3月23日深更 54

 こちらの不機嫌をものともせず、にっこりと笑って首をかしげてきた。そういう彼のほうが、私の千倍もかわいく見えた。

 カワイイには、意味がふたつある。

 純粋に美的見地による愛くるしさへの賛嘆と、自分より劣っているもの弱いもの庇護を必要とするものへの好意的な意思表明だ。

「それで君を軽々しく扱おうと思ってるわけじゃないよ。だってすごく強暴だもん。僕はなめてかかってない。もっとも進化したネオテニーの特徴があるのは黄色人種の女性だそうだから、すなおに受け入れれば?」

 どうせミズキさんみたいに八頭身じゃなくて、頭でっかちで平らな顔で鼻も低いですよ。でもね。

「小さくて子供っぽいって思われるの、嫌なの。病院とか献血所で私よりどう見積もっても十五歳以上若い看護婦さんに幼児言葉つかわれたりね、仕事でも相手になめられやすいし、買い物しててもお嬢ちゃん扱いされたりするし散々よ」

「子供っぽくてもいいじゃない? どうせ年はどんどん取るわけだから。大人になれなくても年寄りには間違いなくなれるよ」

 あまりの真理に、反撃する気力もなくなった。たしかにオトナとか言ってるあいだに、すぐにきっと老人だわ。あああ。

 肩を落とし、この会話が終わりになると思った瞬間だった。

「かわいいって言われるのが嫌な理由は、他にもあるよね。誰にでも話せて誰もが納得するようなことなら、君はそれを隠匿しない」

 私が反射的に横をむいたので、彼は小さく笑った。

「僕は簡単にごまかされなくて、君はやりづらいね。でも、浅倉よりマシじゃない? 僕も手を焼くことがあるから、君には負荷が大きすぎる。逃げ回ってるのはよくわかる」

 なんだか自慢されまくった気がするけれど、納得。ミズキさんの呼吸は途轍もなく制御されている。打ち込む隙がない。浅倉くんとは違う意味で、読めない。

「言いたくないなら、いいよ。何もかも話してってお願いすれば、きっと君はそれができてしまうと思うけど」

「ミズキさん、だったら」

「僕はそれをしたくない。できるからこそ、君にはしないほうがいいと思うんだよね」

 私は少しばかり意気消沈して告白した。

「ミズキさんてフェミニストなのかと思ってたのに……」

 言い終えたとたん、大げさなため息をつかれてしまった。

「姫香ちゃんのそういう勘違いはすごく面白いけど、時々まじめに心配になるよ。僕はマッチョでものすごく嫌な男だ。たまたま自分が嫌な目に遭ってきたからいろいろ気をつけてるだけ」

 子供のころの彼がどんなに可愛かったは容易に想像がついた。彼は、この瞬間の私の無思慮な、残酷な、憐憫のはいった理解を消し去るような声で続けた。

「だからこそ僕は、絶対に、弱いままではいたくない」

 そうだろう。ミズキさんは、そうのはずだ。私とつきあいたい結婚したいというのもある種の戦略だということも、彼は自分自身でちゃんと知っている。だから、あのとき否定しなかった。それこそ、後ろめたいという感情を、彼は自分のなかに見つけたはずだ。

「僕は、君のいうシンプルな生き方を実践してるよ。単純に、勝ち続けるってことだけ」

 思わず眉をひそめると、苦笑して続けた。

「簡単だよ。戦って勝ちそうなときだけ勝ちに行く。自分より強い相手とは戦わなきゃいいだけだから」

「でも、いつもいつも、そううまくはいかないんじゃないのかな」

 惧れと非難をこめて口にすると、肩をすくめて笑われた。それが、そんな単純なことも理解していないのかという肯定なのか、そんなことがないように日々戦ったり逃げたりしているのではないかという否定なのかさえ、私にはわからなかった。

 ただ、どちらにせよ、私には到底真似のできないやり方で、つまりは彼我の力量を正確に見極める能力が自分に備わっていなかった。いや、そうじゃないか。私は、たいていのひとより自分のほうが弱いと知っている。弱くても相手を傷つけることは幾らでもできるけれど、でも、それは恐ろしいことだ。ひとを傷つけるのが故なくこわいというだけでなく、復讐に怯えているだけのことかもしれない。

「ミズキさん、でもそれは、そこに土俵があると信じられるひと、またはそこにのぼれるひとのもので、でなければそれを築くことができるひとのもので、ルールが通じることが前提条件にある。でも私は、世の中そういうふうに成り立ってはいないと思うのね」

 言われた相手は私の顔をじっと見て、ついと視線をずらしてからこたえた。

「それはこれ以上ないくらい正確な判断だけど、勝ち残るためには不必要な視点だよね」

「つまり、無視して見ないようにしてるっていうこと?」

「まあ、そういうことだね」

「でも、それって卑怯だよね。じゃあ万が一、自分がソコに立たされて戦わなきゃいけなくなったときどうするの?」

 声に憤りが混じっていて、自分でも焦った。彼はそんな私に瞳をむけて、なんでもなくこたえた。

「どうしようもないから死ぬしかないんじゃないのかな」

 唖然として、相手の顔をみた。彼はべつに、私に見つめられてもどうとも感じていないようだったので、腹が立って声があがる。

「踏みとどまるとか諦めないとか、そういうのは、ないの?」

 私が真剣に問い詰めたというのに、彼はうつむいて頤に手をあててかすかに笑った。

「何がおかしいの」

「いや、姫香ちゃんが一緒にいてくれたらほんとに心強いなあって思っただけ」

 呆れて、二の句がつげなかった。それで、私は気になっていたことを言った。

「話が戻るけど、話さなくていいよって言いながら、ミズキさんに他にもあるって提示されただけでもう、私はそれを否応なく考える。もうそれは、してるのと同じじゃないかな」

「その通りだね。聞く聞かないはほんとに僕のエゴでしかない。話さなくても、君は自分で整理をつける訓練ができてる。ただ……」

 彼はそこで顔をあげた。

「姫香ちゃん、僕がそれをしないでも、君が絵をかいて発表し続けていけば、必ず何かを乗り越えることになる。君はきっと、それを望んでる」

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