがそれ以上にその表情は強ばっている。実際、一番的を射っているように思える。

 この場所は人の身に余りあるものだ。

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