第17話 はーとびーと
階段の事故で頭を強打したことによって感情を表現出来なかった花凛に表情が戻りつつあったのは、全く皮肉な話だった。
もともと事故にあった時に起こった機能障害が改善された代わりに記憶を無くしてしまったのだから高い代償を支払う事になってしまった。
医師の話では記憶障害は一時的なものか、慢性的なものかはハッキリとわからないそうなのだ。ただ可能性があると言うだけで、わたあめより不確かな希望であることに違いはない。
「圭っ、今日はあたしが勝つよ」
俺が病室に来ると花凛は、オセロを用意して待ち構えていた。ここ何日かは、俺達は、こうして過ごしていた。花凛は、とてつもなくオセロが弱く、その癖、俺がワザと負けると手加減をした事を怒るのだった。
オセロをしながらたまに会話がはさまるのだが花凛は、どうも由良の事が気になっているようなのだ。電話番号の登録がある知らない名前の女の子……
「圭っ、この由良子って知ってるよね」
「知ってるよ、花凛といつも喧嘩してたな」
「えっ、この子と仲悪かったの……でもその割に番号登録してあるけど」
「どうなんだろうね、本当の所は、花凛じゃないとわからないんだろうね」
俺は、二つ目の角を取った。
「呼んだら来てくれるかな?」
「退院してからの方が、いいと思うよ」
「圭は、あんまり会わない方がいいと思っているの、でも、気になるなあっ」
今の花凛に由良三咲は、刺激が強過ぎる。
例えは悪いが、毒にしかならない気がするのだ。
俺は、三つ目の角を取った……
花凛は、気になることを我慢出来るような奴じゃ無いよな。俺はふうと溜息をついた。
◇◆◇◆◇
週末の土曜日になりお昼前に花凛の病室に向かった俺は、その光景にやれやれと思った。
病室には、由良三咲がいたのだ。
おそらく我慢出来ずに花凛が、連絡を取ったのだろう。
今は、花凛の母親が同席していたので由良は、余計な事は話してはいないと思うのだが安全の保証は全くない。
俺は、挨拶をして病室に入った。
「来てたんだ由良、しばらくぶりだね」
「圭も元気だった、ってそんな訳ないか」
由良は、少し困ったような顔をしていた。
「さて、圭も来た事だし入れ替わりであたしは、そろそろおいとましょうかな」
そう言って由良は、立ち上がった。
「由良さん、また来てね、今日はありがとう」
以前の花凛であれば、絶対にあり得ないセリフだった。出会うタイミングを間違えなければ案外このふたりは良い友達になっていたのかもしれない。
花凛と母親に礼をした由良は、白いワンピースのすそをくるりとひるがえし病室を出ようと歩き出した。
お見舞いのプリンを母親に預けた俺は、下まで由良を見送ろうと後に続いた。
「ねえ圭、あなた、もうあの子から離れた方が良いんじゃない」
病院の1階ロビーまで来ると由良は、怒ったような口調で言った。
「由良が逆の立場だったらそうするかな」
「くっ、圭は、優し過ぎるんだよ。あんなのは、花凛じゃないわ。あたしを見て可愛いとか友達になりたいなんていうのよ」
「由良と花凛は、良く似ていると思うんだけどね」
「あんな奴とわたしのどこが似てるのよ!」
「由良が困っていた時に花凛は、何の得にもならない手助けをしようとした。お前だって今日来る必要も無かったのに朝早く病院に来ていた。自分の気持ちに正直なんだと思うんだよ二人とも、気になる相手の事を放っておくなんて出来ないんだろうな」
「あたしは、ただあいつを笑いに来ただけだよ」
「そんなふうには見えなかったけどなあ」
「言えなくなったんだよ、あんな怯えたようなあいつをみていたら。とにかくあいつはズルい奴だよ」
なにがズルいのか、わからなかったが、由良は、そう言って帰ってしまった。
病室に戻った俺は、花凛の母親に留守を頼まれた。どうやらまた家で用事を済ませて来るようだ。
「いいですよ」と言った俺に花凛の母親は、礼を言って病室から出て行った。
「ごめん、圭、あたし由良子に連絡取ったよ」
「謝らなくていいよ、由良に会ってどうだった」
「うん、やっぱりあたしは、必要だから携帯に番号を登録したんだと思う」
納得したように花凛は、言った。手に持った携帯には、銀の羽根のストラップがブラブラと揺れていた。
「でも、由良子は、あたしを見てずっと寂しそうな顔をしていたんだ、思い出したいよ、思い出したいんだよ」
そう言って花凛の目からは、涙が溢れ出た。由良を呼んだのも花凛なりに記憶の戻るキッカケを探してのことだと思った。
俺は、どうしていいかわからずベッドに座っている花凛の頭を抱きしめた。花凛も俺にしがみついて、落ち着くまでしばらくそうしていた。
「圭は、バカだ、あたしなんかの為に病院を調べて毎日お見舞いを買って来たり、弱いオセロの相手をしてくれたり、由良子に会うことを心配してくれたり、本当にバカみたいに優し過ぎるんだよ」
「俺は、花凛が思っているような奴じゃないよ」
「だったら、病院に来れないって言った時にあんなに走って来てくれたのはどうしてなの」
「俺は、お節介なだけだよ」
「あたしにとってはじゅうぶんな理由なんだよ」
出会った頃の会話に似ている
そんな考えが、俺の頭をよぎった。
「あたしは、そんな圭のことが好き……」
あの時と同じような会話だけどハッキリと違っているのは、俺の気持ち。
「大好きなのは、俺の方だよ、花凛、たとえ記憶が戻らなくてもね」
俺と花凛は、どちらがということもなく、互いの唇を寄せた……
◇◆◇◆
夕方近くになり、花凛の母親が戻って来た。
「ごめんね、圭くん、遅くなっちゃって」
「いえ、別に用事があるわけじゃないですから、花凛も少し頭が痛いって寝ちゃったみたいですし」
「全くこの子は、こんな所だけは変わらないのね、本当にごめんなさいね」
すやすやと眠っている花凛のようすは、大丈夫そうだ。
特にすることも無くなった俺は、母親に挨拶をして帰ることにした。
帰り道、今日の事を思い出して少し鼓動が高鳴った。
俺と花凛は二度目の恋をしたのだった。
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