鹿卜の法

 倭人の国々ではどこでも、月に一度は市が立ち有無を交易する。その為の場所も普段は樹木がぽつぽつと生えるだけの閑地あきちになっているが、時に裁判や処刑、祭りなどもそこで行われる。今不弥ふみ国の広場に、高い祭壇が組まれて、いたに乗せた魚やこめ、樽に湛えられた酒などが供えられる。祭壇の前には柱一つに屋根を被せたあずまやが組み立てられ、中には氏王とその側近が座を占める。軒からは幕が垂らされ、外から王の姿は見えない。広場の中央には薪が積まれ、炎が揺れている。炎を囲んで邪馬臺やまと国の官吏、不弥国主多模卑狗たまひこ以下の役人、それに今度の訴えを持ち込んだ国や不弥ふみ国の庶民たちが座る。矛を持った兵士と置き盾がその周辺で、集まる見物人を遮っている。

 姫氏王の一行が不弥国に着く頃には、奴王が死刑に処されるという噂がこの一帯にはもう広まっていた。かつて奴王の統治を篤く受けたこの地域の人々は、大小の魚、鹿や猪などを搔き集め貢ぎ物としてここにやって来た。どうか奴王の罪をお赦し下さる様に、という願いに対して姫氏王は、祖先の霊が命じる所に従う、と誓って、鹿の肩の骨を抜き取らせた。粗塩と山の湧き水で清められたその骨は、たかつきに載せて炎の前に置かれる。多模卑狗は王の御前に進み出て、幕越しに鹿卜の令を伺う。骨を火でき、その熱によるひびを視て吉凶を占うのである。

 こういう神判の方法は、昔々の殷の王が亀の甲や獣の骨を用いて行ったと伝えられている。張政チァン・センも幼い頃から昔話にそれを聞いていたが、それがここでは現に行われているのだ。原告の庶民たちは、悲しそうな、泣きそうな、或いは怒りを隠した顔をうつむける。張政はこの神判に立ち会う様にとの姫氏王の求めを受けて、会場の様子を一回り見渡した後、王の座所に向かう。侍女が張政を幕の内に請じ入れると、王は

「来たか、そこに座っていよ」

 と、席を宛てがう。張政としては式次第の全体を見届けたいとも思ったので、

「外で観ていてはいけませんか」

 と問うと、王はふっと息を吐いて、

「観ても、おもしろいことはないぞ」

 と言った。張政は王の指した席に就いた。とそこへ、また侍女の一人が入って来て、

伊都いと国より泄謨觚しまこさまがお着きです」

 と告げる。

「ここへ通せ」

 と王は命じる。外では多模卑狗が手に持った杭に火を採り、別の一人が𨦇やっとこで骨を地面に押さえている。丁度幸い張政の席からは、幕の切れ目が揺れて外の様子がいくらか視える。多模卑狗は長々と何かのことばを唱えている。それは火の神や先王への呼び掛けであるらしい。泄謨觚が幕をくぐって現れる。

「御免つかまつる」

「そちらの様子はどうだ」

 泄謨觚は、どうも困った、という顔をする。

「それが難斗米なとめどのはあくまで説得するつもりらしく、刀の柄に手もかけぬような具合でござる」

 女王は、また一つふっと息を吹く。

「それは気の長いことだな。わしならいやおうも言わさぬところだ」

「では、急がせましょうか」

「いや、しばらく斗米の思うとおりにやらせておくさ」

「しかし、奴王が何か厄介でも起こさぬとよいのですが」

「まあそれはその時だ。予も後詰めにここまで出て来たのだからな」

 とそこで、

う、大王わがきみが奴王を伐つに、かみたすけやあらんか」

 という多模卑狗の声が、一際大きく場に響く。そして燃える杭を骨に、その熱で坼が入るまで押し着ける。

 張政はまだ幼かった頃、昔話に憧れて、この占いを真似てみた事が有った。骨は肉屋が豚をばらして捨てる所をもらい、家に帰って棒切れに竈の火を採った。火を押し当てると、骨には確かに卜の字に似た形の割れ目が出来る。こんな事を何度かして遊んだ。しかしどうしてこれで物事の吉凶が判るのかは謎のままであった。その不思議な感慨は今でも忘れてはいない。

 多模卑狗は坼の入った骨を絹の上に取って恭しく押し頂き、姫氏王の侍女の一人に渡す。侍女はまたそれを押し頂いて幕の内に入る。人々は占いの結果が出るのをただ待っている。

張政ちゃうせいよ、この目が読めるか?」

 姫氏王はその骨の割れ目を張政に見せながら訊いた。張政には読める訳も無い。

「まあ読めぬだろうな」

 女王はまたふっという笑いとも慨嘆とも付かない息を吐いて、何も言わずに、その骨を侍女に返した。侍女は外に出てそれをまた多模卑狗に渡す。多模卑狗は一同に骨を掲げて見せ、そして宣言する。

「吉なり!」

 会衆からああという嘆息の声が漏れる。役人たちは素早く動いて、供え物の酒樽を開いて誰彼と無く振る舞う。姫氏王に捧げられた貢ぎ物も小分けに包まれ、今は王からの引き出物として配られる。やがて多模卑狗が散会を告げると、原告たちはもう納得しているのか、抗いもせず、恨みも言わず、ぞろぞろと還って行く。何という従順な民衆であろうか。それにしても不思議だ、と張政は思う。

「あれはどうして吉なのでしょう」

 と張政はその思いを口から吐いた。姫氏王の顔は頭巾の下で、可笑しいのか、苦々しいのか、少し歪んでいるらしい。

「民どもが従いやすいようにしてやるだけのことだ」

 姫氏王はそう言って、着物の裾を払った。

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