3月25日 131

「高三の夏の終わりに付き合いはじめて、大学受かったらしようか、みたいな話になってたはずなんだけど、彼、本命に落ちたの。しかも滑り止め受かってたのに行かないって言い出して……あとはもう、すごい気詰まりな付き合いが続いてね」

 自分には、見切りをつける能力が備わっていないと知った。間が抜けているのだ。ひたすらに。気づかなかったわけでも、なんでもない。ただ、おのれの直感を信じられず、希望、いや我執とでも呼びたいような頼りないものだけで不安を覆い尽くしていた。

「夏休みに彼の部活の後輩と偶然あって話して、それでその子が彼になんか言ったらしいんだよね。その他にもゴタゴタして気がついたら、いいよって言っちゃってて……」

 経緯の詳細はもちろん、覚えている。カレシの前で他の男をほめたりしない、理論整然と言い返してへこまさない、その他、高い授業料を払って色々学んだ気がする。

 浅倉くんが、なにか口に出そうとしてできないのがわかった。

「私、でも、そのあと、その揉めた原因の後輩に告白されて付き合っちゃったりしてね」

 かすかに、なんで、と問われた気がした。

「いま思うと、復讐めいた気持ちもあったんだろうね。なんかぎこちなくて、自然消滅みたいになっちゃったけどね。まあセックスどころかキスさえびくびくしてたから当然なんだけど」

 年下のカレは初めのころは握られた掌が汗でべたべたするくらい緊張していたのに、何度かキスしたあたりから変わった。オトコってなんで、ああなんだろう。ともかく先に進みたがる。顔真っ赤にして拳を開いたり閉じたりして、とぎれとぎれで告白してきたのにな。

「あの、それ、ほんとに」

「私がいいよって最初に自分で言ったし、イヤだとは最後まで言わなかったし、ほんとに自分でOK出したの」

 そこで何か口にされる前に、言い添えた。

「それにね、私にも性欲はあるし、もっと言えばさほどしたくなくても上手に盛り上げてくれれば反応できる」

 すこし、沈黙が落ちた。つぎに何をいわれるか怖かった。

「なんで、その……」

「いいよって言っちゃったのは、きっと、傷ついててかわいそうだったからだと思う。でもね、いちばんの理由は逃げ切れなかったから。いずれ誰かとはしなきゃならないんだからしとけばいいやって思ったの」

「や、でも、そんなんじゃなくてちゃんと」

「ちゃんと、なに? お姫様抱っこでシティホテルでしたってそんなに変わらないことよ」

「だから、そういうシチュエーションじゃなくてその」

「彼だって、私のこと凄く好きだったのっ」

 浅倉くんが、身じろぎして固まった。

「入学したときから気になってたって言って、ヴァレンタインのチョコ女の子につき返して、絶対に深町さんと結婚するからって言ってたし、バカだなあって思ったけど、やっぱりバカだったなあって今も思うし、でも……」

「好きだった?」

 遠慮がちに問われ、首をすくめた。

「嫌いじゃ、なかったよ」

 夏期講習の帰りに一緒の電車になった。降り際に、いつもこの電車、と聞かれた。クラスも部活も違うから接点なくて、と次の日に言った。卒業まで言うのよそうかと思ったけど、同じ学校にいられることもうないし……。

 夏休み明けのデートで高エネルギー物理学研究所に連れてかれた。色素のうすい切れ長の瞳にメガネの似合う物理オタクで、マニアックすぎるかな、と行きの電車の中で終始謝っていたけれど、面白かった。実は深町さんならそう言ってくれそうだって思ってたんだよね、とくしゃっと笑ってみせた。あ、ちょっと可愛いかも、と感じた。もともと彼のルックスは好みのタイプで、このまま付き合ってもいいと思った。

 夏休み明けに響子が、彼はやめたほうがいいんじゃない、と口にした。姫香に合わない気がする。あの綺麗な眉を寄せてつぶやかれたので、癇がたった。じゃあ、どんなひとならいいの。どんなって……彼女は珍しく言葉につまり、それからきゅっと口をつぐんだ。唇が色をなくし、そのせいで中高の、すこし冷たい感じのする顔が青褪めて見えた。

 彼のほうは私に、浅場さんて美人だけどなんか性格キツくない、と訊いてきた。疑問形でありながら、その言い方は予め同意を求めていた。たしかにはっきりモノは言うほうだった。でも私はそれが好きだったし、ニューヨークの大学に行きたいと望む彼女らしいと思っていた。私が黙っていると、俺は姫香みたいに髪が長くて女の子っぽい、守ってあげたくなる感じのほうが好き、と真顔で口にした。

 ほめられている、または持ち上げてくれようとしているのだとはさすがに理解した。でも、うれしくなかった。だいたい「守ってあげたくなる」ってなんだそれ、キミはそんなに強いんですか、と皮肉っぽく考えていたけれど、付き合い始めたばかりのカレシにそうは言えなかった。それに、GFの親友を貶すほど愚か者ではないはずだと首をかしげると、彼女と姫香ってレズかと思ってたよ、とかるい調子で笑った。上手に笑えていないことを彼も自分で知っていた。

 彼女、姫香のことそういう意味で好きなんじゃないの。

 まさか。

 じゃあ姫香は?

 響子は友達だよ。

 でも、俺より好きだってことない?

 そんなこと、ないよ。

 彼が眼鏡の奥で淡い色の瞳を細めて横をむいた。それから、そういう顔するって思わなかったな、と小さく吐き出した。

 何か、取り返しのつかないことをしたような気がした。

「でも、嫌いじゃないっていう程度なら付き合わなきゃいいのに」

 浅倉くんの、困惑した声に引き戻される。

 もちろん私だって、申し込まれたひと全員と交際しているわけではない。当たり前だ。選んでる。いちおう、それなりに好きだと思ってるから付き合うのだ。

「そうしたいよ。でもね、詰られるのは辛いよ? 男って相手がいないときに断るとしつこいし、酷いとお高くとまってみたいな言い方する。そうじゃないと今度は自分の何が悪いの、みたいな感じで卑屈になって断った私が悪者みたいな気持ちになる。それに、付き合ってけば好きになるかもしれないし、BFがいたほうが生きてくの楽だもの」

 彼は一拍、間をあけた。

「オレが言うのもなんだけど、でも、なんか、あんたにだけはそういうの、して欲しくなかったとか思うんだよね」

「それさあ」

「うん。自分でも都合いいなあって思うよ」

 すなおに認められると、怒れなかった。

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