第二章12 自己愛の欠落

「――悠雅ってさー、」


 すると不意に、眼下の書籍に視線を落としながら光喜が、


「馬鹿だよねー」

「身も蓋もないな。否定はせんがいきなり馬鹿呼ばわりは流石に不躾に過ぎるだろ」

「言い返したいなら、もう少し賢く生きなよ。いっつもボロボロになってさ。なんでそんなになって他人の為に戦うのさ?」

「軍人だからに決まってんだろ」

「何言ってんのさ、悠雅のその病気は昔からなんでしょう?」

「病気とか言うな」


 志が高いと言っていただきたい所だ。だが、そんな俺の想いを見透かしたみたいに光喜は、


「病気でしょ。誰かを救う、誰かを守る。その行動自体は尊いものだけど、その勘定に自分が入っていない」

「何言ってんだ? ?」

「そこだよ、僕が言わんとする病気っていうのは。悠雅、君は自分の命を惜しんでない所なんだよ」

「……別に惜しんでない訳じゃない。俺だって命は惜しい。だけど、仕方ないだろう。戦ってる最中に自分の事を慮って戦えるものかよ」

「悠雅の場合はそれが過ぎてるって言ってんの」


 ……そうだろうか? 軍人なのだから当たり前の思考だと思うし当たり前の行動の筈だ。滅私奉公の精神を持つべきだ。だって民の命は尊いものだし、


「悠雅はさ、聞こえの良いこと言って誤魔化してるけどさ、決定的に

「自己愛……」


 そう思ったことは無かった。そもそも、考えたことすらなかった。正直、自分を愛するってなんだ? とすら思っている。更にいえば自己愛という概念にすら軽い嫌悪感を抱いているような気がする。


「自覚、無いの?」

「……そうだな、」


 そう答えて、俺は確信を覚えた。多分、俺は俺が嫌いだ――いや、嫌いという感情すら抱いていない。言葉にするならこれは、無関心か。


「ははは……」


 思わず笑けた。自分でも思ってもみなかった己の真実を突きつけられて。


「何笑ってんのさ。笑い事じゃないよ。そのままだと本当にいつか死ぬよ?」

「ああ、死ぬのは嫌だな……」



 望みを果たす前に死ぬのは嫌だ。爺さんの跡を継ぎたいから、爺さんと約束したから。


 ……ああ、なるほど、


 俺の生きる望みは徹頭徹尾、。自己愛の欠落。なるほど、言い得て妙だな。



「――俺は生まれながらに祈りを持っててな。母の胎を裂いて生まれた」

「は、え……?」


 光喜は唐突な俺の発言に呆けた声をあげた。普通いきなりこんなことを言われたらそんな反応にもなってしまうだろうな。


「俺は母を犠牲にして生きている。鬼の子なんだ。だからだろうな」


 自己愛の欠落の原因はそれ以外考えられなかった。爺さんの教育によって自死の本能は矯正されたが、やはり俺は歪んだままだったようだ。


「――なんか、ごめん」

「謝る必要はないぞ。俺が俺の現状を把握するために口にしたようなもんだ。それに、お前になら別に教えてもいいと思っていた」


 これは本心だ。進んで言うほどのことではないが、いつまでも隠しておくほどのことでもない。特に、腹を割って話せる友誼を相手には。


「そんな言葉を聞かされて、何も思わないような不感症じゃないんだよ。僕は」

「そうだな。悪かったよ」

「……悠雅が謝るようなことでもないじゃん。それになんだよ、鬼の子って。カッコつけちゃってさ。バッカみたい。鬼が必死に人を守ろうとするわけないじゃん」


 光喜は一言そう言って切り捨てた。ここまで綺麗に一蹴してくれるといっそ気味が良い。ああ、本当に。


「ありがとうな」


 ガシガシ、銀糸の髪を撫でてやる。恥ずかし紛れに。少しは上手くなれたのか、光喜は嫌がる様子はなかった。大佐には礼を言わねばならないな。




「――あれ、深凪さん?」


 しばらく、そのまま勉強会を続けているとそこに瑞乃がその場に姿を現した。珍しい取り合わせだな、なんて不思議そうに二人に視線を送るも当の二人はそうでもないらしく、どうやら度々この書庫で顔を合わせているらしい。


