鹿卜の法
倭人の国々ではどこでも、月に一度は市が立ち有無を交易する。その為の場所も普段は樹木がぽつぽつと生えるだけの
姫氏王の一行が不弥国に着く頃には、奴王が死刑に処されるという噂がこの一帯にはもう広まっていた。かつて奴王の統治を篤く受けたこの地域の人々は、大小の魚、鹿や猪などを搔き集め貢ぎ物としてここにやって来た。どうか奴王の罪をお赦し下さる様に、という願いに対して姫氏王は、祖先の霊が命じる所に従う、と誓って、鹿の肩の骨を抜き取らせた。粗塩と山の湧き水で清められたその骨は、
こういう神判の方法は、昔々の殷の王が亀の甲や獣の骨を用いて行ったと伝えられている。
「来たか、そこに座っていよ」
と、席を宛てがう。張政としては式次第の全体を見届けたいとも思ったので、
「外で観ていてはいけませんか」
と問うと、王はふっと息を吐いて、
「観ても、おもしろいことはないぞ」
と言った。張政は王の指した席に就いた。とそこへ、また侍女の一人が入って来て、
「
と告げる。
「ここへ通せ」
と王は命じる。外では多模卑狗が手に持った杭に火を採り、別の一人が
「御免つかまつる」
「そちらの様子はどうだ」
泄謨觚は、どうも困った、という顔をする。
「それが
女王は、また一つふっと息を吹く。
「それは気の長いことだな。
「では、急がせましょうか」
「いや、しばらく斗米の思うとおりにやらせておくさ」
「しかし、奴王が何か厄介でも起こさぬとよいのですが」
「まあそれはその時だ。予も後詰めにここまで出て来たのだからな」
とそこで、
「
という多模卑狗の声が、一際大きく場に響く。そして燃える杭を骨に、その熱で坼が入るまで押し着ける。
張政はまだ幼かった頃、昔話に憧れて、この占いを真似てみた事が有った。骨は肉屋が豚をばらして捨てる所をもらい、家に帰って棒切れに竈の火を採った。火を押し当てると、骨には確かに卜の字に似た形の割れ目が出来る。こんな事を何度かして遊んだ。しかしどうしてこれで物事の吉凶が判るのかは謎のままであった。その不思議な感慨は今でも忘れてはいない。
多模卑狗は坼の入った骨を絹の上に取って恭しく押し頂き、姫氏王の侍女の一人に渡す。侍女はまたそれを押し頂いて幕の内に入る。人々は占いの結果が出るのをただ待っている。
「
姫氏王はその骨の割れ目を張政に見せながら訊いた。張政には読める訳も無い。
「まあ読めぬだろうな」
女王はまたふっという笑いとも慨嘆とも付かない息を吐いて、何も言わずに、その骨を侍女に返した。侍女は外に出てそれをまた多模卑狗に渡す。多模卑狗は一同に骨を掲げて見せ、そして宣言する。
「吉なり!」
会衆からああという嘆息の声が漏れる。役人たちは素早く動いて、供え物の酒樽を開いて誰彼と無く振る舞う。姫氏王に捧げられた貢ぎ物も小分けに包まれ、今は王からの引き出物として配られる。やがて多模卑狗が散会を告げると、原告たちはもう納得しているのか、抗いもせず、恨みも言わず、ぞろぞろと還って行く。何という従順な民衆であろうか。それにしても不思議だ、と張政は思う。
「あれはどうして吉なのでしょう」
と張政はその思いを口から吐いた。姫氏王の顔は頭巾の下で、可笑しいのか、苦々しいのか、少し歪んでいるらしい。
「民どもが従いやすいようにしてやるだけのことだ」
姫氏王はそう言って、着物の裾を払った。
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