3月17日 15
こ、ここで愛の告白をされてもっ。
のけぞりそうになった私を見て、彼は楽しげに微笑んだ。
「計算高いとことか」
それを耳にしたとたん思わず。
「計算してるの? あれが? アレで?」
「してるでしょう。ばりばり計算してるよ」
「仕事はそうだろうけど」
「仕事以外も計算入ってるよ。浅倉の実家のお店、義理のお兄さんが社長になってるせいか札幌にずっと帰ってないし」
それは私の区別ではプライヴェートとはいえ「仕事」の範疇のことだけど、でも、そうなのか。知らなかった。彼、あんまり自分のこと、話さないんだよな。
そうこうする間に、自分の電話が鳴った。着信を見ると、母親の携帯電話だった。この時間だと外からかけているわけではなく、父親に聞かれたくないから台所からかけているのだと知れた。
どこにいるの、と訊かれた。友達のとこ、今から流山に帰る、と言おうとしたところで、ミズキさんが私のケータイに手をのばした。
「ミズキさん?」
あわてて両手で胸に引き寄せると、
「かわって」
と、凄まれた。
「なんで」
「なんでも。僕のこと、お母さんに話してあるでしょ?」
電話からは、母親の声が聞こえてくる。どうしたの、というやや甲高い声だ。
「ゲイだとは、言ってないね」
やだな。なんでこのひとはこんなに鋭いんだろう。つまりは浅倉くんのことが好きだってことまでは言ってないけど。男ふたりで一緒に暮らしているとは話した。母は言外のニュアンスを嗅ぎとったかもしれない。
ミズキさんは私がうつむいた隙に勝ち誇ったような声で口にした。
「じゃあ好都合だ」
手首をつかんで軽々と奪っていった。
それからの五分間は、瞠目すべきものだった。自分もたいがい口の上手いタイプだと思っていたけれど、彼には負ける。さすがは起業家社長。私を呼び出したのは彼の仕事のせいで、熱が入って遅くなったのは申し訳ないと伝え、責任をもって家まで送り届けますと、まるで私の婚約者のような口ぶりで言い切った。あの母が押しまくられているのを思うと胸がすいたけれど、これは今後の展開次第では厄介なことになりそうだと懸念をもつ。
うちの母、どうやっても私を結婚させたいんだよなあ。あああ。
携帯電話をうけとりながら、照れ隠しではない困惑で肩をすくめて尋ねた。
「四捨五入して四十だってのに、嫁入り前の娘みたいな扱いってどう思う?」
「家父長制への不満を僕にいいたいわけ?」
「聞いてくれるなら、言うけど?」
「それはまた今度ね。姫香ちゃん、お嬢さんだから仕方ないよ」
「べつに私、お嬢さんじゃないよ」
「大事に守られて生きてきたことを恥じる必要はないと思うよ」
「私、その『守る』ってよくわからないのよ。誰から、何から私を守るっていうの?」
ミズキさんはすぐにはこたえなかった。一拍おいて、ため息になりそうな声音が返る。
「その話は、またにしよう。車、乗って」
「ミズキさん」
「僕には聞く用意はある。でも、いまは眠ったほうがいいよ。一日買い物して、歩きつかれてるんだから」
「そりゃ、遊び歩いてたけど」
「姫香ちゃん、そうじゃない。君は、誰かといたほうが自分を平静に保っていられると思ってるだろうけど、そうやって誤魔化していても得るものはない。誰もいない場所で、ちゃんと自分の気持ちを見つめなおしなよ。それが、君の絵のためになると僕は思う」
最後のひとことは、肋骨の隙間にぎりぎりと食い込むほど痛かった。でも、私は、ミズキさんの甘ったるい優しさではなく、こういう容赦なさが好きだった。
その日、私は生まれてはじめて家族の運転する車以外で眠った。ミズキさんは私の部屋のドアの前までついてきて、
「明日の夜、電話くれる?」
首をかしげてきいてきた。出会ってから三週間、私とミズキさんは頻繁に連絡をとって短い時間だけと顔を合わせていた。それはもちろんイラストの仕事のことがメインだったわけだけど、お互い面白かった展覧会のはなしをし、仕事でこんなことがあってね、だなんていう世間話だってした。だから、今さらこんなことを言われる理由がわからなかった。
「仕事中じゃないの?」
「僕からしてもいい?」
イイっていうのは、許可を求められているということだろうか。
「だめ?」
ここにきて、なるほど、私はどうやら気を遣われているのだと察した。
「そんなに心配してくれなくても平気だよ」
腫れ物に触るような扱いは困る。たかがオトコに振られたくらいで。婚約破棄されたくらいで死にはしないよ。
「心配っていうか……まあ、心配、かな」
途中で首をかしげられてしまった。うう。
「十一時に電話してくれるかな?」
頭から、声がおりてきた。
「仕事じゃないの?」
「そこは休憩」
「え、ちょっと待って、その後も前も仕事なんでしょ?」
「うん」
じゃあ、かけてもらおうかなあ。その時間ピッタリってめんどくさい。そう思ったのが伝わったらしく、ミズキさんが笑った。
「わかった。僕がかけるから。ちゃんと出てね」
うなずいて笑いあい、私たちは別れた。お茶でも飲んでく、と問うのが礼儀かと思ったけれど、彼は私をひとりにしたがっていた。
そして、ひとりになった私は考え事などする間もなく、お風呂場でひとしきり声をあげて泣いたあと、水彩絵の具のような素直さで溶けるように眠った。自分が溶解して平面になった気分だった。
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