 二人からすれば俺がこの場で最も浮いているのだろう。

 現に瑞乃は俺と光喜を視界に入れながらも俺の名だけを呼んで小首を傾げていたし。


 瑞乃はどうやら明日の作戦に参加するらしくその準備をしに来たらしい。準備といっても準備をする為に部屋の掃除をしなきゃならないとかで借りっぱなしになっていた本を返しに来たというのが実情であった。確かにあの部屋は何かするには狭いし、汚過ぎるよなぁ。


 それにしても、大佐は何を考えているんだろうか? アナスタシアの時といい、まともに訓練していない人間を任務に加えるなんて、正気の沙汰とは思えなかった。


「――瑞乃、大丈夫なのか?」

「何がですか?」

「何が、というか全部というか」

「怪我はしてませんし、祈りの使い方もわかりますし問題ありません」


 彼女はそう言って懐から千代紙で作った可愛らしい小船を手に取ると、それを宙に浮かべてみせた。

 ふわりと浮かんだ船は独りでに俺たちの周りをくるりと回って見せると再び瑞乃の手に還っていった。


「船という概念さえあれば大体こんな風に操れるんです。こうして千代紙の船を操ることで陽動もできると思うんですよね」

「そうやって自分の祈りと前向きに向き合ってくれるのはいいんだが」


 彼女は、大事な事を見逃している。それを意図して行っているのか、それとも本当に見落としているのかわからないが。しかし、そこで見て見ぬ振りをしたところで必ずいつかその壁に直面する。


 だから俺は問わずには居られなかった。


「お前は、人を殺せるのか?」


 本当の意味で軍属になるという事は命を奪う側に立つということだ。彼女はそれをよく理解した上で大佐の提案を受け入れたのかを確かめたかった。

 彼女は俺の問いに、難しそうに表情を曇らせた。


「私は、そうしなきゃ生きていけないのでしょう?」

「大佐はああ言っていたが、お前は藤ノ宮の人間なんだ。家に守ってもらえるはずだぞ」


 藤ノ宮家は皇都防衛の要を担う呪術の大家だ。皇国における影響力もある。その家の、宗家ではないものの、宗家に最も近い分家のお嬢様を無理矢理攫うのは相当骨の筈だ。


 しかし、そんな風に都合よく考える俺を否定するように瑞乃が、


「それはどうでしょう? あの家も一枚岩ではないですし、私はあの家において落ちこぼれの烙印を押されています。私の処遇を考えれば国に引き渡すのがあの家にとっては一番いいはずですから」

「藤ノ宮がそれを許すとは思えないが」

「いいんですよ、余り雪乃姉さんに迷惑かけたくないですし。そんな事より深凪さんの方が大丈夫なんですか? 今回も倒れて帰ってきたんですよ?」


 藤ノ宮は大層、瑞乃を慮っていた。そんなあいつが瑞乃をみすみす引き渡すようには思えなかったのだが、これ以上はその話に触れられたくないのか瑞乃は無理矢理話題を逸らすみたいに俺をやり玉に挙げる。

 光喜も同調するみたいに「言ったれ言ったれ」と援護してきた。


「俺の事はいいんだよ。荒事は慣れたもんだ」

「過信は禁物だと思います。倒れる程の怪我や疲労が、蓄積しないわけがありません。もっと休んでいたほうがいいんじゃないですか?」

「頭で力になれないんだ。荒事で頑張らなきゃ周りに顔向けできん」

「同じですよ。私もやっと皆さんの力になれる時が来たんです。私にも戦わせてください」


 ……そう言われてしまうと言い返す言葉がなかった。

 強い女だ、と純粋にそう思った。本当は怖いと思っているはずなのに、誰かの為にありたいと願ってやまないこの眼差しはとても力強い。


「――はあ……」


 一つ、諦念を含んだ吐息を零す。

 どうして俺の周りの女はこうも強い奴ばかりなんだろうな。


「……危なくなったら直ぐに呼べよ。俺でもほかの奴でもいいから」

「ありがとうございます」


 彼女は恭しく頭を下げた。不安に揺れる光を瞳に湛えて。


「――そういえば長門はどうしたんだ?」

「ああ、それなら……」


 応じながらするりと彼女は左腕の袖を捲る。そこには手首からびっしりと俺の腕に刻まれた術式と同様のものが書き込まれており、それは肩にかけてなお奥にまで伸びているようであった。


「長門は大きいですからね。それに伴って術式も大きくなってしまいまして」

「それならいいんだ」


 あの神器は間違いなく、戦いの玄人だ。近くにさえいてくれれば、いざとなった時、瑞乃を守ってくれるはずだから。

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