暖かな小春日和に包まれて 二





 戸を閉める大佐の背中を見届けて、俺は布団を再び被った。胸の中がひたすら早っている。……早く、あいつに会いたい。


 なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ⁉


 お、おい。おい。俺は、こんな頭ン中春真っ盛りなやつだったか?

「んぅぉぉぉぉおおおおおおぉぉぉぉぉ……」

 悶々。見悶える。これは酷い。そしてダサい。これじゃまるで発情期の猫みたいじゃないか。こんなの俺じゃない!! ……俺じゃないけど、これはこれで今の俺なのかもしれない。受け入れられるまで、ちょっと時間掛かりそうだけど。

 がらり、また引き戸が開け放たれる。大佐だろうか? 忘れ物でもしたのか? ああ、だめだだめだ。今絶対に変な顔をしてる。こんな顔は絶対に見せる訳にはいかない。

 こつこつ、と床を蹴る乾いた音がベッドの前で止まる。そんな近くに何か置いてあったっけ? 覚えがないが。


「悠雅……?」

 優し気な、清流のような声が鼓膜を揺らす。

「寝ているの?」

 甘やかな匂いが鼻腔をくすぐった。

「もう、目が覚めたって聞いて飛んで帰ってきたのに」

 柔らかな指先が頬を突いて。やがて温もりが離れていく感じがした。それがどうしても寂しくて、虚しくなって。思わず遠ざかる手を掴んでしまった。

 何を言えばいいか、分からなくて、言葉がでなかった。言いたい事が山ほどあったはずなのに、彼女の顔を見たら全部吹き飛んでどこかに行ってしまった。俺はただ、少し驚いた様な顔をしてる彼女をじっと見つめる事しか出来なくなってしまっていた。……ああ、これは重症だ。そう改めて自覚する。

「起きてたの……?」

 どこか気恥ずかしくて、俺は首肯だけに返答を留めた。

「私、話しかけたのに」

「…………悪い。変な顔してると思ったら顔をあげられなかった」

「じゃあ、何でそのまま寝た振りしていなかったの?」

「…………、」

 その理由を、俺は伝えられそうにない。だけど、彼女は真っ直ぐ、俺をじっと見据えて、それを求める。その有無を言わせぬ様子に俺は熱くなった吐息を零す。

「……いなくなって欲しくなかった。もう、離れて欲しくなかった」

 根負けして答えると彼女は強く俺を抱き締めた。

「……そっか、寂しかったんだ?」

「悪いかよ」

「いいえ、素直な貴方は愛らしいもの」

「馬鹿にしやがって……」

「してないよ。だって、貴方はずっと私を守ってくれたんだもの。感謝こそすれ、馬鹿にする事なんかない」

 いい匂いがして、柔らかい。彼女の体を抱き締め返して、そうして、彼女の温もりを改めて感じて、彼女をちゃんと守る事が出来たことを実感する。

「……ずっと一緒にいたい」

「私は貴方のお父さんの仇でもあるのよ?」

「戦争で人が死ぬのは当たり前だ。俺みたいな境遇の奴、腐る程いる」

「貴方の幼馴染達は、きっと認めないかもしれないわ」

「俺が意地でも認めさせる」

「……私はもうお姫様なんかじゃないのよ?」

「俺はお前の肩書きに惚れたんじゃない。お前自身に――アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァっていう生意気な女に惚れたんだ」

「私と一緒にいたら、きっと今後も血を流す事になる。死にたくなるような目にも、遭うかもしれない」

「望むところだ。俺はお前を守ると誓う」

「私は……私は、人として最低の人間よ? きっと、私の本性を知ったら私の事嫌いになるわ」

「たとえお前がどんな人間だったとしても俺はお前の全部を抱きしめるよ。それに、今まで見てきたお前とお前の祈りだけでお前を信じるに足る。だから、ずっと一緒にいて欲しい」

「あ、ああぁぁ……」

 震える吐息と声と一緒に、涙がこぼれ落ちてきた。しとしとと涙が零れて、俺の肩を濡らした。

 泣かせるつもりなんか無かったのに。


 目を拭ってやろうと離れようとすれど、彼女はより強く抱きしめて離れてくれようとしない。

「お、おい……」

「嫌よ。見せてなんかあげない。絶対にアンタにこの顔は見せてあげない」

「それじゃ目の周りが腫れちまうぞ」

「それならそれが治るまでこのままよ」

「我儘な」

「お姫様って言うのは我儘なものなの」

「さっき、自分はもうお姫様じゃないって言ったばかりじゃないか」

「そうやって揚げ足取りする悠雅なんか嫌いになるわよ?」

「……、」

 何だよそれ。もういい、勝手にすればいい。

「ねえ」

「何だ?」

「私、船旅のお供に色んな本を持っていったのだけど日本人は“愛しています”を“月が綺麗ですね”って言うの?」

「何だそりゃ?」

「本にそう書いてあったの」

「そんな言葉聞いた事ないけどな。言いたい事はわからんでもないが」

「じゃあ、悠雅ならなんて言うの?」

「俺なら? ……俺なら、そんな詩的な事は言えない。ただ一言“俺という剣を納める鞘になってくれ”、とでも言うだろうな」

「へぇ……」

 ……ん、あ゙ぁ゙!? 今更ながらに気付かされる。そして、己の馬鹿さ加減に頭くる。羞恥と自己嫌悪で早くも死にたくなってしまった。有言実行するには早すぎるだろう。

「……図ったな?」

「そんな事ないって」

 くすくすと喉を鳴らす彼女にちょっとムカッとくる。

「じゃあ、お前はそれに対してなんて言うんだよ?」

「私? うーん、そうね、私なら……Вашаヴァーシャ、かな」

「“ゔぁーしゃ”? 露西亜語か? どういう意味なんだ?」

「それはね――」

 彼女は悪戯っぽく笑って、

「――秘密よ」

 俺に口付けした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る